■第7章:面接官—「正義と罪の境界」
春の風はまだ冷たかった。
陽光の下でさえ、暗い影が地面に長く伸びていた。
亮介は、企業の受付で名を告げる。
面接官の名前を。
自分の息子を否定した人物の名前を。
「少々お待ちください」
受付の女性は業務的に微笑む。
ここでは、息子の死は“統計の外側”だ。
ひとつの事故例にすぎない。
◆
会議室。
壁には理念を謳うポスター。
「挑戦を恐れない者だけが未来を掴む」
その文言に、亮介の胸がわずかに痛む。
面接官が現れた。
四十代前半。
スーツの皺はなく、
目は必要以上に澄んでいる。
「本日は、どのようなご用件で?」
声音は穏やかだが、
感情を一切反映しない無機の明瞭。
亮介は一度深く息を吸う。
「先日、息子が……自死しました」
「……。
それは、お気の毒に」
言葉には哀悼の色が乗っている、
ただし手順としての哀悼だった。
「御社の面接を受けていました」
「承知しています」
全てを数値化し、記録として扱う態度。
その“正しさ”が恐ろしく残酷に見えた。
「面接で何があったのか……知りたい」
「お伝えできることは多くありません」
面接官は資料を開かない。
記録を見ずとも、すべて頭に入っているのだろう。
「端的に申し上げれば、
息子さんは弊社の基準に達していなかった」
それは刃物のように滑らかで、
痛みが遅れて襲ってくる言葉。
「基準……」
「ええ。
我々は、限られた椅子を最適な人材に渡す必要があります」
「では……息子は不要だった、と?」
「生産性という点では、そうなります」
亮介の手が震えた。
「息子は、医療と生活をつなぐ研究をしていました。
それは……社会に価値のあるものでしょう」
「価値は“成果”が証明して初めて成立します」
「息子はまだ二十歳です。
成果を出す前に——」
「出せなかった、でしょう?」
面接官のまなざしが、揺れない。
冷静で、整然としている。
「我々は、弱さに配慮する余裕がありません。
未来の速度は、競争が決める。
遅れた者は……置いていかれます」
「置いていかれた人間の未来は、どうなる?」
「存じ上げません。
企業は福祉機関ではありませんので」
亮介は、言葉の重力に押しつぶされそうになる。
「息子は……挑戦していました」
「挑戦は結果が伴わなければ評価できません」
「しかし……努力を——」
「努力は自己満足です」
即答だった。
まるで、世界の法則でも述べるかのように。
亮介の胸が裂ける音がした。
「息子さんは優秀だったのかもしれません。
しかし、プロセスより結果が重視される場で、
彼は結果を示せなかった」
面接官は立ち上がった。
「もう、お時間です。
これ以上の議論は実りません」
ドアに手をかける。
「……息子は、あなたに切り捨てられたんだ」
亮介の声は低く、震えていた。
「いいえ。
息子さんを採用できなかったのは、
息子さん自身の問題です」
言葉を、冷たいまま丁寧に。
「我々は、合理的に判断しただけ」
◆
それが、社会の正しさだった。
そして同時に、息子を殺した仕組みでもあった。
面接官が出ていき、
会議室に取り残された亮介は、
息ができなくなりそうだった。
「合理……か」
椅子に座り込む。
脈が速い。
耳鳴りがする。
「そんな未来が……
息子を追い詰めたんじゃないのか」
すべてを否定したい。
すべてを壊したい。
そんな激しい衝動の奥底に、
別の感情が揺れ始めていた。
——合理の外にある命を、
彼は守ろうとしたのではないか。
◆
外に出ると、陽が眩しかった。
人々は、正しい未来へ歩いている。
速度を落とす者は、ただはじき出される。
「だけど……」
亮介は、拳を握りしめた。
「息子は、置いていかれても……
未来を信じたかった」
信じたかったから、
あの技術を育てていた。
誰かの痛みを救うための技術を。
それでも追いつかなかった。
だから——
歩みを止めた。
◆
自宅に戻ると、
椅子に座ったさつきが、
暗いリビングで膝を抱えていた。
「どこに行ってたの」
声は低く、弱い。
「息子の面接官に会ってきた」
「どうしてそんなことを……」
「知りたかったんだ。
何が、息子を追い詰めたのか」
「それで、何かわかったの?」
亮介はゆっくり言った。
「社会は……息子を救う気なんてなかった」
さつきの目が、大きく開いた。
「じゃあ……
誰が救えばよかったの?」
亮介は、答えられなかった。
その沈黙が、
夫婦の距離をより深い暗闇へ押し広げる。
「あなたでもないのに……?」
その一言は、
胸の奥深くを正確に刺した。
「ごめん……」
「謝らないで。
謝られると、余計に苦しい」
さつきは立ち上がり、
寝室の扉へ向かった。
「私は……息子と一緒にいたかった」
扉が静かに閉じられる。
亮介は、何もできなかった。
何も。
◆
夜が訪れる。
団地の窓に灯りがともり、
すぐに消えていく。
世界は眠りにつく。
未来が欠けたことにも気付かないまま。
亮介はベランダに立ち、
空を見上げる。
星はどこにもない。
「合理の外に、生きる場所を」
息子が願った未来。
「それを……俺が探す」
その言葉は、
静かに胸の奥で火種となった。
第7章 完




