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前世で処刑された公爵令嬢、社畜OLに転生したら、処刑した魔法使いが専業主夫としてキスをせがんできます  作者: カクナノゾム


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6 帰る場所

 少なくとも敵ではない。

 わざわざ来るのを知らせる敵はいない。

 私は心を落ち着かせ、耳を澄ませる。


『あ、すいませーん! 近くで外壁工事をやっておりまして、ご挨拶に回らせていただいてるんですがー』


 扉の向こうから、見知らぬ男の声が響く。

 ……外壁工事。つまりこの城塞の補修を申し出ている職人か。ならば無視すれば済む話だ。


 しかし訪問者は諦めなかった。

 バンバン! と扉を叩き始める。


『奥さーん! いらっしゃいますよねぇ!? メーター回ってんのわかってんですよォ!』


 ピキッ。


 ……奥さん。私を「奥さん」と呼んだか?

 この国の言葉はまだ習得途上だが、それは「主の妻」を意味する称号のはずだ。

 つまりこの男、カレンシュの夫であると誤認した上で、命令口調で扉を開けろと迫っている。


 それは――万死に値する。

 いや、待て。冷静に考えればそれは、「彼女の伴侶が住む部屋」と認識されたということでもある。

 ……ふむ。

 悪くない誤解だ。訂正は不要だな。


『今なら無料点検キャンペーンでしてねぇ……』


 男の言葉は、そこで途切れた。扉の向こう側から、致死量の冷気が漏れ出てきたからだ。

 男は悲鳴を上げ、持っていた板状の道具を放り出して逃げ去った。

 残された板状の道具を、るんすけが回収しに向かう。よくできた相棒だ。


「……愚物め」


 静かに魔力を収め、再び目を閉じようとした、その時。


 ――ピンポーン。ピンポーン。


 今度は二人組の影。

『こんにちはー。私たち、真の魂の救済についてお話をして回っておりましてー。今、心に迷いはありませんかー?』

『幸せになれる小冊子をお配りしておりますー』


「っ…………!!」


 魂の救済。

 ……まさか、私がカレンシュを処刑したことを知る者がこの世界にまで追ってきたか。いや、冷静になれ。この世界に前世の記憶を持つ者がいるとは考えにくい。おそらく別の意味だ。

 だが「魂の救済」を語る者を無警戒に迎えるわけにはいかない。


 ウィィィィン……ピギギギギギ。


 足元では、主の怒りを察知したるんすけが、激しい駆動音を立てながら扉に向かって突進しようとしていた。この成長は目を見張るものがある。


「控えろ、るんすけ。これは私が処理する」


 魔力を一筋、扉の向こうへ流した。二人は揃って悲鳴を上げ、廊下を逃げていった。


 静寂が戻る。

 ……この世界は、異様に来客が多い。警戒を怠れないな。

 しかし学びもあった。この世界の侵入者は、扉を破壊せず「音」と「言葉」で攻めてくる。ならば対策も言葉だ。次は扉越しに「結構です」と告げてみよう。先ほど廊下の住人が使っていた、追払いの呪文である。


 § § §


 深夜零時。

 終電に滑り込み、最寄り駅から暗い住宅街をとぼとぼと歩く。

 三月の夜風はまだ冷たく、コートの隙間から容赦なく忍び込んでくる。


 お腹が鳴った。最後に口にしたのは、朝に飲んだ缶コーヒーだ。


 疲れた。

 ただ、ひたすらに疲れた。


 会社を出てから、ずっと考えている。


 家に帰ったら、あのいけすかないイケメンがいる。

 前世で私を処刑した、超絶美形の大魔法使いが。

 にこりともせず「おかえりなさい、カレンシュ」などと言って(加齢臭言うな)、待っているのだろう。


 ああ、帰りたくない。

 本当に帰りたくない。


 そもそも帰る場所が、救いがない。

 駅から徒歩十二分。壁が薄くて隣の生活音が筒抜けの、築三十年のアパート。玄関ドアの蝶番は二年前から軋んでいる。直し方がわからないし、直す気力もない。


 そこへ更に、前世のトラウマ製造機が鎮座しているのだ。

 あの超絶美形の大魔法使いが。

 しかも顔がいい。理不尽に顔がよすぎる。疲れて神経が薄くなってる深夜に、あの顔面と密室で対峙するのは、イケメンアレルギー持ちには拷問に等しい。


 第一、あいつはいきなり魔法陣で部屋に降臨してきたかと思ったら「消えそうだからキスしてくれ」とか言い出すし、ルンバに命を脅かされて気絶するし、気づいたら私のゴミ屋敷に居着くことになってる。

 経緯の説明もなく「いずれ話す」の一言で片付けられて、まだ全然納得できていない。

 納得できていないのに、追い出せてもいない。それどころか毎朝唇を差し出している。冷静に文字にすると、我ながら何をやってるんだという生活だ。誰にも説明できない。説明する相手も、いないけど。


 しかも今朝。

 出勤しようとした私に、あいつが「行ってらっしゃい、カレンシュ」って言ってきたやつ。

 思わずしかめっ面で「……奈々!!!」と訂正したのに、あの完璧超人は不器用な、ひどく人間くさい顔をして見せた。


 ……なんか不意打ちだったので、うっかり「行ってきます」って返してしまったのが、今も地味に尾を引いている。完全に飼い慣らされてる人の反応だ。私の口は何をしているんだ。

 しかも言った瞬間、あいつ、ちょっと嬉しそうだったんだよ。無表情のくせに。無表情のまま嬉しそうって何。読解できる私も私だけど。


 あと向こうは絶対に「奈々」って呼ばないし、絶対に「(完全無視)カレンシュ」って言ってくる。

 あれが一番腹立つ。毎朝あれをやられている。どうにかしてほしい。


 ……いや。本当に腹が立っているんだろうか、私は。

 立ち止まって、夜空を見上げる。星はほとんど見えない。東京の夜空はいつも薄明るくて、前世の満天の星とは別物だ。

 あの世界で、私はカレンシュという名前を愛していた。父がくれた、星の瞬きの名前。それを呼ぶ彼の声も、本当は嫌いじゃなかった。

 だから困るのだ。あの声で前世の名を呼ばれるたびに、処刑台の記憶と、それより前の幸せだった記憶が一緒に揺り起こされる。憎みたいのに、懐かしい。警戒したいのに、安心する。

 感情の置き場所が、どこにも見つからない。


 ――なのに、足は勝手にアパートの方に向かっている。


 錆びついた階段を上りながら、ふと思う。

 今朝のキスのことを。


 ――あれは業務連絡だ。ただの魔力供給だ。

 ……なのに、唇の感触だけが一日中ずっと、妙に温かかった。

 仕事中、ふとした瞬間に思い出しては、一人で百面相をする羽目になった。隣の席の佐藤さんに「如月さん、今日顔色いいですね」と言われた。よくなってない。赤くなってるだけ。


「やめやめ。余計なこと考えるな」


 首を振って、部屋のドアの前に立つ。

 鍵を開け、


「ただい――」


 ……ま、という最後の一音が、声にならなかった。

 目の前に広がっていたのは――

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