第20話 姫殿下御転居 2
東京西新橋、その一角に瑠沙ビルディング東京第一は有る。九階建てのそのビルは、周囲のビルが高層化していく中ではいささか古びて見えるかもしれない。建築年数も五十年余りが経ち、その母体である瑠沙HDの方でも建て替えを検討している様である。
そのビルのオーナーである瑠沙家は、ルサ・ロワール星間王国からの事故により地球に遭難してから現地への同化を進め、秋田の山郷の一商家から始まり、職人集団を多く抱え、やがて東北地方を中心に蝦夷(北海道)、北関東まで商圏を拡大させていった。
そして、江戸中期にそれまで限定的だった関東以西への流通を拡大するため、北前船による輸送量を増加、江戸日本橋への出店を果たした。
瑠沙田沢屋として北前船による物流、絹、綿織物、装飾工芸品、打刃物などを扱う、総合商社的な立場で江戸以西へと商圏を拡大させていく。
織物の緻密さ、染めの美しさ、工芸品の他では真似のできぬ精緻な技術、どこの刃物よりも切れて長持ちするなど、その背景にある数十世紀も進んだ星間王国の技術力あっての物であった。
明治期に入ると、瑠沙田沢屋は繊維、食料品、雑貨などの部門は瑠沙商事へ、工芸品、刃物などは瑠沙工業へと別れる。
瑠沙商事は、これまで扱ってきた国内物産と、拡大した輸入品取り扱いでさらに利益を増大させていく。
当時、まだ少なかった民間での英語、フランス語、スペイン語などの外国語習得者が瑠沙商事では、その役職者の殆どが、何がしかの言語を習得していたと言われている。当然、他の商社や商店が通訳者を介しての外国商人との交渉よりも、有利に早く進めることができたのだ。
これも、圧縮学習ギアなどの星間王国の言わば、チート技術あってのものなのであった。
瑠沙工業の方はというと、海外の産業革命によって進む工業化に日本も追い付けとばかりに、近代工業化が進められていった。
しかし、これは瑠沙の里の人間からしてみれば何ほどの事ではなく、星間王国にアーカイブされた古典技術をほんの少し開示したに過ぎなかった。
まずは、その精度から国内では何処も成しえていない機械を作る機械、いわゆるマザーマシンの製造に取り掛かった。
だがしかし、そこで気を付けなければいけないのは技術が進み過ぎないこと。海外で現在作られている機械を参考に、ほんの少し精度を高く、ほんの少し画期的な技術で国産マザーマシンを作り上げていった。
それと同時に瑠沙商事の主要商品である繊維製品の製造機械化にも取り掛かる。これもフランスで作られた自動織機を参考に作るが、この製品は長くは続かなかった。後に出た、中部地方の会社が開発製造した新型自動織機が画期的発明とのことで爆発的に広まったのだ。この機械は後に海外に輸出される程となった。
明治と言う時代において、瑠沙商事と瑠沙工業を重要な国内産業として定着させた大きなきっかけがあった。
それは、江戸時代初期から陰から支え続けた地元藩主が爵位を叙爵されたことだった。
藩幕体制最後の藩主となったこの人物は、新政府下で藩知事となり侯爵の爵位を授けられる。
この人物の推挙によって瑠沙商事は新政府の軍事物資の海外からの調達の一部を受けることとなった。
それと並行して、瑠沙工業の方へは新政府から、輸入された兵器の一部をサンプルとして国内での武器、装備品の開発製造を進めよ、という通達が下された。
これによって、瑠沙家の日本国内の産業界の足場は固められたのである。
現在、瑠沙商事は秋田を本社に、品川、大阪、福岡に支社がある。
瑠沙工業は後に瑠沙重工業、瑠沙精密工業とに分かれ、東京有楽町に自社ビルを構え、両社ともに本社機能をそこに置いている。
そして、平成の世になり、世の中が不況と言われ企業買収などや吸収、合併などが頻繁に行われるようになると、その対策として、すべての系列会社の持株会社として瑠沙HDを置き、敵対的買収などに備えた。それと同時に、増えた系列企業がそれぞればらばらに動くことで、それで無くても多い機密情報を外部に漏らすことの無いよう全社を統括、管理することとなった。
さて現在、東京駐在所の入る瑠沙ビルディング東京第一があるこの場所は、江戸時代は武家屋敷の並ぶ屋敷町であった。
明治になると、新政府によって土地は接収され、華族に叙せられたものや有力実業家たちに払い下げられることとなった。
当然のごとく、軍の装備品の開発、製造を請け負うこととなった企業を所有する瑠沙家にも声がかりがあり、現在のこの土地を取得することに至ったわけである。
黒塗りのドイツ製高級車が、西新橋の交差点を虎ノ門方面へと曲がって行く。
有楽町に有る瑠沙重工業本社を出たこの車は、目的地である同系列会社のビルに向かうには、一方通行路の多いこのエリアは大きく回り込まねばならなかった。
