60 呪縛が解け始める
日曜日。
朝のキスを済ませた後、エリオットはいつもより長い沈黙に沈んだ。
ソファに座ったまま、虚空を見つめている。
「エリオット?」
「……昨夜から、呪縛が弱まっている」
「呪縛?」
私は首を傾げた。エリオットが真相を語ろうとするたびに喉が焼かれるように苦しむのは知っている。でも、その「呪縛」の正体については、彼自身がほとんど語れなかった。
「今まで詳しく聞けなかったけど……それって、白峰さんがかけた呪い?」
「……正確には、違う」
エリオットが、珍しく言葉を選ぶように間を置いた。
「白峰……聖女フィオ個人の魔力では、私に呪いをかけることは不可能だ。彼女は万能ではない。あくまで『神に愛された器』にすぎない」
「じゃあ、誰が……」
「神だ」
短く、重い一言だった。
「聖女フィオが仕えた神……あの世界の創世神の一柱だ。聖女の祈りに応じて、神そのものが私に呪縛を下した。『この者の口から、断頭台の真実が語られることを永久に禁ずる』と」
背筋が凍った。
「神って……本物の、神?」
「ああ。あの世界には実在する。神の名において聖女が祈れば、その祈りは力に変わる。聖女の呪詛が人心を惑わすだけの小さな干渉なら、神の呪縛は存在の根幹に刻まれる絶対的な拘束だ。私がいくら抵抗しようと、真相を口にしようとした瞬間に声帯が焼かれる。永遠に」
「なんで、そんなことを……」
「処刑の直前だった。フィオは……私がカレンシュの味方であることに、最初から気づいていた」
エリオットの声が低くなった。
「私が真相を語れば、処刑が単なる政治的粛清であったことが露見する。聖女の『神託』が偽りであったことが明るみに出る。それは、聖女を通じてあの国を統べていた神の権威そのものの失墜を意味する」
「だから、あなたを黙らせた」
「そうだ。聖女の保身であると同時に、神自身の権威を守るための呪縛だ。だから、ただの魔法では解けない。私の全魔力をもってしても、びくともしなかった」
四百年以上。彼はこの呪縛に縛られて、一言も真実を語れなかった。
私を殺した理由も。私を救おうとしたことも。何一つ。
「……じゃあ、なんで今になって弱まってるの?」
「呪縛の維持には、術者――聖女の『信仰心』が不可欠だ。神への揺るぎない帰依が、呪縛の原動力になっている。だが……」
エリオットが、わずかに目を伏せた。
「白峰が拘留され、精神的に崩壊しかけている。前世の聖女としての確固たる信仰が揺らいでいる。『自分は正しかった』という確信が折れかけている。その影響で、神の力の伝達経路にひびが入り始めた」
「信仰が揺らぐと、神の呪いも揺らぐ……」
「完全には解けていない。だが、断片的になら……今なら、語れる」
エリオットが、私を見た。
蒼い目の中に、覚悟の光が灯っていた。
「あの日の真実を、聞いてくれるか」
§ § §
私は、正座した。六畳一間の真ん中で、エリオットと向き合って。
「聞く。全部聞く」
エリオットが、ゆっくりと口を開いた。
「あの日……カレンシュ。君が処刑台に立ったあの日」
声が震えている。
次の瞬間、喉を灼熱が走った。呪縛だ。真相を語ろうとすると、声帯が焼かれる。
「ぐ……ッ」
エリオットが喉を押さえた。顔が苦痛で歪む。
「無理しないで!」
「いや……言える。今なら……言える……」
激痛に震える声で、エリオットは話し始めた。
「あの日、私が君を殺したのは――」
喉が焼ける。声が掠れる。額に汗が浮かぶ。
だが、止まらなかった。
「君を……救うためだった」
私は、息を止めた。
「国王と枢機卿は、君を処刑するつもりだった。だが、その前に……徹底的な拷問を行い、ハーゲン家の財産の隠し場所を吐かせるつもりだった。数日間にわたる、人間の尊厳を完全に破壊するような……」
エリオットの声が、途切れた。
痛みのせいではなく、記憶のせいだった。
「私は……それを許せなかった。君がそんな目に遭うことだけは、何があっても阻止したかった。だから……」
「だから、自分の手で?」
「拷問が始まる前に。痛みを感じさせない魔法で。一瞬で。……そして、君の魂を異次元に逃がした。この現代の日本に転生できるように、因果の糸を結んで」
私の目から、涙がこぼれた。
「つまり……あんたは、私を殺したんじゃなくて……」
「送り出した。この世界に。安全な場所に」
「それって……」
「そうだ。前世の私は……君を生かすために、自ら処刑魔法を撃った」




