第四話
「失礼、この通り試練を越えてきたぞ。確認を願いたい」
つい数十分前に出ていったばかりの石作皇子がもう戻って来た。どんと置かれた鉢はどこにでもあるような石の鉢に見えた。
仏の御石の鉢とはつまりお釈迦様がお使いになっていたと言われている御鉢のことで、日本にあってたまるか案件の代物である。
だから持ってこれるはずがないのだ。やる気があるのかこの人。
「……申し訳ございませんが、私には薄汚い石鉢にしか見えませんわ」
遠くから爺さんの悲鳴が聞こえた。だってぇ。
石作皇子は鷹揚に笑っている。
「薄汚いかぁ? これでも毎日磨いてたんだけどな」
悪びれないな。
はぁー、と硬いため息をついたのは私ではなく石上麿足だ。いることに初めて気付いた石作皇子はちょっと驚いて彼を見ている。
「なんだいたのか麿足」
「いたのかじゃない。大体なんだそれは。近くの寺の鉢だろう。見たことがあるぞ」
ものの数十分で持ってきたのだからそりゃあ手頃なところからの物だろうが、本当に手近だったんだな。
「仏の御石の鉢さ。だってどの仏か指定しなかっただろう? 釈迦だけが仏様じゃない。そういう宗教じゃないか、あれ?」
薄らと笑った石作皇子に少し戸惑うが、思い出した。そうか、そもそも仏教の受容がここ百年のことだ。石作皇子は仏教をあまり信じていないんだ。だからそういう屁理屈が出る。
いや寧ろトンチかな。一休さんかよと言いかけたがそもそも一休宗純がまだ生まれていない。口を噤んだ。
その代わりに石上麿足が呆れたように頭を振った。
「とんだ屁理屈だ。まかり通るわけないだろ」
「それはお前の決めることじゃない。それでどうだい、仏の御石の鉢の真贋のほどは?」
屁理屈とて理屈か。ようは理屈をつけて言い返さないと私の負けと見た。石作皇子は知恵比べがしたいのだ。
ではこの窮地を上手く切り抜けないと。無理難題を吹っ掛けるだけ吹っ掛けて、自身は上手い切り返し一つ出来ないと見られると安く扱われる。
ジャパニーズ・ファム・ファタールとしてはそれは絶対に見過ごせない。何故なら今は私がかぐや姫だから。
「……仏の御石の鉢には早いでしょう」
「早い?」
「持ち主の住職はまだ生きておられるのでは? 仏になりましたら真ですね」
一拍、二拍。誰も応えなかった。
いつの間にか石作皇子は真顔でこちらを、いや御簾に阻まれて私の姿が見えないはずだから、私の錯覚なのだが、見ていた。
なんだかトカゲみたいだなと思った。
顔の作りが、とかではなくて瞳の強さが。
本当ならヘビみたいなと形容するべきなのだろうが、そこまで威圧的ではない。他者を脅かすほどではない。ただ、他者から脅かされない程度の強さを秘めた瞳だと思った。
何といったかな、あの種類のトカゲ。
ああ、たしか家守といった。
「なるほど。やっぱり車持のヤツには合わなさそうだ」
ようやく返ってきた言葉にムッとする。最初から相手にするつもりはないが、相応しくないと言われた気持ちだ。だが石作皇子はやっぱり悪びれない。
「女性と言えば普通、漢字の一の文字も読めないフリをするもんじゃない?」
紫式部かよ。もちろんまだいないので口の内側を噛んで耐える。なんなら平安京どころか平城京にすら遷都していない時代だからね、今。
「淑やかな振る舞いを求められているのなら、最初からそう躾けられた女性を妻になさった方がよろしいわ。綺麗な毛並みなだけの珍獣を欲しがったのですもの。噛みつかれたくらいで怒らないでいただきたいですわね」
「違いない。今回は悪かったねかぐや殿。詫びと言っちゃあなんだがアンタに協力してやろう」
ニヤと石作皇子が口角を上げた。そうすると本当に軽薄だこと。
「そこにいる麿足を貸してやるよ」
「は、なにを」
「まあ待て。麿足お前も心配じゃないのか? かぐや殿がフろうとしている男共は面倒臭い馬鹿共ばかりだぞ。車持のヤツも例に漏れずにね。家ごと潰されちゃあ竹取の翁も気の毒だろう」
爺さんが遠くでひぃと悲鳴を上げた。
そこは私も気にはしていた。
面目を潰されたと逆恨みされたら、それこそ襲撃されかねない。それが出来る権力を持った男達ばかりなのだから。対する爺さんはいくら成金とはいえどちらかというと御伽噺でいうところの「善良な爺さん」であるので、人からの悪意に特に弱いところがある。
しかしその不安が石上麿足がいることで解消されるのだろうか。原作の竹取物語では相当ドジなイメージしかない。もちろん目の前の本人はもうちょっと有能そうではあるが。
「勝手に決めるな」
「決めていい立場だろう、俺は。お前の上司みたいなもんだぞ?」
「だからと言って。こちらにも仕事はあるし、そもそも俺自体が求婚者の一人だろうが」
「この時期に燕の子安貝なんてどうやって探すんだよ。燕すらいないだろ」
確かに。石上麿足も自分から求婚者レースから外れてくれそうだが、少なくともあと半年。燕の到来までは達成も未達も報告は難しいだろう。
まだ食い下がろうとする石上麿足に対して、石作皇子は呆れたように肩を竦めた。
「大体ね、詫びなくちゃいけないのはお前も同じだろうが。毎日毎日下手くそな太鼓聞かせやがって」
仲間内でも調子外れの太鼓だと思われてたんだ。
「それに別に職務放棄しろとも言ってない。かぐや殿の屋敷が火に掛けられないように、憎悪の向く先を逸らしたやれと言ってるんだ。そういうの得意中の得意だろうが」
あー。火を着けられるのは困るな。この家は竹造りだから良い音が鳴ってしまう。
そして中納言。天皇と貴族の間の中間管理職……というとちょっと大味過ぎるが、人と接することが第一の職であることは間違いない。石作皇子のこの口振りでは人心掌握も出来るようだ。受ける印象では想像つかないけど。
味方についてくれるのなら心強い。こちとら庶民、宮中の動きはてんでわからん。教えてくれる人いるのは助かる。
石上麿足はボソッと「そんなに酷かったですか」と拗ねたように呟いた。間髪入れず石作皇子が「酷かった」と返し、私も頷く。御簾越しでも動きは影で見えたのだろう。石上麿足は観念したようにもう一度大きくため息をついた。
「わかりました。かぐや殿のために働きましょう」




