表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
未来の速度で  作者: 未世遙輝
エピソード1
3/31

▼第3章:社会の冷たい手続き


 葬儀が終わった翌日。

 春曇りの空は、やけに薄かった。

 街の雑踏は、何も知らずに過ぎ去っていく。

 ただ一つの命の喪失すら、世界は計算に入れない。


 亮介は、役所のロビーの硬い椅子に座っていた。

 妻・さつきは横で書類の入った封筒をぎゅっと握りしめている。


「死亡届、こちらで……。あ、大学生の方ですか?

 それでしたら、こちらの欄を……」


 職員は丁寧だが、異様に手際が良い。

 まるで「毎日のことで慣れている」という現実が透けて見える。


 朱肉の匂い。

 紙がかさりと擦れる音。

 亮介の視界が淡く揺らぐ。


 この一枚の紙が、息子の**「生きた証の削除指令」**に見えた。


「……お願いします」


 口が、勝手に動いた。


 印鑑が押された瞬間、

 息子の人生が「事務処理」として確定された。



 大学へ連絡を入れる。


「ご愁傷様です」

「残念なことです」

「学籍処理につきましては……」


 淡々とした説明。

 退学の手続き。

 貸出機器や学生証の返却。


 ——言葉がどれも現実から浮いている。


 父は言いかけた。


「息子は、研究を……」

「ええ、承知しております。ですが……」


 話は遮られる。

 息子の名は、書類の中で項目へ変換された。



 そして企業からのメール。


件名:弊社面接結果につきまして

本文(定型文):


この度は誠に残念ながら——


 亮介は、そこで画面を閉じた。

 息子はもう読むことができない。

 そして、読むべきだった言葉は届きもしなかった。



 夜、リビングの灯りはついたまま。

 数日分の時が止まっている。


 亮介は、息子の部屋の前に座り込んでいた。

 ドアを開ければ、彼の世界がまだそこにある。

 だが、同時に「いない」という真実と対面することになる。


 迷って、手を伸ばす。


 扉は、驚くほど軽く動いた。


 部屋の中。

 PCは机の上に置かれたまま。

 昨日まで見た景色そのまま。


 椅子の背に掛かったパーカー。

 枕元に置かれたスキー雑誌。

 ベッド脇の棚に、小学校のメダル。


「悠人……」


 名前を呼んだ声は震えていたが、

 返事はない。


 当たり前なのに、心が受け入れられない。



 PCを起動する。

 パスワードは入力済みでログイン状態だった。


 デスクトップに、

 研究フォルダがそのまま残されている。


 亮介は震える手でクリックした。


——未来設計

——集中維持

——親に説明するには

——完成したら見せたい人リスト(空)


 そのファイルだけ、中身が消されていた。


 父の心臓が凍る。


「俺……入ってたんだろ……そこに……」


 消されたのはデータだけではない。

 未来から自分が削除されたのだ。



 スマホを手に取る。

 ロック画面には、面接当日の歩数計が残っていた。


「パスコードは……」


 試してみる。

 誕生日、家族の記念日、部活番号……すべて失敗。


【Touch ID 不一致】

【パスコードが違います】


 拒絶されるたび、

 息子との距離が遠ざかる錯覚。


「頼む……教えてくれ……」


 声にならない声が漏れる。


 だが、画面はただ冷たく光るだけ。


「悠人……おまえ、なんで……」


 膝が崩れた。

 床に手をついて、呼吸が乱れ始める。


 そこへ、さつきが駆け寄った。


「亮介さん……!どうしたの……」


「スマホが……開かない……

 悠人の言葉が……届かない……」


 父の嗚咽は、言葉にならなかった。



 さつきの目の奥に、静かな怒りが宿る。


「どうして、もっと早く気付かなかったの……

 あなた、いつも仕事ばかりで……!」


「違う……ちゃんと見てた……理解してた……

 一緒に、生きてきたんだ……!」


「だったら、どうして……!」


 二人の間に、

 張りつめた氷のような感情の裂け目が生まれる。


 父は自責に沈み、

 母は責任の所在を探し始める。


 同じ方向へ向くはずの痛みは、

 わずかなずれで、互いを傷つける刃になる。



 夜が深まる。

 団地の灯りは次々と消えていく。

 世界は眠る準備をしている。


 亮介は、一人ベランダに立ち、

 遠くの大学の方角を見つめた。


「息子は、まだ生きていたんだ……昨日まで」


 その言葉は風に溶け、

 どこにも届かない。


 だが、心の奥底で

 非常に微かな火が灯った。


——悠人の未来は、まだ消えていない。

——息子が残した技術が、誰かを救うかもしれない。

——それを証明するまで、終わりにしない。


 父の目がわずかに、前を向いた。

 その小さな起点が、

 次章で訪れる“継承”の始まりとなる。


第3章 完


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