正夢なんてやだよ!!
サキに、鈴木さんと二人でいたところを見られてしまった。
あの時、渡り廊下で彼女と話していた際、唐突に「あなたのことが好きだ」と告白を受けたのだ。
私は即座に、自分には心から愛している人がいると伝えた。
けれど、そのショックで彼女は涙を流して、その場に崩れてしまった。
これまで友人として信頼してきた彼女の涙を前に、私は動揺を隠せなかった。
「伊藤さん、最後のお願い……。頬でいいから、一度だけキスをして抱きしめてほしい」
泣きながらそう懇願する彼女を見て、私は、友人としての別れの儀式――チークキスのつもりで、彼女の頬に唇を寄せ、抱きしめた。
正直に言えば、私の頭のどこかには、あの日の情景が焼き付いていた。
サキが私の目の前で、優魅や後藤さんとキスをしていた、あの時の光景……
私だって、これくらいであれば、許されるのではないか。サキだって……
そんな、少しだけ投げやりで、少しだけ復讐に近い感情が混ざっていなかったと言えば、嘘になる。
だから、そこまで深く考えずに、彼女の頬を唇でなぞったのだ。
昨夜の電話でのサキは、確かに動揺しているようだった。
けれど、これまでの私の言葉、そして積み重ねてきた愛の行動を思えば、彼女もきっと納得してくれるはず。
そう、私たちはまた、明日から今まで通りの、誰にも邪魔されない恋人同士に戻る。
……私は、そう信じて疑わなかった。
自分の心の中にあった「ほんの少しの慢心」が、サキの壊れやすい心をどれほど追い詰めているか、この時の私はまだ気づいていなかったのだ。
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優花里さんとの電話を切った後、わたしは真っ暗な部屋で、ただ天井を見つめていた。
あんなに狼狽えて、話題を逸らそうとする優花里さんは初めてだった。
(……なんで? わたしが焦る時って、いつも誰かに「バレそうな時」だったよね……)
それなら、あの完璧な優花里さんが、今のわたしと同じ立場に立っているということ?
鈴木先輩との間に、わたしには言えない何かがあるということ……?
一度考え出すと、負のループは止まらない。
鈴木先輩。気品があって、美しくて、優等生で、しかも生徒会長。わたしなんかが束になっても勝ち目がない相手だ。優花里さんにはぴったりの相手かもしれない。
優魅ちゃんが言っていた「たまたま先に好きになってもらっただけ」という言葉が、呪いのように頭の中でリフレインする。
わたしは優柔不断で、鏡子ちゃんや優魅ちゃんとの間をふらふらして、いつも優花里さんを不安にさせてばかり。
それに比べて鈴木先輩なら、きっと優花里さんの隣にふさわしい、凛とした恋人になれるはずだ。
わたしみたいな平凡で目立たないお調子者のアニオタなんかよりも、ずっと……。
(だめだ……!)
考えれば考えるほど、自分が優花里さんと不釣り合いに思えてくる。
あんなに豪華な部屋を用意してくれて、あんなに可愛い服を贈ってくれて、メイドさんたちもあんなに歓迎してくれたのに。
信じたい。信じている。でも、心の隅に刺さった小さな棘が、どうしても抜けてくれない。
「うー、へこむよ……ダメになっちゃうなんて、やだよ……」
ぐちゃぐちゃになった頭のまま、わたしはいつの間にか眠りに落ちていた。
そして、わたしは夢を見た。
「サキ、今まで本当にありがとう」
白い空間の中、優花里さんが穏やかに微笑んでいた。
横には鈴木先輩。
優花里さんの瞳はもう、わたしを映してはいなかった。
「あなたと出会えて、わたしの人生に色彩が増えたわ。それは本当に感謝しているの。……けれど、わたしはあなたよりも、もっと多くの色彩を与えてくれる、この人に出会えたの」
「待ってください! 優花里さん!」
「わたし達のお付き合いは、これまでにしましょう。あなたは、後藤さんや優魅と仲良くやっていきなさいね。……今までありがとう。さようなら、サキ」
わたしに手を振ってから、鈴木先輩と手を繋ぎ、立ち去る優花里さん。
「優花里さん! 待って! わたしにはあなたが必要なんです! 優花里さんー!!」
「ゆかりさんっ!!」
ガバッと飛び起きた。
心臓が喉から飛び出しそうなほど激しく打っている。
冷や汗でパジャマが肌に張り付いて気持ち悪い。
一瞬、どこにいるのか分からなかったけれど、見慣れた自分の部屋の景色を見て、ようやくそれが夢だったのだと悟った。
「……夢、か。……よかった……」
安堵の溜息を漏らす。けれど、夢の中で優花里さんに告げられた「さようなら」の感触が、あまりにリアルで。
心臓のバクバクは収まっても、胸の奥の重苦しさは一向に消えてくれなかった。
「……でも、正夢になったら……どうしよう、やだよ……」
わたしは、優花里さんが好きだ。
鏡子ちゃんや優魅ちゃんは、わたしに「好き」だと言ってくれる。
わたしも彼女たちの事は好きだ。
けれど、その「好き」の方向は、優花里さんへ向けるものとは決定的に違っている。
鏡子ちゃんは、執着はすごいけれど、あくまで唯一無二の親友として。
優魅ちゃんは、お気に入りの可愛いおもちゃを愛でるような気持ちで。
でも、優花里さんだけは違う。
彼女だけは、わたしにとって唯一の「恋愛対象」としての好きなのだ。
彼女は、わたしが彼女の人生に色彩を与えたと言ってくれた。
けれど、本当に与えてもらったのはわたしのほうだ。彼女に出会わなければ、わたしはただの「平凡な、いちアニオタ女子高生」として、画面の向こう側の世界だけで満足していただろう。
誰かを想って胸が苦しくなることも、こんなに広い世界があることも、全部彼女が教えてくれた。
そう思うと、止まっていた涙がまた一気に溢れ出してきた。
「やだ……やだよ……優花里さんと離れたくないよ……優花里さん……」
しゃくり上げながら、暗い部屋で一人、何度も何度も繰り返す。
もし、あの夢が正夢になったら。もし、優花里さんがわたしという「不釣り合いな色」に飽きて、鈴木先輩のような「気高い色」を求めてしまったら。
もちろん自分が、独りよがりなわがままなのは、十分に分かっている。
今まで鏡子ちゃんや、優魅ちゃんとの間で流されがちなわたしは、優花里さんをヤキモキさせてしまっている事も。
でも、それでも優花里さんと離れるのは嫌だ。
考えれば考えるほど、胸の奥が張り裂けそうになる。
結局、わたしはそのまま一度も眠りにつくことができなかった。
シーツを涙と鼻水でぐちゃぐちゃにしたまま、カーテンの隙間から、無情にも新しい一日の光が差し込んでくるのを、ただぼんやりと眺めていた。
初めての、サキの嫉妬と、優花里を失う事の怖さ。
これからサキは、もう少し自分を強く持てるのでしょうか?