この車の後部座席には、一人の男性が座っていた。
年の頃は三十台後半であろうか。顔の造形は掘り深く、モデルや俳優もかくやと言う美形であった。黒髪を短く刈り込み、スーツの上からもその体ががっしりとした筋肉質であることがわかる。
車は西新橋の瑠沙ビルディングの駐車場に入ると、ビル入口の近くに止まった。
運転手が運転席から降りてきて、後部ドアを開ける。
後部座席の男性は車から降りると、自身のネクタイを直しスーツのボタンをかけた。そして、ビル入口へと入っていった。
入口に入ると、受付横に立つ警備員に声を掛けられた。
「おはようございます、丈一郎様。ご無沙汰しております。大変失礼ではございますが、本日はご来訪の連絡はいただいておりましたでしょうか?」
受付に立つ初老の警備員は、訪れた男性を見知っているようだった。
「おはよう、比嘉さん。お久しぶりです。アポ無しで急に来て申し訳ない。今日は、大切なお客様がこちらにいらっしゃるので、ご挨拶をと思って来たんですよ。それに、新しい所長さんにもご挨拶をね」
丈一郎と呼ばれた男性は、にこやかにそう答えるとエレベーターへと向かう。
彼はエレベーターに乗り込み、腕時計で時間を確認するとスーツのポケットからカードを取り出して、階数ボタン下のスライドを開ける。そこにあるタッチパッド式のカードリーダーにカードを当てると九階のボタンを押した。
瑠沙丈一郎は、昨日にほぼ同時に入った二つの連絡に戸惑い、対応に追われてしまった。
一つは、瑠沙の里に現在滞在している星間王国第三王女の東京別邸への転居。
自分自身、東京での忙しさにかまけて年末年始の里帰りさえせず、昨年末より里に滞在している王女殿下に目通りさえしていない。一度帰って、挨拶だけでもさせて頂くんだったと、後悔してももう遅い。
現在も瑠沙重工ビル内にある、瑠沙HD東京第一経営企画室の丈一郎の部下たちは、その対応に追われ走り回っていることだろう。
子供のお使いではないのだ、いらっしゃいませ、こんにちはだけで済むわけがない。
相手は王族直系のお姫様であり、こちらも王家に連なる傍系貴族家である。それなりの対応をしなければならないのに、本家当主である父親は、
「明日、姫様が東京に移られる。本家嫡男として、お迎えしてご挨拶をしろ」
これだけである。
なぜに前日の連絡なのだ? 準備だってあるだろうに。
星間王国の存在は地球各国に秘匿され、第三王女の来訪、長期滞在も公にはされていない。しかし、東京の瑠沙関連企業の要職者の顔見せを兼ねての、パーティーは開けぬとも、歓迎の食事会くらいは必要だろう。
それに、御転居祝いの贈答品だって必要となる。高貴な立場の方だ、それなりのものは用意しなければならない。
丈一郎は、頭を掻きむしりたくなるのを懸命に堪えた。
そして、もう一つ持ち込まれた問題。これは、内閣調査室から持ち込まれた案件だった。
地球外からと思われる先進技術が達磨重工業に持ち込まれたと言う。これは、里の方に内調から、瑠沙側からの技術漏洩などが無いか、調査を依頼するとのことなので里からの指示待ちとなるだろう。
それまでに、こちらでも重工、精工両社の情報漏洩が無かったか調査を進めておかなければならない。
エレベーターは、九階へと直接上がっていくものと思っていた丈一郎は、七階で止まってドアが開きそこに立つ二人の人物を見て驚いた。
その思いは、向かって立つ人物も同じだったようで驚いた顔をしている。
「丈一郎さん!? 連絡が無かったので、今日はいらっしゃらないと思っていました」
ドア前に立った健人は、驚きと共にそう言った。
後ろに立つ瑛美は、そんな二人をうかがうように見ている。
「やあ、健人、久しぶりだね。普段から忙しい所に今日の準備に追われてしまってね、肝心のこちらへの連絡が疎かになってしまって申し訳ない」
丈一郎は一歩下がると、二人にエレベータに乗るように促す。
二人が乗り込みドアが閉まると、丈一郎は瑛美へと話しかけた。
「エイミー・クリス少佐ですね、初めまして。本家長男の瑠沙丈一郎です。本家と系列企業の情報担当および、政府と省庁、企業との交渉担当をしています。駐在所とはこれから色々やり取りがあると思いますので、よろしくお願いします」
丈一郎は瑛美に体を向けると頭を下げた。
「はい、こちらこそよろしくお願いします。お父上から、あなたのことは伺っています」
瑛美は顔を向け、口元に笑みを浮かべて答えた。
「少佐、それと健人、急な申し入れで申し訳ありませんが、今日の午後にでも少し時間をもらえませんか? お話しておきたいことがあります」
エレベーターが九階に着くと、瑛美、丈一郎、健人と降りてこの階に設置されたテレポートルームへと向かった。




