鏡子ちゃんチェック厳しいよ〜!!
優花里さんを送って帰ったわたし。
さっきの衝撃があまりに強すぎて、自分がどうやって家まで辿り着いたのか、記憶が完全に抜け落ちている。
自分の部屋に戻り、ベッドに腰を下ろしても、右手はずっと左の頬を押さえたままだった。
「あれって……キ、キス…なんだよね……?」
鏡を見る勇気もないけれど、顔が林檎みたいに熱いのはわかる。
「どうして……私なんかに?」
「そ、そうだ! 優花里さんは海外経験が長いから! 外国だとよく、挨拶でほっぺたを合わせたりするよね! ほら、チークキスってやつ!テレビで見たよ!」
必死に自分に言い聞かせる。けれど、脳内のリプレイが止まらない。
でもチークキスってほっぺたとほっぺたを合わせるんだよね?ネットで検索してもそう書かれてあった。
でもあの時は確かに「柔らかいもの」が触れた感触があった。あれは一体、どういう意味なんだろう……
すると、机の上に放り出していたスマホが震えた。
おそるおそる画面を覗くと、「みっきん垢」にDMが届いている。
『みっきん様、今日は本当にありがとうございました。みっきん様のご家族ともお会いできて良かったです。また改めてお伺いいたしますね』
「あのことには、一切触れてない……」
まるで何事もなかったかのような、丁寧で品格のある文面。
やっぱり、あれは彼女にとって深い意味のない、単なる親愛の情の表現だったんだろうか。
「何だったんだろ?あれ……」
一瞬だけ、心の中に「もしかして……」という淡い期待のような、恐れのような気持ちが湧き上がる。けれど、わたしはすぐにそれを全力で首を振って打ち消した。
「まさか。……まさか、ね」
相手はあの伊藤優花里様だ。学校中の憧れの的で、家柄も良くて、成績も全国トップクラス。
対するわたしは、ただのアニオタ。
あまりに住む世界が違いすぎる。これは彼女の優しさが人並み外れているだけなんだ。
そう自分を納得させようとすればするほど、頬に残った感触が熱を帯びて蘇ってくる。
わたしは枕に顔を埋め、じたばたと足を動かした。
そして日曜日の朝。
昨日の優花里さんとの衝撃的な出来事が頭から離れず、結局ろくに眠れないまま朝を迎えてしまった。
鏡の中の自分の顔は、案の定ひどい隈ができている。
「お姉〜、鏡子ちゃん来たよ〜」
「……迎えに来てくれたんだ。今日は鏡子ちゃんと図書館で勉強会か……」
昨日、あんなに必死に嘘(家族でお出かけ)をついて追い返してしまった手前、待たせるのも悪い。
早く降りていかないと。
1階に降りると今朝もコーヒーを飲む鏡子ちゃん。
彼女はわたしを見つけると、パッと花が咲いたような笑顔で手を振ってくる。
「サキちゃん、おはよ! ……って、うわぁ、すごいクマ。昨日、夜遅くまでお出かけしてたの?」
「あ、あはは……まあ、ちょっとね。家族で盛り上がっちゃって……」
母さんや美嘉に目で口止めを要求する。
嘘を重ねるたびに心が痛むけれど、ここで「優花里さんに勉強を教わって、おまけに頬にキスされた」なんて言えるはずがない。言ってしまうと明日学校で殺人事件が起こってしまう。
「そうなんだ。楽しみすぎて眠れなかったのかな? 可愛いね、サキちゃん」
「う、うん」
鏡子ちゃんはわたしの腕をぎゅっと抱きしめ、いつものように密着してくる。
昨日の優花里さんの感触がまだ残っている気がして、思わず体がビクッと跳ねてしまった。
「……? サキちゃん、どうかした? 顔、赤いよ?」
「な、なんでもない! 鏡子ちゃんとくっつけたからかな!さあ、勉強しよ! 今日はわたし、やる気満々だから!楽しみ〜!」
