第八話
宮中は案外平和だ。事件がないというか、あった事件が無くなったからそう見えるというか。今一番熱い話題はやはり大伴御行のことだろう。命からがら海の旅から帰ってきた大伴御行は酷く滑稽で宮中の笑いを一人で掻っ攫っていった。石作皇子もまあクスクスとされた方ではあるが、大伴御行の前では比べられるほどでもなかった。
大伴御行の何が滑稽って、帰ってまずしたことがかぐや姫の悪口を吹聴することだった。これには石作皇子も呆れて物も言えない。かぐや姫は庶民だ。宮中でどんな噂が流れようとも痛くも痒くもない。逆になんと情けない、振られた腹いせにはああ振る舞うほかないのだと更なる嘲笑を買った。あるいは車持皇子などから余計な顰蹙を買っていた。まだまだ車持皇子はかぐや姫のことが好きなままなのだ。懲りないとは石作皇子も思うが。
不思議なことに貴公子達を振ったかぐや姫だが、宮中ではなかなか評判が良い。石作皇子だけだった時はとんでもないと言われていたが、車持皇子、阿倍御主人と続くと却って人気が出てきた。皆、権力者の失敗は面白いのだ。その上袖にされた者たちも不思議とかぐや姫の悪口を言わないので、跳ねっ返りというより慎ましい女のように見えていた。
そんな中で大伴御行が騒ぐので、大伴御行の評判が一方的に落ちていくのである。
かくいう石作皇子も決してかぐや姫を嫌っていない。
執務室に入ると石上麿足が筆を執っていた。相変わらず隙のない振る舞いと顔付きである。宮中の女房達にはそこが良いと人気があるらしい。石作皇子はそのようにモテた試しがないので世の女は不思議だなと思っていた。少なくともかぐや姫は石上麿足を隙のない美丈夫とは見まい。何ならこの間は姫の屋敷で青褪めていた男であるとすら知っているはずだ。
「よう、お前のところにも来たか? 右大臣は」
「やめてください……」
忽ち石上麿足は口元を抑えた。子供の頃からの付き合いだ。普段は気安いがこの生真面目な男は仕事中は別と石作皇子にも畏まる。
最近の阿倍御主人は意趣返しのつもりなのか、例の皮衣を自慢して回るのがお好きらしい。「かのかぐや姫に誉めていただいた皮衣です」とあちらこちらで見せて回る。もう皆がかぐや姫を知っているので、興味津々で阿倍御主人の話を聞くのだ。
しかしもちろん、阿倍御主人が石作皇子や石上麿足に皮衣を見せて話すのは嫌がらせというか、皮肉である。石作皇子はまだ笑っていられるが、石上麿足は胃が痛そうに日々を過ごしていた。
「いやあ右大臣の皮衣の話には参るね。このままじゃあその内、帝の耳にも触れるかもしれない」
そうなれば帝もかぐや姫に興味を示すかもしれない。その美貌は元よりよく知られているのだ。
「その上全員振られたしな」
なにがしたくて貴公子達の求婚を拒んだのか知らないが、帝相手では拒絶も許されない。年貢の納め時だなと石作皇子は思っていた。
まさか隣の石上麿足が真顔でいるなんて気付いてもいない。
「まだだ」
「うん?」
「まだ、フラれていない」
その瞬間、石作皇子は虎の尾を踏んだことを自覚した。
重ねて言うが、石作皇子はかぐや姫を決して嫌っていない。なので謝罪の手紙を出すくらいの心遣いはしたのである。




