優花里さんの策略?!
そして終業式の日になった。
鏡子ちゃんはいつも通り、当たり前のような顔をして朝から家に来ていた。
もはや美山家の誰も彼女が朝食のテーブルにいることに違和感を感じていないのが、一番のホラーかもしれない……。
家から駅までの道すがら、わたしは意を決して鏡子ちゃんに切り出した。
「鏡子ちゃん、あのね……」
「なに、サキちゃん?」
「あの……夏休みの予定なんだけど……」
「うん」
あ、なんか周囲の温度が急激に下がってきたような気がする。
でも、優花里さんに勇気づけてもらったんだ。ここで引いちゃいけないんだ!
「ま、毎日会うっていうのは、お互い負担になるかなって……。しかもお盆は一週間も一日中一緒なわけだし、それまではどうかな、って」
サッと、鏡子ちゃんが俯く。目の部分に濃い影が差した。
アニメでよくある、キャラがブチ切れたり闇落ちしたりする時の表現だ……。
「サキちゃん……」
腕を絡める力がギリギリと強くなってくる。怖いー! でもわたしは負けない!
「わたしと一緒にいるのが嫌なの?」
「い、嫌っていうんじゃなくてさ! ほ、ほら、毎日会いすぎると新鮮味がなくなるっていうかさ! よく言うじゃん?長年連れ添った夫婦の間に隙間風が吹く、みたいな……?」
いかん! わたしは何を口走っているんだ!
「ほ、ほら、毎日会うより久しぶりに会った方が、相手の見えなかったところが見えてくるとか! いくらいい香水だからって、一日中嗅いでると鼻がバカになって気にならなくなったりするでしょ!? 毎日フランス料理ばかりだと飽きちゃうじゃん!?」
「飽きる……?」
「いいいいいや! 鏡子ちゃんにじゃないよ! もちろん! 飽きるじゃなくて、そういうわけじゃなくてさ!」
あ〜、自分でも何を言っているのかわからないよ〜! 優花里さん助けて〜!
「だから、それだけ素晴らしいものでも毎日だと、当たり前になっちゃう、って話なんだよ!」
「でも、毎日学校行って会ってるけど飽きたりなんかしないよ……」
「そ、そうだけど〜! 学校とうちとじゃまた違うじゃん!? 夏休みって学校と違う環境で、勉強したり身体を休めたりっていう目的もあると思うんだよ! たぶん!」
「でも、サキちゃんの家で、違う環境で会えるんだよ」
ぐっ! ここで負けてはいけない!
「だから、自分を見つめる時間が欲しいっていうか、趣味の時間とか、一人で何かやりたいこともあるじゃん?」
「わたしはサキちゃんとなら何でも一緒でもいいし、何でも見られてもいいと思ってるよ」
くぅー! 気持ちが重い! 重すぎるよ鏡子ちゃん!
「お盆にいる時間が長いんだし、それ以外は少し我慢するっていうか……そういうのも大切かなって思うんだよ。ほら、せっかくRINEとか電話もあるんだし! 文明の力をもっと活用しようよ!」
「うん……」
あ、ちょっと態度が軟化したかも。頑張れわたし ! よし、ここで殺し文句だ!
「わたしは大好きな鏡子ちゃんと会う時間も大切だけど、会えない時もお互いのことを考えたりっていう時間が、実は必要なんじゃないかなって思うんだよ! ほら、会えないから気持ちが深く通じ合うこともあるじゃん? ね? ね?」
「うん……そういうのも、あるのかもね……」 よし! あと一押しだ!
「鏡子ちゃんも夜とかわたしのこととか、たまに気になることあるでしょ?」
「それはもちろんだよ! 毎日毎晩、ずっとだよ!」
すっ、とわたしは一瞬真顔になってしまった。そうなんだ……重っ……
世間でいう親友ってこんな関係だったっけ?
「どうしたの?」
「い、いやなんでもないよ! でもそういう時間も必要じゃないかな? って言ってるんだよ!(お願い、納得してー!)」
「うん。そういう時間も大切かもね。そういう時間があったほうが、より相手を大切に思ったり、離したくないって思いも強くなりそうだしね」
あれ?
「ありがとうサキちゃん! やっぱりサキちゃんはわたしのことを思ってくれてるんだ! 大好きだよ! もう絶対に離さないよ!」
あれれ……?
「だから、休み中毎日っていうのはやめようね。その分、お盆に一週間もずっといられるんだから、それまでサキちゃんのことを思い続けて、サキちゃんへの気持ちをもっともっと大きくしていけばいいんだよね!」
あれれれれれ……!?
「ありがとうサキちゃん! 大好きだよ!」
力いっぱい抱きしめられながら、わたしは悟った。
お盆以外の毎日は回避できたけど、お盆に向けて彼女の執念を最大限に培養することになっちゃったのでは……?
どうしよう……お盆の一週間のうちにわたしって鏡子ちゃんに骨までしゃぶられるのかも……。
優花里さん、 わたし二学期まで生き延びている自信がなくなってきたよ。
校門が近づいてくる。一学期最後の終業式の日も、風紀委員の方々はぴしっと並んで立っている。
というか、もしかして唯一学校で公然とわたしに会える場所だから、優花里さんはあえてここに立ち続けているのかしら……?
