絵麻先輩ー!!やめて〜!!
そして遂に、運命の試験当日の月曜日がやってきた。
さすがに今朝は鏡子ちゃんも家までは来なかったけれど、いつも通り駅で合流。
そしてこれまたいつも通り、彼女の腕はわたしの腕へと蛇のように絡み付いてきた。
中間試験の期間中は、風紀委員も勉強を優先するため校門には並ばないことになっている。
(今日は校門で優花里さんの視線を気にして、腕を締め付けられなくて済みそうで良かった…)
少しだけ安堵する。コアラっ子さん(優花里さん)には、試験中はお互い集中しましょうと事前に連絡済みだ。
彼女も納得してくれたのか、今朝はまだ通知は来ていない。
一方の鏡子ちゃんは、駅から教室に着くまでずっとご機嫌だった。
「サキちゃん、落ち着いてやれば大丈夫だよ。わたしが教えたんだもん」
「うん、頑張るよ。鏡子ちゃんもね!」
教室に入り、自分の席に座る。周囲には独特の緊張感が漂っているけれど、今のわたしには、優花里さんに効率よく叩き込んでもらった知識と、鏡子ちゃんに丁寧に教わった基礎がある。
(二人の期待を裏切るわけにはいかない!)
さあ、1時間目のテストは現国だ。
勉強を教えてくれた優花里さん、そして鏡子ちゃんに報いるためにも、全力で解答用紙を埋めていこう。
「…始め!」
試験監督の沙有里先生の号令とともに、一斉に紙をめくる音が教室に響いた。
ーーー
そして水曜日。怒涛の三日間に及ぶ中間試験がようやく終わった。
鏡子ちゃんと優花里さん、二人の女神(?)に教えてもらったお陰で、自分でも驚くほど手応えがあった。本当に二人には感謝してもしきれない。
試験終了のチャイムが鳴った途端、鏡子ちゃんが私の机にやって来て、当然のように腕を絡ませてきた。
今日は茜も部活が休みなので、三人で駅前の「ボクドナルド」で打ち上げをすることになっている。
解放感もあって、今から楽しみで仕方ない。
「サキちゃん、お疲れ様! 終わったねー!」
「うん、お疲れ様! 鏡子ちゃんのお陰だよ」
そんな会話をしながら昇降口を抜け、校庭に降りたところで――彼女の姿が見えた。
風紀委員としての公務に戻ったのか、凛とした佇まいで立つ優花里さんだ。
案の定、鏡子ちゃんの腕がギリギリと音を立てて締まってくる。
(き、鏡子ちゃん痛い……! 優花里さんを見るたびに締め上げるの、マジでやめて!)
ふと、こちらに気づいた優花里さんが、一瞬だけ優しく目配せをしてきた。
わたしも(あ、どうも…)という感じで、ほんの少しだけ頭を下げて会釈をする。
その瞬間。鏡子ちゃんの首がギギギと不穏な音を立てながら、わたしの方を向いた。
「……サキちゃん。なんかあいつ、今こっちをチラッと見たけど……何か心当たり、ある?」
怖い。怖すぎるよ鏡子ちゃん!
今まで見てきたどんなホラーアニメの演出よりも、その「光のない目」が怖いよ! 腕も万力みたいに締まってきてて、わたしの指が白くなりだしてるよ…!
横を見ると、茜も完全にビビっている。顔を真っ青にしてガタガタ震えている。
これ以上彼女を怖がらせたら失禁しそうなくらいだよ。
「こ、心当たりなんて……ないよ! ないない、全然ない!」
「……本当に?」
「うんうん! ないないない!」
必死に首を振ると、鏡子ちゃんは急に表情を和らげた。
「そっか……。じゃあ、わたしがそう見えただけだったんだね。疑ってごめんね、サキちゃん」
そう言って、わたしの肩に頭を軽くコツンと預けてきた。
普段だったら大喜びするはずの、破壊力抜群の可愛いシチュエーション。
けれど……今日ばかりは全く笑えない。
(優花里さんも……もしかしてわざとやってませんか、今の? 私の身が持たないよ…あとでコアラっ子さんに連絡しておかないと)
冷や汗が止まらない。
「茜ちゃん……もう怖くないからね、怖くないから……」
わたしは震えが止まらない茜の頭を、そっと撫でて落ち着かせることしかできなかった。
「ふぇぇぇん……怖かったよぅ……」
ボクドナルドのボックス席で、茜がポテトを握りしめたまま半べそをかいている。
「ごめんね、茜ちゃん。ちょっと虫の居所が悪かったみたい」
鏡子ちゃんが殊勝な顔で謝っているけれど、その隣で私の腕はまだ解放されていない。
(わたしにも謝ってほしいんだけどな……いや、でも優花里さんとの秘密がある以上、ここは耐えるしかないのか。これでチャラに……なんて、鏡子ちゃんの辞書にはないだろうしなぁ)
そんなことを考えながらコーラを飲むが、せっかくの打ち上げなのに、店内の空気はまるでお通夜のようだった。
さっきの鏡子ちゃんの「氷の微笑」の余韻が凄まじすぎて、会話が全く弾まないよ。
「サキちゃん、ポテト食べないの? 冷めちゃうよ」
「あ、うん。食べる食べる」
鏡子ちゃんがわたしの口元にポテトを運んでくる。俗にいう「あーん」というやつだ。
周囲の目もあるし、何より断ったらまた瞳のハイライトが消えそうで怖い。
わたしは大人しくそれを受け入れる。
「美味しい?」
「……うん、とっても美味しいよ、鏡子ちゃん」
(まあ、隠し事をしてる私も悪いんだろうけど……。でも、まさか『風紀委員長に家で勉強教わって、駅前でほっぺにチューされました』なんて、死んでも言えないよ!っていうか言ったら腕を折られて死んじゃうよ…)
そんな罪悪感と恐怖が混ざった複雑な味のポテトを咀嚼していると、店の入り口の自動ドアが開いた。
入ってきたのは、見慣れたバスケ部のジャージを着た一団。
「あ、絵麻先輩だ」
茜が少しだけ元気を取り戻して声を出す。
絵麻先輩は、わたしたちの席に座る鏡子ちゃんを見つけるなり、迷いのない足取りでこちらへ近づいてきた。
「後藤さんもいたんだね。この前はマネージャーの手伝い、ありがとう」
そう言って、絵麻先輩は当たり前のように鏡子ちゃんの隣(わたしとは反対側)に腰を下ろした。
……いや、そこ茜の席なんだけど。
「後藤さん、わたしにもポテトを『あーん』してくれないかな?」
(……何、この人!? 距離感近すぎでしょ!!)
