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未来の速度で  作者: 未世遙輝
エピソード1
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 ■第2章:突発 —「消された行き先」



 翌朝。

 春の始まりを示す淡い陽光が、レースカーテン越しに差し込んでいた。


 佐伯悠人は、布団の中でスマホを握りしめていた。

 画面には、面接の不採用通知。

 まだ通知音も立てず、静かにそこにあるだけ。


 寝返りを打つと、机の上の研究ノートが目に入った。

 「認知補助AI — 集中維持アルゴリズム」

 彼が大学でずっと取り組んできたもの。


 ——昨日の自分は、まだ未来を描けていたはずだ。

 その確かさが、朝にはもう揺らいでいる。


 部屋の外から、母・さつきの声。


「悠人、ごはんできてるよ」


「……いらない」


 その返事は、数ヶ月前の彼なら絶対に言わなかった。

 朝食は体力温存の源だと、彼は理解していた。

 中学でADHDを診断されたあと、父と二人で導き出したルールだ。


 水泳。

 テニス。

スキー。

キャンプ、器材の整頓、荷物のリスト化。


「できるようにしてきた」。


父も母も、彼が困らないように支えてきた。

支え合って、生きてきた。


 なのに今朝、何かが一つだけ壊れた。



 亮介は、リビングでコーヒーを温め直しながら、

 息子の異変を感じ取っていた。


「昨日の面接、だいぶハードだったんだろう」


 独り言のように呟く。

 父として、言葉をかけるべきとわかっている。

 しかし、息子の誇りを折るような踏み込みが怖い。


 いつも理解してきたはずだ。

 でも——「今」の理解に遅れている。


 さつきが静かに言う。


「今日、大学行くのかしら」


「わからない……少し様子を見よう」


 二人の沈黙が、家庭を鈍く包んだ。



 昼近くなって、悠人は起き上がった。

 目の下に薄い隈。

 手足が少し震えている。


 机の前に座り、PCを開く。


 研究フォルダを開いた瞬間、

父がのちに知ることとなる重要な変化が、

静かに進行していた。


 一部のファイルに削除痕。

ページ数不整合。

ノートの付箋が無理矢理剥がされた跡。


 「未来」が書かれた部分からだけ。


「……なんでだよ」


 自分で消したはずなのに、

自分で壊した痛みが、頭の芯に鋭く刺さる。


 未来の速度で走れる脳。

でも未来が止まった瞬間、速度は刃に変わる。


 過集中で突っ走ることもできず、

逆算した先が真っ暗になる。


 恐怖。


 自分の脳に裏切られた恐怖。



 午後、亮介は意を決して息子の部屋をノックした。


「悠人、少し話せるか?」


「……あとで」


 ——あとで。

 昨日と同じ。

しかし声が違った。

奥底に、乾いた音。


 亮介は、そこで一度引いた。

タイミングを誤れば、全てを壊すと知っている。


 だが、同時に理解していた。


 “あとで”は、もう来ないかもしれない。



 夕食。

 皿は三つ並んでいたが、悠人は席に着かなかった。


「寝てるのかしら……」


「いや、起きてる」


 父は確信していた。

 息子の気配は、眠りから遠い。

むしろ何かを断ち切れるほど冴えている。


「声、かけてみようか」


 母が震える手で水を置く。


「うん、行ってくる」


 亮介は立ち上がり、息子の部屋前へ歩く。


 ドアをノックし、ゆっくり声をかけた。


「悠人。俺はここにいるからな」


 その言葉に、返事はなかった。

ただ、沈黙が壁より分厚く横たわる。


 最後に聞いた気がする。

声とも呼べない、摩擦音のような囁き。


「……ごめん」


 それが、父が聞いた悠人の最期の声だった。



 それから数時間後。

 急速に流れる救急車の赤い光と、

警察と医療スタッフの手際の良さは、

逆に現実味を奪った。


 無音の泣き声を上げたのは母だった。

父は声を失ったまま、ただ立ち尽くす。


「なぜここに、命が、置いていかれた」


 父の脳裏に、言葉ではない感覚が刺さる。

 全てが遅れて気付く痛み。


 PC画面は開かれたまま。

作業途中のコード。

削除されたログ。

残されたノートの空白。


 悠人が最後に触れた未来の断片。


「どうして……」


 亮介の手が震える。

残酷な現実が突然すぎて、

怒りより先に、理解が追いつかない。


「昨日まで、息子は未来を生きていたんだぞ……」


 光が一つ消える音がした。

団地の外に出ると、夜空は風にかき消され、

どこにも星がなかった。


 父の時間が、そこで止まった。



 後に、亮介はPCの削除ログを調べることになる。

 その時、震えながら気づくのだ。


・削除されたのは

 「完成したら見せたい人リスト」

 というタイトルのメモ


・リストには

 ——父の名前が一番上にあった


 それを自分で消すほど、

 息子は追い込まれていた。


 父は、自分の心臓を掴まれたように痛む。

 なぜ、その時、ドアを開けられなかった。


「全部、間に合わなかった……」


 亮介の言葉は、誰にも届かない。

届いてほしかった唯一の相手は、

もうどこにもいない。


第2章 完


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