それはわたしの考えすぎだろうか。
優花里さんも鏡子ちゃんほどじゃないけれど、すこーしだけ……いや、結構ヤンデレ気質があるからな。
ああ、でも今のわたしには、優花里さんの顔が本当に後光の差した女神に見える。
(優花里さん、方向は少し違ったかもしれませんけど、わたし、勇気を振り絞って頑張りましたよ!)
心の中で報告していると、校門が近づくにつれて、不意に腕に鈍い痛みが走った。
「い……っ」
(なんで!? 鏡子ちゃん、さっき歩み寄ってくれたんじゃ……?)
「おはようございます」
「おはよう、美山さん」
「おはよう……ございます……」
「おはよう、後藤さん」
優花里さんの冷徹なまでの美声が響く。
久しぶりの校門でのこの空気、なんなの?
痛み自体は以前ほど強くはないけれど、鏡子ちゃんの腕の力が確実にこもっている。
というか、鏡子ちゃん、優花里さんを睨んでない……?
「どうしたの? 鏡子ちゃん」
わたしが小声で尋ねると、鏡子ちゃんは優花里さんを凝視したまま、低く呟いた。
「サキちゃん、もしかして伊藤先輩に何か言われた?」
「え? 何を? 何もないよ! どうして?」
「……なんか、サキちゃん最近変わってきてるから。何か影響を受けてるのかと思って」
え? わたしって変わった? どこが?
「今までどちらかと言うと、流されてたサキちゃんが、落ち着いてしっかりしてきてるから」
「それ、いいことじゃないの!? っていうか、わたし、そんなに流されてるように思われてたの〜?」
「わたしはサキちゃんのそういうところも好きなんだけど」
何でもかんでも全肯定かよ!なんでそんなに重いの?鏡子ちゃん!
うん、まあ確かにわたしは実際そうで、鏡子ちゃんには的確に見抜かれているんだけどね……。
けれど、わたしの成長(?)を「誰かの影響」だと瞬時に察知し、その矛先を正確に優花里さんに向ける鏡子ちゃんの嗅覚が、今は何よりも恐ろしい。
でも鏡子ちゃん、なんでこんなに私に執着するんだろうか?
幼馴染ってみんなそうなの!?
ーーー
終業式を終え、手元には通知表がやって来た!
優花里さんと鏡子ちゃんという二大天才に仕込まれたおかげで、自分でも驚くほどの好成績だった。
紗友里先生からの「夏休みの過ごし方」についての注意を聞きながら、教室はみんな夏休み前の浮かれた雰囲気に包まれている。
わたしはこっそり、RINEで優花里さんへ報告した。今朝、勇気を出して鏡子ちゃんに「毎日は会えない」と伝えたこと、頑張ったこと。
すると今回も即レスで『偉いわ、サキ。よく頑張ったわね』と褒めてもらえた。ああ、やっぱり優花里さんは優しいな。
帰りはまた鏡子蛇に巻き付かれながら、学校の最寄り駅にあるボクドナルドへ。
茜は部活(ギリギリ赤点回避、おめでとう!)へ向かったので、一学期の打ち上げを兼ねて二人で作戦会議……もとい、お茶をすることになった。
ハンバーガーの「アーン」はさすがに人目が気になって阻止したが、ポテトは結局アーンされてしまった。
そして、鏡子ちゃんがおもむろにスマホの予定表を見せてくれたのだが……その修正の早さに、わたしは言葉を失った。
平日は二日おきに、図書館かどちらかの家で「宿題・勉強」の予定。
そして、お盆の一週間。そこには画面からはみ出さんばかりの最大フォントで、
【サキちゃん家にお泊まり】
と禍々しくも輝かしく書かれていた。
カレンダーを共有しようなんて言われたら、優花里さんとの予定が秒でバレて社会的に死ぬ。わたしは必死に、目を皿のようにして鏡子ちゃんの予定表の「白紙の日」を脳内に叩き込んだ。
(2日、5日、8日……よし、覚えた! 優花里さんとの勉強会のおかげで、今のわたしの海馬は冴え渡っている!)
