49 証拠集め
翌日。
私は一日中、アパートの床に座り込んでいた。
目の前に広げたのは、ノートPC、手帳、そして前の会社時代から使い込んだ方眼紙のメモ帳。
エリオットはソファで眠っている。命が削られた大魔法使いの回復には時間がかかる。今は寝かせておくしかない。
私は、一人で戦う準備を始めた。
証拠を集める。白峰さんが犯人であることを証明するための、動かぬ証拠を。
§ § §
まず、サーバーのアクセスログ。
私は公安の事情聴取で「自分のアカウントが不正使用された」と主張した。しかし、それだけでは弱い。「誰が」「どうやって」不正使用したのかを特定しなければならない。
私のアカウントでの不正ログインは、月曜の午後三時十七分。私本人は印刷室にいた。それは証明できる。
だが、犯人はどうやって私のアカウントにアクセスしたのか。
(スクリーンロックは必ずかけている。パスワードを知っている人間はいないはずだ)
そこまで考えて、昨日の山本さんの言葉がよみがえった。
『先週、僕……システム管理者コンソールで設定変更した覚えがあるんです。省庁間連携のテスト設定、みたいな感じで。でも、なんのテストだったか全然思い出せなくて』
背筋が冷えた。
(山本さんがシステム管理者操作をした。でも理由が思い出せない。これは――)
聖女の魅了。行動させた後、記憶の重要度を下げる。本人に自覚がない。
だとすれば、白峰さんは山本さんを介して「奈々のアカウントへのアクセス権を別PCに付与する設定変更」をさせていた可能性がある。パスワードすら必要なく、正規の権限経路で。
(証拠が残っている。山本さんのシステム管理者操作ログが)
私にはもう一つの武器があった。
§ § §
週明けの月曜の朝。
私は霞が関に出勤した。
公安からは出勤停止の命令は出ていない。「重要参考人」の段階だからだ。ただし、機密データへのアクセス権限は凍結されている。
それでいい。必要なのは、データではなく「人」だ。
昼休み。
まず、山本さんに声をかけた。
「山本さん。お願いがあります」
「何でしょう、如月さん。あの件、僕は信じてますよ。如月さんがデータを流出させるなんてあり得ない」
「ありがとうございます。そのお力を貸してほしいんです。二つお願いが」
私は声を落とした。
「一つ目。月曜日の午後三時から四時の間、プロジェクトルームにいた人の一覧を。入退室のICカードログがあるはずです」
「やります。もう一つは?」
「山本さん、先週の設定変更の件――システム管理者コンソールで何かを変更した、って昨日おっしゃっていましたよね。そのログを確認していただけますか。誰かのアカウントに、権限の付与を行った記録が残っているはずなんです」
山本さんが、目を見開いた。
「……権限の付与。それを調べると、何がわかるんですか」
「白峰さんが、私のアカウントに正規のルートでアクセスできるよう、バックドアを開けさせていた可能性があります。あなたを介して」
沈黙。山本さんの顔が、みるみるうちに青くなった。
「僕が……知らないうちに、そんなことを?」
「山本さんのせいじゃないです。断言できます」
私の声に、力を込めた。
「あなたは操られていた。でも今、正気に戻っている。だからこそ、ログを確認できる。その記録が、全ての証拠になります」
山本さんが、深く息を吸った。そして、静かに頷いた。
「……やります。絶対に、やります」
次に、鈴木さんに声をかけた。
「鈴木さん。法律のことで相談させてください。不正アクセスの立証に必要な証拠要件を教えていただけますか」
鈴木さんの目が、真剣に光った。「任せてください」
佐々木さんには、メールサーバーのヘッダ情報の分析を依頼した。送信先のダミー企業のIPアドレスの逆引きと、DNS登録日の特定。
弁当外交で築いた信頼が、今度は物理的な協力に変わっていく。
私が一人ずつ誠実に向き合い、魅了を解き、正気を取り戻させたあの一週間。
その投資が、今ここで配当を返し始めた。
§ § §
水曜日の夜。
朝倉座長から電話があった。
「如月さん。少し、聞いてほしいことがあります」
声のトーンが、いつもと違った。温厚な朝倉氏にしては珍しく、硬い。
「白峰家から、動きがありました。公安の上層部に対して、『本件は如月奈々の単独犯として速やかに処理せよ』という趣旨の圧力が入っています」
息が詰まった。
「白峰家は政財界に食い込んだ名家です。公安の内部にも、彼らのネットワークが届く。現場の捜査官は優秀で動揺していませんが、上からの圧力で捜査が歪む可能性は……正直、ゼロではありません」
「……座長」
「ただ」
朝倉氏の声が、一段低くなった。
「私は山本さんから、システム管理者操作ログの分析結果を受け取りました。白峰さんのアカウントに如月さんの閲覧権限が付与された記録、および付与操作が行われた時刻と白峰さんのPCのアクセスログの完全な一致。これは、改竄が不可能なサーバー側のログです」
私は、声が出なかった。
「このログがある限り、どれだけ上から圧力をかけても、現場の捜査官を動かすことはできません。データは、権力より強い。……私は明日、このログを持って公安の現場責任者と直接話します。あなたに弁明の場を設けさせます」
「座長……」
「如月さん。あなたはこのプロジェクトを守りました。今度は私が守る番です」
電話が切れた。
スマホを握ったまま、しばらく動けなかった。




