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前世で処刑された公爵令嬢、社畜OLに転生したら、処刑した魔法使いが専業主夫としてキスをせがんできます  作者: カクナノゾム


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38 通訳不在の会議

 水曜日の朝。

 会議まであと一時間。


 お姉様は念入りに資料の最終チェックをしています。三カ国分のデータ、法的根拠、シミュレーション結果。全て完璧に揃っている。あとは会議で、通訳の力を借りて各国の高官に説明するだけ……そう思っているんでしょうね。


 それを横目に見ながら、わたくしは給湯室に入りました。

 通訳担当の高橋氏が、ちょうどお茶を入れています。

 計算通りに。


「高橋さん、お疲れ様ですぅ。今日も大変ですね」


「ああ、白峰さん。いえいえ、仕事ですから」


 高橋氏の背中が、わたくしの正面に来ました。

 目を伏せます。静かに、静かに。

 お姉様のために祈るのは、いつもこんなに穏やかな気持ちになれます。


(神様。前世でわたくしに力をお与えくださった、偉大なる神様。どうかもう一度、この手に)


 指先が、ほんのわずか温かくなりました。我ながら、いつ使っても美しい力だと思います。

 「魔法」ではない。「神の力」による、ごくわずかな身体機能の干渉。自律神経を乱す程度のもの。魔力残滓はゼロ。エリオットの探知には絶対に引っかかりません。


 高橋氏は何も感じなかったはずです。お茶を飲んで、いつも通り席に戻りました。


 ですが、五十分後――呪詛の結果が現れました。


「す、すみません……急に気分が……」


 高橋氏が青い顔で席を立ちます。冷や汗が額に浮かび、明らかに体調不良でした。


 周囲がざわめきました。会議の十分前。通訳担当者が倒れた。これは大変な事態ですね。いまからではもう通訳の代役は手配できません。


「高橋さん、大丈夫ですか!?」


 お姉様が駆け寄ります。高橋氏の額に手を当てています。熱はなく、でも顔色が異常に悪い。大丈夫です、神様の力ですから一定時間が経たないと、もとに戻ることはありません。


「めまいが……すみません、少し横にならせてください……」


 朝倉座長が厳しい表情で状況を確認しています。


「高橋さんの代役は手配できますか」


 担当者が首を振りました。


「今日の会議は三カ国語の同時対応が必要です。英語とタイ語とインドネシア語を全てカバーできる通訳官は、外務省でも高橋さんしか……」


 会議室が沈黙しました。


 三カ国の政府高官は、それぞれの国のスケジュールを調整して、この日のこの時間に合わせてくださっています。リスケは外交上の非礼になります。かといって、通訳なしで会議を強行すれば、誤解と齟齬の嵐になりますよね。


 ――これで詰みです。


 わたくしは、さりげなくお姉様の表情を窺いました。


(さあ、どうします? お姉様。通訳がいない。資料は完璧でも、言葉が通じなければ意味がない。ここから這い上がれます?)


 お姉様の顔を見ました。


 ――笑っていなかった。

 だが、怯えてもいなかった。


 お姉様の瞳に、あの光が灯っています。前世の処刑台で見た、あの毅然とした輝き。


 お姉様が立ち上がりました。


「朝倉座長。一つ、ご提案があります」


 会議室の全員の視線が集まりました。


「私が通訳を兼務します」


 静寂が、会議室を覆いました。

 ――頬が、固まりました。


(――嘘でしょう)


 この女は。この女は、また――。


 § § §


 会議室が凍りついた。


「如月さん……通訳を?」


 朝倉座長が眼鏡の奥から厳しい目で見つめている。期待ではなく、確認の目だ。WAGEプロジェクトの場で軽口を叩く人間ではないと知っている。だからこそ真意を測っている。


「はい。英語とインドネシア語は前職の実務で日常的に使用しておりました。タイ語は会話レベルですが、今日の議題であれば対応できます」


 経産省のエリートが眉を上げた。隣の外務省の担当者が、信じられないという顔で資料をめくっている。中小企業の元一般職が三カ国語?


 嘘だと思われている。当然だ。


 でも嘘じゃない。

 前世のカレンシュは、隣接する三カ国との外交文書を原語で読み、交渉の席で直接対話していた。言語の記憶は、魂に刻まれている。今生でも、前の会社の商社業務で英語とインドネシア語は実務使用していた。タイ語は独学だが、貿易関連の専門用語なら問題ない。


 朝倉座長が数秒間沈黙した後、静かに頷いた。


「……分かりました。今から追加の通訳を手配する時間もありません。如月さんにお願いいたします。ただし、問題が生じた場合は即座に中断します」

「承知いたしました」


 私は胸を張って応えて見せた。

 頑張れと、どこからか、エリオットの声が聞こえた気がした。


 § § §


 会議開始五分前。


 私はラップトップの前で、深呼吸した。

 画面には三つのウィンドウ。それぞれの国の代表がオンラインで待機している。


 手が震えている。


 嘘だ、怖くないなんて。三カ国の政府高官を前にして、通訳と説明を同時にこなす。失敗すれば数千億円規模のプロジェクトに致命的な遅延が生じる。外交問題にもなりかねない。


 スマホが一瞬だけ光った。エリオットからのメッセージ。


 『見ている。大丈夫だ、カレンシュ』


(だから加齢臭って言うなって……! って言ってないからこれはエリオット的にはセーフなのか)


 あいつ、前の名前も大好きだもんね。口に出してはいないからここは目をつぶろう。


 いつもなら嫌ワードだが、今だけは少しだけ心が軽くなった。

 あの男が見ている。千里眼で、どこかからずっと見守っている。


 深呼吸をもう一度。


 広大なマホガニーの円卓を挟んで、タイの政府高官が手元の書類に目を通している。インドネシアの担当者が時計をちらりと見た。マレーシアの代表は静かにお茶を飲んでいる。


「それでは、会議を始めます」


 朝倉座長が宣言した。

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