この記憶力、まさかこんなステルス作戦に使うことになるとは。
優花里さんとの「聖域」を守るため、そして鏡子ちゃんの「お盆の爆発」を乗り切るため。わたしの、命を削る夏休みがついに幕を開けようとしていた。
その日の夜、優花里さんの声がどうしても聞きたくなって、22時過ぎに電話をかけた。
「明日から夏休みね。毎日遊びすぎないようにね」
「鏡子ちゃんと会う時は強制的に勉強させられるので、そこはやらざるを得ないです……」
そう伝えると、電話の向こうで優花里さんが少し意外そうに言った。
「あら、それなら後藤さんと会う機会が多いほうが、あなたの成績のためにはいいんじゃないかしら?」
「優花里さん〜、勘弁してくださいよ〜! 夏休みなんですよ? わたしは優花里さんと海に行くのだけを楽しみに生きてるんですから〜!」
「ふふっ、そんな言い方だと、後藤さんが可哀想ね」
優花里さんは冷静にたしなめるけれど、わたしの本音は止まらない。
「もう〜。彼女はたしかに親友ですけど、ちょっと彼女の『愛』が重過ぎるんですから〜」
「……愛?」
優花里さんの声のトーンが、スッと下がった。
「あ、いえ! 親友に対しての執着心というか、そういう意味ですよ! 優花里さん……優花里さん? どうしたんですか?」
「……何でもないわ」
少しの間を置いて、彼女は事務的な、けれどどこか拒絶を感じさせるほど完璧な「風紀委員長」の口調に戻った。
「サキ、宿題は7月中に終わらせること。一学期の復習はお盆まで。お盆から後は二学期の予習をするようにね」
「優花里さん、それじゃ全然遊べないよ〜!」
泣きつくわたしに、彼女は少しだけ含みを持たせた声で言った。
「……もし、それがしっかり頑張れたら。別荘とは別に、またデートしましょうね」
「え! いいんですか! やったぁ! それなら死ぬ気で頑張ります!」
優花里さんからの「追加デート」という特大のご褒美に、わたしのテンションは最高潮に達した。
けれど、優花里さんがさっき「愛」という言葉に過剰に反応したこと。
そして、鏡子ちゃんの予定を暗記してまで優花里さんとの時間を捻出しようとしていること。
二人のヤンデレお嬢様の間で、わたしの夏休みは、勉強よりもはるかに高度な「生存戦略」が問われることになりそうだった。
優花里さんとの電話を切った後のわたしは、もうベッドの上でゴロゴロとのたうち回るほど大喜びだった。別荘にお泊まりする以外にも優花里さんに会える! 嬉しい! 嬉しすぎる!
「次はどこに行こうかな……。この前は水族館だったから、次は動物園? でも夏は暑いよな〜。美術館とか、優花里さんの凛とした雰囲気に似合いそうだけど、わたしが横に並ぶと展示物を見に来た迷子みたいになりそうだし……」
妄想は広がるばかりだが、ふと、さっきの電話での優花里さんの反応が頭をよぎった。
(優花里さん、鏡子ちゃんの『愛』って言葉に反応してたな……。でも、あれはあくまで友達としての愛だからね! ……あ、鏡子ちゃんとキスしちゃったけど)
その事実を思い出し、急に冷や汗が流れる。
(で、でも! あの後、優花里さんと何度も(勉強のご褒美で)キスしたから、回数的には優花里さんの方が上だし、実質チャラだよ。うん、たぶん……)
もちろん、優花里さんには口が裂けても言えない。
もし知られたら、わたしの夏休みは「お泊まり」どころか「別荘が監禁場所(勉強漬け)」に早変わりして、もちろん少なくとも夏休み中は出してもらえないだろう。
「よし! 優花里さんとのデートのために、まずは宿題を爆速で終わらせるぞ!」
そう意気込んで眠りについたわたしだった。
ーーー
サキからの電話を切った後、私は静まり返った自室で、しばし熱を帯びたスマートフォンの画面を見つめていた。
サキのおっちょこちょいなところや、素直でくるくると変わる表情、そして柔らかな身体……そのすべてが、たまらなく愛おしい。
私のこれまでの人生には、一人もいなかったタイプの子。
それだけに、自分だけで独占したくなってしまう。
しかし、彼女には後藤さんという存在が常に張り付いている。
恐らく、後藤さんは私の気持ちを鋭敏に感じとっているはずだ。彼女もサキを「好き」だからこそ、外敵であるわたしに対してあれほどまでに敏感に反応する。
私自身、これまで恋の経験はない。
けれど、自分が好きな相手の周囲が、彼女をどう思っているのか……特に自分と同じ熱量の感情を向けている相手のことは、鏡を見るように分かってしまう。
確かに後藤さんはサキの幼馴染で、彼女のことを私よりも深く知っているだろう。共有した時間も、思い出の数も、到底及ばない。
ただ、少なくとも――今のサキの気持ちは、私の方を向いている。
サキはまだ、あの子の本当の気持ちに気づいていない様子で、今も純粋な親友だと思っているはずだ。
今のうちにサキの心を、後藤さんの手の届かない場所へ……私の元へ完全に引き寄せてしまわなければ。そうでなければ、サキを永遠に失ってしまう。
それは、絶対に嫌だ。 最初は、ただのファンとしての憧れから始まったのかもしれない。けれど、もう私は人生に色彩をくれたあの子への恋に深く落ちてしまっている。
彼女は、唯一無二。 わたしは決して、サキを失いたくはない。
そのために、この夏休みは重要だ、彼女の気持ちをもっと引き寄せないと。
そうだ、それには一度軽く突き放してみて、私をもっと渇望させればいいのだろうか?
そうすれば今以上に私の事だけを考えるようになるかもしれない。
鏡子に取られまいと作戦を考えた優花里。
この作戦の結果はどう出るのか……?




