47 だし巻きは明日の朝に
「空間の座標は固定できても……時間の因果が、揺らいで……?」
倒れたまま、かすれた声で呟く。
魂を削りすぎた反動か……あたりの風景が歪んで見える。現実感がない。前世の記憶と今の光景が混ざり合うようだ。
千里眼の映像にノイズが走る。現在の霞が関の映像に、別の時間の光景が重なる。
宮廷の回廊。処刑場の広場。金色の髪の令嬢。断頭台に立つ彼女の姿。
あの日の記憶が、今の映像に混ざっている。
(時間が……これは、時間軸の干渉か……?)
意識が薄れていく。
せめて……せめてカレンシュにメッセージを……。
震える手で、スマホを操作する。
最後の千里眼の映像に、カレンシュの姿が映った。
制服姿の男たちに促されて、廊下を歩いている。背筋は伸びている。前世の令嬢のように。
だが、その手が小さく震えているのを、千里眼は映していた。
(カレンシュ……すまない……今の私では……)
視界が暗転した。
§ § §
スマホが震える。
私のスマホに、エリオットからのメッセージが届いていた。
『カレンシュ、すまない。今は動けない。帰ったら話す。約束する。……だし巻きは明日の朝に』
私はスマホを見て、一瞬だけ足を止めた。
あいつ……無茶してなきゃいいけど。どうせ千里眼でこの窮地を見ていたに違いない。それで動けない、と伝えてくると言うことは……
「エリオット……どうしたの?」
だが返信を打つ余裕はない。私は公安の男達に促されて、再び歩き出した。
§ § §
アパートの床に倒れたままのエリオットの横で、るんすけが静かに旋回していた。
ぴろり、と電子音が鳴る。あたかも親友を心配しているかのように。
エリオットの蒼い目が、薄く開いた。
「……るんすけ。すまないな。掃除の仕事を増やして」
小さな電子音が返ってきた。
彼に叱られているような気がして、エリオットは薄く笑みを浮かべた。
§ § §
公安の事情聴取は、三時間に及んだ。
小さな会議室。テーブルの向かいに座った二人の男。質問は淡々としていたが、内容は鋭かった。
アクセスログ。IPアドレス。送信されたデータの内容。全てが私のアカウントを指している。
「如月さん。改めてお聞きします。あなたは機密データを外部に送信しましたか」
「していません」
「ログにはあなたのアカウントが記録されています」
「私のパスワードを入手した誰かが、私のアカウントを不正使用したとしか考えられません」
「心当たりは」
白峰さんの顔が浮かんだ。
だが、証拠がない。給湯室での会話は二人きりだった。白峰さんが前世の聖女であることを公安に言ったところで、信じてもらえるわけがない。
「……現時点では、確証はありません」
結局、その日は「重要参考人」として帰宅を許された。
公安から「国外渡航禁止」と「今後の捜査への全面協力」を命じられた。
§ § §
夜九時。
池袋のアパートのドアを開けた。
「ただい――」
リビングの床に、赤い染みが広がっていた。
血だ。
「エリオット!?」
駆け込んだ。
ソファの横に、エリオットが倒れていた。白いシャツが赤黒く染まり、顔は蝋のように白い。蒼い目は薄く開いているが、焦点が合っていない。
「エリオット! ちょっと、何があったの!?」
膝をついて、彼の頭を持ち上げた。冷たい。体温が異常に低い。
「……カレンシュ」
掠れた声。ほとんど聞こえない。
「しゃべらなくていい。救急車……いや、この人を病院に連れて行っても意味ない。魔法使いを治せる医者なんかいない」
パニックになりかけている。なってる。もう完全になってる。
ちがう、落ち着け如月奈々。考えろ。考えろ考えろ考えろ。前世のカレンシュならこういう時どうした。冷静に対処できたはず。できてたはず。
エリオットの胸にそっと手を当てた。微かな魔力の流れを感じる。まだ生きている。心臓は動いている。
だが、その魔力の量が異常に少ない。いつも感じていた圧倒的な魔力の気配が、ほとんど消えかけている。
「あんた……何をしたの」
エリオットの唇が動いた。
「空間転移で……君を助けに行こうとした……が、聖女の呪詛空間に阻まれた……突破しようとして……」
「突破しようとして、自分の魂を削ったの?」
エリオットの目が、わずかに揺れた。図星。
「……この現代で、魔素がない環境で、あんたがあんだけの大魔法を使い続けてこれた理由。キスで得た魔力だけじゃ全然足りなかった。足りない分は自分の魂――命を削って補填してたんでしょう」
沈黙。
それが、答えだった。
私の目から、涙が溢れた。
「バカじゃないの!?」
叫んでいた。
「なんでそんなことまでして……!! あの豪華なディナーも、空間拡張も、全部あんたの命を削って作ってたの!? あたしのくだらない愚痴を聞きながら、裏ではずっと死にかけてたの!?」
エリオットが、何かを言おうとした。だが声が出ない。
その代わりに、血まみれの手が持ち上がり、私の頬に触れた。
「……君が、笑ってくれるのが」
「やめて」
「嬉しかったんだ」




