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未来の速度で  作者: 未世遙輝
エピソード1
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3/31

▼第3章:社会の冷たい手続き


 葬儀が終わった翌日。

 春曇りの空は、やけに薄かった。

 街の雑踏は、何も知らずに過ぎ去っていく。

 ただ一つの命の喪失すら、世界は計算に入れない。


 亮介は、役所のロビーの硬い椅子に座っていた。

 妻・さつきは横で書類の入った封筒をぎゅっと握りしめている。


「死亡届、こちらで……。あ、大学生の方ですか?

 それでしたら、こちらの欄を……」


 職員は丁寧だが、異様に手際が良い。

 まるで「毎日のことで慣れている」という現実が透けて見える。


 朱肉の匂い。

 紙がかさりと擦れる音。

 亮介の視界が淡く揺らぐ。


 この一枚の紙が、息子の**「生きた証の削除指令」**に見えた。


「……お願いします」


 口が、勝手に動いた。


 印鑑が押された瞬間、

 息子の人生が「事務処理」として確定された。


◆


 大学へ連絡を入れる。


「ご愁傷様です」

「残念なことです」

「学籍処理につきましては……」


 淡々とした説明。

 退学の手続き。

 貸出機器や学生証の返却。


 ——言葉がどれも現実から浮いている。


 父は言いかけた。


「息子は、研究を……」

「ええ、承知しております。ですが……」


 話は遮られる。

 息子の名は、書類の中で項目へ変換された。


◆


 そして企業からのメール。


件名:弊社面接結果につきまして

本文(定型文):


この度は誠に残念ながら——


 亮介は、そこで画面を閉じた。

 息子はもう読むことができない。

 そして、読むべきだった言葉は届きもしなかった。


◆


 夜、リビングの灯りはついたまま。

 数日分の時が止まっている。


 亮介は、息子の部屋の前に座り込んでいた。

 ドアを開ければ、彼の世界がまだそこにある。

 だが、同時に「いない」という真実と対面することになる。


 迷って、手を伸ばす。


 扉は、驚くほど軽く動いた。


 部屋の中。

 PCは机の上に置かれたまま。

 昨日まで見た景色そのまま。


 椅子の背に掛かったパーカー。

 枕元に置かれたスキー雑誌。

 ベッド脇の棚に、小学校のメダル。


「悠人……」


 名前を呼んだ声は震えていたが、

 返事はない。


 当たり前なのに、心が受け入れられない。


◆


 PCを起動する。

 パスワードは入力済みでログイン状態だった。


 デスクトップに、

 研究フォルダがそのまま残されている。


 亮介は震える手でクリックした。


——未来設計

——集中維持

——親に説明するには

——完成したら見せたい人リスト(空)


 そのファイルだけ、中身が消されていた。


 父の心臓が凍る。


「俺……入ってたんだろ……そこに……」


 消されたのはデータだけではない。

 未来から自分が削除されたのだ。


◆


 スマホを手に取る。

 ロック画面には、面接当日の歩数計が残っていた。


「パスコードは……」


 試してみる。

 誕生日、家族の記念日、部活番号……すべて失敗。


【Touch ID 不一致】

【パスコードが違います】


 拒絶されるたび、

 息子との距離が遠ざかる錯覚。


「頼む……教えてくれ……」


 声にならない声が漏れる。


 だが、画面はただ冷たく光るだけ。


「悠人……おまえ、なんで……」


 膝が崩れた。

 床に手をついて、呼吸が乱れ始める。


 そこへ、さつきが駆け寄った。


「亮介さん……!どうしたの……」


「スマホが……開かない……

 悠人の言葉が……届かない……」


 父の嗚咽は、言葉にならなかった。


◆


 さつきの目の奥に、静かな怒りが宿る。


「どうして、もっと早く気付かなかったの……

 あなた、いつも仕事ばかりで……!」


「違う……ちゃんと見てた……理解してた……

 一緒に、生きてきたんだ……!」


「だったら、どうして……!」


 二人の間に、

 張りつめた氷のような感情の裂け目が生まれる。


 父は自責に沈み、

 母は責任の所在を探し始める。


 同じ方向へ向くはずの痛みは、

 わずかなずれで、互いを傷つける刃になる。


◆


 夜が深まる。

 団地の灯りは次々と消えていく。

 世界は眠る準備をしている。


 亮介は、一人ベランダに立ち、

 遠くの大学の方角を見つめた。


「息子は、まだ生きていたんだ……昨日まで」


 その言葉は風に溶け、

 どこにも届かない。


 だが、心の奥底で

 非常に微かな火が灯った。


——悠人の未来は、まだ消えていない。

——息子が残した技術が、誰かを救うかもしれない。

——それを証明するまで、終わりにしない。


 父の目がわずかに、前を向いた。

 その小さな起点が、

 次章で訪れる“継承”の始まりとなる。


第3章 完


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