61 数百年の孤独
呪縛の激痛が、ピークに達した。
エリオットの喉からかすかに血が滲んだ。これ以上は語れない。まだ完全には呪縛が解けていない。
「ここまでだ……これ以上は……」
「いい。充分だよ」
私が、エリオットの手を握った。
全てがわかった。
前世で自分を殺した男は、殺したのではなく、救ったのだ。
拷問から。死の苦痛から。そして、この現代に繋いでくれた。
永い間、真相を語ることすら許されず、「カレンシュを殺した男」として彼女からの恐怖を甘んじて受け続けていた。キスのたびに震える彼女の手を見て、何も言えず、何も訂正できず。
あの真顔の下に、どれほどの苦しみがあったのか。
「エリオット。もう一個だけ聞いていい?」
「……何だ」
「あんたが前世で私を処刑した後。……ずっと、私を探してたの?」
「……ああ。君の魂を追うために、永い、永い時間をかけて、この世界の座標を探し続けた」
「永い時間……」
その顔に刻まれた疲労の深さに、私は息を呑んだ。
「じゃあ……あんた自身は、その間、どうやって生きてたの? 何を……」
エリオットが沈黙した。
「……それは、まだ語れない」
喉に手を当てる。呪縛がまだ残っている部分。
「わかった。それは、いつか」
「ああ。いつか必ず。……約束する」
六畳一間で、日曜の朝の光が静かに差し込んでいた。
鍋の残りがまだ冷蔵庫にあることを思い出したけど、今はどうでもよかった。
§ § §
昼を過ぎた頃。
エリオットが真相の断片を語った後、二人はしばらく無言で座っていた。
六畳一間の窓から、池袋の空が見えている。雲一つない、澄んだ青空。
私は、自分の手のひらを見つめていた。
前世の全てが、書き換わっていく。
あの処刑台の記憶。恐怖と裏切りの記憶。それが、全く違う意味を帯びていく。
殺されたのではなかった。
守られていた。ずっと。この男に。
「……ねえ」
「何だ」
「あんたさ、その……永い間、ずっと一人だったんでしょ」
エリオットが、微かに目を伏せた。
「私を殺した……いや、送り出した後。ずっと一人で、私の魂を探してたんでしょ」
「……そうだ」
「途方もない時間、ずっと?」
「ずっと、だ」
私の胸が、きゅっと痛んだ。
永い永い、途方もない時間を、たった一人で。誰にも真相を語れず、「カレンシュを殺した男」として。
魂を追い続け、次元の壁を越え、魔力も体力もゼロの状態で現代に飛び込んで。
そしてここに、辿り着いた。
「あんたってさ」
「何だ」
「本当に、バカだよね」
「……よく言われる」
「誰に」
「るんすけに」
足元で、るんすけが同意するように電子音を鳴らした。
§ § §
夕方。
エリオットは回復のために横になり、私は台所で夕食を作っていた。
鍋の残りの出汁でうどんを煮ている。エリオットの真似をして、ネギを丁寧に刻んでみた。不揃いだけど、前の自分よりはマシだ。
その時、スマホが鳴った。
着信。知らない番号ではない。プロジェクトの緊急連絡用回線。
出た。
「如月さん。朝倉です。休日に申し訳ない」
「座長、お疲れ様です」
「白峰さんの件で、緊急の動きがありました。詳細は月曜日にお伝えしますが、あなたの潔白は正式に確定しました。公安からの重要参考人指定も解除されます」
肩の力が、すとんと抜けた。
「……ありがとうございます」
「お礼を言うのは私の方です。プロジェクトをあなたが守ってくれた。月曜日、改めてチーム全体で今後の方針を議論します。……それと、これは内々の話ですが。あなたに物流セクションの主任をお願いしたいと考えています。正式な発令は、追って」
主任。WAGEプロジェクトの主任。
「……はい。全力で務めます」
電話を切った。
台所に立ったまま、しばらく動けなかった。
無実が証明された。白峰さんの罠は完全に解体された。
そして、新しい役職。新しい責任。
うどんが噴きこぼれそうになって、慌てて火を弱めた。
§ § §
夕食後。
エリオットが起き上がり、テーブルについた。うどんを食べている。
「……このうどん、君が作ったのか」
「そうだよ。出汁は鍋の残り。文句ある?」
「ない。美味しい」
「嘘つけ。ネギの切り方が不揃いだってバレてるよ」
「不揃いなネギにも味がある」
何言ってんの。
食べ終わって、食器を片付けた。
ソファに並んで座って、テレビをぼんやり見ている。いつもの夜。
ふと、エリオットが口を開いた。
「奈々」
「ん?」
「いつか、全てを話す。あの日の全てを。……聖女の呪縛が完全に解ける日が来たら」
「うん。知ってる。待ってるよ」
「逃げないでくれ」
私は、エリオットの方を見た。
蒼い目が、珍しく不安そうに揺れていた。
——あの男が、不安そうな顔をすることがあるなんて。
「逃げないよ」
真っ直ぐに、言った。
「あんたが全部話してくれる日まで、ここにいる。ていうか、あんたの方こそ逃げないでね」
「逃げるわけがないだろう。永い時間をかけて辿り着いた場所から」
「……重い」
「重くて結構だ」
ソファの上で、二人の距離がいつもより少しだけ近かった。
スマホの画面が光った。着信ではない。プロジェクトの共有チャットに、月曜日の会議案内が届いている。
新しい一週間が始まる。
白峰さんはいなくなった。呪縛はまだ完全に解けていない。前世の真実も、まだ半分しか明かされていない。
でも今は、隣にこの男がいる。
命を削る代わりに、不揃いなネギのうどんを食べてくれる男。
「帰ったら、ちゃんと聞くから。逃げないでね」
どちらが先に言ったかわからない。
同じ言葉を、同時に口にしていた。
二人とも、少しだけ笑った。
全ての謎が明かされる最終章。その扉は、まだ閉じている。
でも、鍵はもう二人の手の中にある。