「そうなの?うふ、嬉しいな」
わたしたちは図書室の奥の席に陣取った。
鏡子ちゃんが教えてくれる内容は、確かに分かりやすい。けれど、昨日優花里さんに教わった効率的な解き方が、無意識にペン先に現れてしまう。
「あれ…? サキちゃん、この問題、今まで苦手だったよね。この解き方、すごくスマートだけど、どうしたの?」
「えっ!? あ、いや、ネットで……そう、ネットで見た動画で紹介されてて!」
鏡子ちゃんの鋭い視線がわたしを射抜く。
「ふーん……サキちゃん、隠し事、してないよね?」
その笑顔が、心なしか冷たく感じられて背筋が凍る。
「し、親友の鏡子ちゃんに隠し事なんかあるわけないじゃん!もー!」
その時、私のスマホが机の上で震えた。通知画面に表示されたのは、優花里さんからのメッセージ。
『サキ、今日は図書館で勉強かしら? 頑張ってね。応援しているわ』
「……っ!!」
慌ててスマホを裏返したけれど、鏡子ちゃんの目は逃してくれなかった。
すっと彼女の大きな目が細められる。
「今……『サキ』って呼び捨ての通知が見えた気がしたんだけど……誰から?」
「か、母さんだよ!高校最初の試験だからさ!心配してるんだよ!だよ!」
わたしは必死に笑顔で答える。
「ふーん、おばさんからなんだ……?」
図書館の静寂の中で、鏡子ちゃんの声だけがやけに低く、温度を失って響いた。
「き、鏡子……ちゃん?」
恐る恐る声をかけると、彼女の目から徐々に光が消えていった。アニメの表現でよくある、瞳のハイライトがスッと消えていくあの感じだ。
「……どうしたの…鏡子ちゃん、なんか怖いよ……」
「サキちゃん……」
「は、はいっ!」
裏返った声で返事をする私を、鏡子ちゃんは無機質な瞳でじっと見つめる。
「本当に……わたしに隠してること、ない……?」
「も、もちろんだよ! 大好きな鏡子ちゃんに、そんなことあるわけないじゃん!」
――『大好き』
その言葉を口にした瞬間、彼女の表情が劇的に和らぎ、瞳にキラキラとした光が灯りだした。
「本当に? サキちゃん、わたしのこと大好きなの?」
「う、うんうん! 大好きで、わたしの大切な大切な親友だよ!」
鏡子ちゃんは顔を真っ赤にして俯き、消え入りそうな小声で呟いた。
「そっか……大好きなんだ……嬉しいな……」
「えっ?」
「なんでもないよ、サキちゃん! わたしも大好きだよ!」
さっきの冷徹な空気はどこへやら、そこには天使のような可愛い笑顔があった。
もう、この笑顔を写真に撮って部屋に飾り、毎日拝んでおきたいくらいだ。
(良かったぁ……機嫌直してくれたよ〜)
冷や汗を拭いながら、私は心の底から安堵した。鏡子ちゃんはやっぱり、わたしにとって大切で大好きな親友だ。
(でも鏡子ちゃんって、友達に対してもこんなにヤンデレ気質なら、もし将来、恋人とか出来たらその人は相当大変だろうな…あはは、お節介だけど心配になっちゃうよ)
そんな未来の誰かさんに同情しつつ、わたしたちは再び参考書に目を落とした。
結局、優花里さんからの通知の件は「心配性の母さん」ということで無理やり納得してもらえた……
はず!
ただ、この時のわたしはまだ鏡子ちゃんの気持ちには全く気づいていなかった。
その日はお昼まで一緒に勉強をして別れた。
午後は家で、二人に教えてもらった知識を総動員し、頭にたたき込んだ。
これで先週のわたしと比べても何倍増しかの知識量になったと思う。多分!
鏡子ちゃんの追求は真綿で首を絞める様な怖さがあります。
まだまだ彼女のヤンデレはエスカレートしていきそうです。




