37: 誰だっけ?
そばにいたかった。
金色の光をまとった新緑。
素直に、その腕に飛び込みたかった。
口が悪くて、意地悪も言うけど、私を優しく見つめる人。
フワフワの猫みたいな時もあれば、寄り添いたい大木のような時もある。お気に入りの毛布のように、温かく包んでくれる―――
……それは、……誰だっけ?
*****
紗のかかった天涯付のベットで目を覚ました。
意識がハッキリしないのは、寝起きだから?
もぞり、と寝返りをうとうとしたら、動けない。体に何か重いものが巻き付いている。
顔だけ動かすと、横に整った男性の顔があった。
「……だれ……だっけ?」
オレンジ色がかった髪が、カーテンの隙間から入り込んだ朝日でキラキラしている。
ちょっとタレ目の瞳が、ゆっくり開いた。
「ん……。おはよう、アオ」
あお?
それが私の名前?
なんだか違和感があるような、呼び慣れてるような響きにも聞こえる。
「おは、ようございます」
甘ったるい微笑みを向ける彼が、クスリと笑った。
「寝ぼけてるのかな?大丈夫?」
どうやら彼に抱き込まれていて動けなかったようだ。スルリと手を伸ばして、頬に触れられた。
あ、これはなんか慣れてる感じがする。
「あの……、私……?」
「んー、そうか、こうなるのか……。記憶が混濁してるのかな?君の名前は「アオ」俺、アーネスト・エルゼバンの恋人だよ」
「こい……びと?」
ニコっと笑ってから、徐に顔を寄せてきて、頬にキスされた。
自分でもわかる。絶対顔が赤くなってる。熱い。
「フッ、ハハ!真っ赤だね。かわいい」
そういってアーネストはムクリと起き上がった。
「さあ、今日は忙しいよ?明日から長旅をするからね。旅支度をしないと!」
起き上がってみる。
白いシルクのネグリジェ。彼も同じ生地の寝巻きを着ている。なんだか、すごく恥ずかしくなった。
それから、彼は「後でね」と、続きドアから隣の部屋に行き、廊下側のドアからはお仕着せを着たメイドが現れた。
メイドが、衣装部屋から動きやすそうなデイドレスを持ってきてくれた。チラリと見えたそこは、かなり広いのに衣装は少ししか入ってなかった。
メイドにされるがまま着替え、髪をすいて整えてもらった。
鏡に映る自分を見る。
黒髪黒目の自信がなさそうな女性がそこに映っている。
自分の状況がよく飲み込めない。
昨日何をしていたか、とか、どうしてここにいるのか、とか、自分の名前さえ「アオ」だったかどうか自信がない。
自分の足元にあるべき、地面がない感じ。
足を出せば歩けるけど、本当にここを歩いていいのか、どっちへ行けばいいのかわからない。
彼に……アーネストに聞けば全て教えてもらえるだろうか?
今、頼れるのは彼しかいなかった。
*****
「あの……、多分私、こんな風に買い物するの、初めてです!」
アーネスト様と、街の商店が並ぶ大通りに来た。
「そう?自分の目で見て、触って買い物するって楽しいよ。まずはご飯を食べよう」
それが当たり前のように手を繋がれて、一緒に歩く。
パンを焼くいい匂いや、屋台に並べられた色とりどりの果物、ショーウィンドウに飾られたかわいらしい焼き菓子。この辺りは食品やレストランが集まったエリアのようで、朝と呼ぶには遅い時間だけど、アーネスト様のオススメのカフェでパンケーキのセットを食べた。
うん。
これがパンケーキだってことは、分かる。
横にあるシロップをかけることも知ってる。
でも、目の前でニコニコしながらこちらを見ているこの人とのことを思い出せない。
「アーネスト様も、食べて下さいよ」
「食べてるよ。でも、口をモグモグさせてるアオがかわいくて、つい見ちゃうんだよね」
顔が熱くなる。
「そ、そんなこと言われたら食べられません!」
この人は、なんでこんな甘いことを平気で言えるのだろう。
「あの……、ごめんなさい。私、なんだか記憶が曖昧で……。どうしてアーネスト様と一緒にいるのか、とか、自分のことをよく覚えてないんです……」
「うん。大丈夫だよ。多分……、ちょっと頭の中がこんがらがってるんだよ。そのうち治るから、焦らないで」
「そのうち……治る?」
「俺を信用してくれる?」
アーネスト様の目を見ていると、なんだかトロンとしてくる。
「はい……。アーネスト様を信用します」
「ふふ、良かった。さ、食べたら買い物をしよう。山の方に行くからね、旅用のコートを買わないと」
その後は、旅用の動きやすい服やコート、帽子や靴を買い、大きめのトランクを買い、更には保存食まで買い込んだ。
「基本的には、町を通過する道を行くけど、どうしても無理な時もあるかもしれないからね」
と、アーネスト様は言った。
元のお屋敷に帰ると、玄関ホールに背の高い男性がいた。
黒髪黒目は私と同じ。今日、街中では瞳どころか黒髪さえ見なかったから、実はものすごく珍しいのかな、と思っていたのだけど。
「ヤト、荷物を馬車に運んでおいてくれる?」
とても使用人のよえには見えないけど、アーネスト様はこのヤトという男に頼んだ。
「どうだ?」
「んー、大丈夫そう」
「確実なのはアレを触ると分かる」
「後でやってみる」
2人で何の話をしているのか、さっぱりわからない。
「アオ、疲れたでしょ。湯浴みしてゆっくりしてていいよ」
アーネストの言葉に、朝のメイドが反応し、私を湯浴み出来る部屋まで案内してくれた。