あまりのパーソナルスペースの無さに呆気に取られていると、少し前にこれと似たような光景を……。
あ、そうだ。優花里さんにハグされた時だ。
美人はみんな距離感がバグっているんだろうか。
なんて考えていたら、またしてもわたしの左腕に「ギチギチ……」と凄まじい圧力がかかった。
鏡子ちゃん、わたしの腕をストレス発散用のグリップか何かに使うのは本当にやめて……!
「……ごめんなさい、先輩。わたし、こういうことは『大好きな人』にしかしないんです」
鏡子ちゃんの声は、冷え切った絶対零度だった。
(えぇー! 先輩に対してそんなこと言っちゃうの!? 茜の憧れの先輩なんだよ!?)
案の定、横にいた茜は泡を吹いて卒倒しそうな顔をしている。
けれど、絵麻先輩は動じるどころか、むしろ楽しそうに目を細めた。
「後藤さんって、思ったよりも気が強かったんだね。そのギャップ……わたしは好きだよ」
(何、この人!? 天然のナンパ師ですか? それとも前世は伝説のホストかなんかですか!?)
絵麻先輩の強烈なアプローチと、鏡子ちゃんのどす黒い独占欲がぶつかり合い、ボクドナルドのテーブルの上には火花どころか黒い霧が立ち込めている。
「……あ、あの、お姉。……なんか、すごい空気なんだけど」
後ろに控えていた美嘉が、ドン引きした様子で私に声をかけてきた。
お願い美嘉、姉を……姉をこの修羅場から救い出して!
「ええ〜……ってか、なんであんたいるの?」
美嘉の姿に、わたしは一瞬で素に戻ってツッコんでしまった。
「わたしは……絵麻先輩がうちの中学の卒業生だから、これからバスケ部の練習を見てもらおうと思って。高校はテスト中で部活今日まで無いらしいから、お願いしたのよ」
「あ、そうなんだ。意外な繋がり……」
感心している場合ではなかった。わたしの左腕にかかる圧力は、絵麻先輩が横に座り続けているせいで、いよいよリミッターを解除しつつある。
もう腕がへし折れちゃうよ!
「きょ、鏡子ちゃん……」
痛みに耐えかねて鏡子ちゃんの方を向いた瞬間、彼女の手によってポテトが数本まとめてわたしの口に力任せに突っ込まれた。
「モグッ……!?(な、何すんの!?)」
これは「あーん」なんて可愛い騒ぎじゃない。口の中がいっぱいで、喋ることすらできない。わたしがモゴモゴともがいていると、絵麻先輩がどこか呆れたような、それでいて面白がるような顔で鏡子ちゃんを見つめた。
「なるほど。後藤さんは、この子が本当に好きなんだね」
「はい! 大好きです!」
鏡子ちゃんは、わたしの口をポテトで封じたまま、満面の笑みで即答した。
その清々しいほどの断言に、わたしは変な汗が止まらない。ちょっと、美嘉がいるんだから!
(彼女、これから練習見てもらうのに、わたしが美嘉の姉だってこの空気の中でバレたら……今後の美嘉の中学生活、変な噂が立ってヤバいんじゃ……!?)
「へぇ〜お姉モテモテだね」
美嘉が冷ややかな視線をわたしに送ってくる。
その視線が「昨日家に来た美人といい、あんた何やってんの?」と無言で語っているようで、わたしはポテトを飲み込むことすら忘れて固まってしまった。
「後藤さん、独占欲が強い子は嫌いじゃないよ。でも、あんまり締め付けるとサキちゃんが逃げちゃうよ?」
絵麻先輩の余計なアドバイスが飛ぶ。
(先輩! 火に油を注がないで! 鏡子ちゃんの目がまた死んじゃうから!!)
ボクドナルドの一角は、もはや「打ち上げ」という名の「サキ争奪・心理戦場」と化していた。
苦労した試験も一瞬で終わっちゃいましたが、サキの頑張りは報われるでしょうか?
そのあとは試験以上に苦難の連続ですが……




