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未来の速度で  作者: 未世遙輝
エピソード1
7/31

■第7章:面接官—「正義と罪の境界」




 春の風はまだ冷たかった。

 陽光の下でさえ、暗い影が地面に長く伸びていた。


 亮介は、企業の受付で名を告げる。

 面接官の名前を。

 自分の息子を否定した人物の名前を。


「少々お待ちください」


 受付の女性は業務的に微笑む。

 ここでは、息子の死は“統計の外側”だ。

 ひとつの事故例にすぎない。



 会議室。

 壁には理念を謳うポスター。

 「挑戦を恐れない者だけが未来を掴む」


 その文言に、亮介の胸がわずかに痛む。


 面接官が現れた。

 四十代前半。

 スーツの皺はなく、

 目は必要以上に澄んでいる。


「本日は、どのようなご用件で?」


 声音は穏やかだが、

 感情を一切反映しない無機の明瞭。


 亮介は一度深く息を吸う。


「先日、息子が……自死しました」


「……。

 それは、お気の毒に」


 言葉には哀悼の色が乗っている、

 ただし手順としての哀悼だった。


「御社の面接を受けていました」

「承知しています」


 全てを数値化し、記録として扱う態度。

 その“正しさ”が恐ろしく残酷に見えた。


「面接で何があったのか……知りたい」

「お伝えできることは多くありません」


 面接官は資料を開かない。

 記録を見ずとも、すべて頭に入っているのだろう。


「端的に申し上げれば、

 息子さんは弊社の基準に達していなかった」


 それは刃物のように滑らかで、

 痛みが遅れて襲ってくる言葉。


「基準……」

「ええ。

 我々は、限られた椅子を最適な人材に渡す必要があります」


「では……息子は不要だった、と?」


「生産性という点では、そうなります」


 亮介の手が震えた。


「息子は、医療と生活をつなぐ研究をしていました。

 それは……社会に価値のあるものでしょう」


「価値は“成果”が証明して初めて成立します」


「息子はまだ二十歳です。

 成果を出す前に——」


「出せなかった、でしょう?」


 面接官のまなざしが、揺れない。

 冷静で、整然としている。


「我々は、弱さに配慮する余裕がありません。

 未来の速度は、競争が決める。

 遅れた者は……置いていかれます」


「置いていかれた人間の未来は、どうなる?」


「存じ上げません。

 企業は福祉機関ではありませんので」


 亮介は、言葉の重力に押しつぶされそうになる。


「息子は……挑戦していました」


「挑戦は結果が伴わなければ評価できません」


「しかし……努力を——」


「努力は自己満足です」


 即答だった。

 まるで、世界の法則でも述べるかのように。


 亮介の胸が裂ける音がした。


「息子さんは優秀だったのかもしれません。

 しかし、プロセスより結果が重視される場で、

 彼は結果を示せなかった」


 面接官は立ち上がった。


「もう、お時間です。

 これ以上の議論は実りません」


 ドアに手をかける。


「……息子は、あなたに切り捨てられたんだ」


 亮介の声は低く、震えていた。


「いいえ。

 息子さんを採用できなかったのは、

 息子さん自身の問題です」


 言葉を、冷たいまま丁寧に。


「我々は、合理的に判断しただけ」



 それが、社会の正しさだった。

 そして同時に、息子を殺した仕組みでもあった。


 面接官が出ていき、

 会議室に取り残された亮介は、

 息ができなくなりそうだった。


「合理……か」


 椅子に座り込む。

 脈が速い。

 耳鳴りがする。


「そんな未来が……

 息子を追い詰めたんじゃないのか」


 すべてを否定したい。

 すべてを壊したい。


 そんな激しい衝動の奥底に、

 別の感情が揺れ始めていた。


——合理の外にある命を、

 彼は守ろうとしたのではないか。



 外に出ると、陽が眩しかった。

 人々は、正しい未来へ歩いている。

 速度を落とす者は、ただはじき出される。


「だけど……」


 亮介は、拳を握りしめた。


「息子は、置いていかれても……

 未来を信じたかった」


 信じたかったから、

 あの技術を育てていた。


 誰かの痛みを救うための技術を。


 それでも追いつかなかった。


 だから——

 歩みを止めた。



 自宅に戻ると、

 椅子に座ったさつきが、

 暗いリビングで膝を抱えていた。


「どこに行ってたの」


 声は低く、弱い。


「息子の面接官に会ってきた」


「どうしてそんなことを……」


「知りたかったんだ。

 何が、息子を追い詰めたのか」


「それで、何かわかったの?」


 亮介はゆっくり言った。


「社会は……息子を救う気なんてなかった」


 さつきの目が、大きく開いた。


「じゃあ……

 誰が救えばよかったの?」


 亮介は、答えられなかった。


 その沈黙が、

 夫婦の距離をより深い暗闇へ押し広げる。


「あなたでもないのに……?」


 その一言は、

 胸の奥深くを正確に刺した。


「ごめん……」


「謝らないで。

 謝られると、余計に苦しい」


 さつきは立ち上がり、

 寝室の扉へ向かった。


「私は……息子と一緒にいたかった」


 扉が静かに閉じられる。


 亮介は、何もできなかった。

 何も。



 夜が訪れる。

 団地の窓に灯りがともり、

 すぐに消えていく。


 世界は眠りにつく。

 未来が欠けたことにも気付かないまま。


 亮介はベランダに立ち、

 空を見上げる。


 星はどこにもない。


「合理の外に、生きる場所を」


 息子が願った未来。


「それを……俺が探す」


 その言葉は、

 静かに胸の奥で火種となった。


第7章 完


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