34 ゆるふわ後輩の帰還
着任から二週間が過ぎた月曜日。
朝の定例ミーティングで、座長の朝倉氏がいつもより少しだけ表情を引き締めて口を開いた。
「本日、関係省庁からの出向枠で新たにお一人、チームに加わっていただくことになりました」
出向枠。聞いている。各省庁が「うちの優秀な若手を出す」という名目で、実質的にはプロジェクトの動向を掴むための目と耳を送り込んでくる制度だ。どこの国家プロジェクトでもやっている。前世の宮廷で言えば、他国から派遣されてくる「外交官」という名の間諜に近い。
席に座ったまま、スライド資料に視線を落とす。
出向者のプロフィール欄。経歴は伏せられているが、所属欄に「経済産業省 通商政策局」の文字が見えた。経産省か。この前の会議で鼻であしらわれた省庁だ。巻き返しに来たのかもしれない。
会議室のドアが、ノックされた。
「どうぞ」
朝倉氏が手で促す。
ドアが開き、一人の女性が入ってきた。
――え。
「初めまして。今日からチームに加わります、白峰ですぅ」
白峰サヤカ。
あの白峰さんが、会議室の入り口に立っていた。
白いブラウスに、柔らかなベージュのスカート。パステルカラーのカーディガン。栗色のゆるいウェーブがかかった髪。大きな瞳が会議室を見回し、ふわりと微笑む。
前の会社で見ていた、あの可愛い後輩そのままだった。
思わず、口元がほころんだ。
白峰さんだ。知ってる人がいる。しかも、あの日――黒田がエリオットの魔法で全てを吐き出した日に、真っ先に涙を流して彼を告発してくれた、あの白峰さんだ。
霞が関は知らない人ばかりで、正直ちょっと心細かった。各省庁の精鋭は優秀だけど、みんなどこか距離があって、お昼ご飯も一人で食べている日が多かった。
そこに、あの日一緒に戦ってくれた後輩が来てくれた。
隣の財務省のエリートが白峰さんをじっと見ている。向かいの男も、朝から仏頂面だった外務省の担当者すらも、みんな少し顔が緩んでいる。
まあ、わかる。白峰さんは誰からも好かれるタイプだ。あのゆるふわの笑顔を見ていると、なんだか場の空気が柔らかくなる。
「如月先輩、お久しぶりですぅ」
白峰さんが、私のすぐ横の空席に座った。柔軟剤のような優しい香りがふわっと鼻をくすぐる。前の会社にいた時と変わらない、あの匂い。
「白峰さん! お久しぶり! まさかここで会えるなんて……っていうか、前の会社辞めたの!?」
本当にびっくりした。そして、心の底から嬉しかった。思わず声が弾む。
「はいぃ。あの後いろいろあって退職して、たまたまご縁があって経産省の民間登用枠で拾ってもらえたんですぅ。配属先の辞令見た時、あっ奈々先輩がいるプロジェクトだって。またご一緒できて本当に嬉しいですぅ」
(えっ、経産省の中途採用? 一昔前ならともかく、今の霞が関ってそんな簡単に民間からぽんぽん入れるものなの?
……いや、でも白峰さんもあの黒田の下で理不尽な業務を押し付けられてたわけだし、実は隠れたポテンシャルが高かったのかもしれない)
にこ、と笑う白峰さんの顔を見て、あの日のことを思い出した。
黒田が全てを自白した日。フロアの全員が凍りついている中、真っ先に立ち上がって「私、証言します」と涙ながらに叫んでくれたのは、この子だった。あの声が、佐藤さんを、他の同僚たちを動かした。
あの勇気がなかったら、私はきっとまだあの会社で黒田に潰されていた。
「……白峰さん、あの時はありがとう。あなたが声を上げてくれなかったら、私、どうなってたか分からない」
素直にそう言うと、白峰は大きな瞳をうるませて、ふるふると首を横に振った。
「そんな……私なんて何もできなかったですぅ。先輩の方がずっと辛かったのに。むしろ、もっと早く勇気を出せなくてごめんなさい……」
ああ、この子はやっぱりいい子だ。
この霞が関の精密機械みたいな職場で、知っている顔があるだけで心強い。しかもそれが、あの日一緒に戦ってくれた仲間なんだ。
前の会社では私が先輩として白峰さんの面倒を見ていた。ここでも、慣れない環境で不安だろう。今度は私がちゃんとこの子を守ってあげよう。
「こっちこそ、よろしくね。分からないことがあったら何でも聞いて。会議室の予約システムとか、最初マジで意味不明だから」
「ありがとうございますぅ、先輩!」
白峰さんがぱっと顔を輝かせた。
――その瞬間。
ほんの一瞬だけ。本当に一瞬だけ。
背中を、何かが撫でた。
(……?)
なんだろう、今の。
白峰さんは笑っている。いつもの、あの可愛いゆるふわの笑顔。何もおかしいところはない。
(……疲れてるのかな)
最近、睡眠が足りていない。エリオットの弁当のおかげで栄養は十分だけど、新しい環境のストレスはゼロじゃない。きっとそのせいだ。
前の会社のトラウマが、変な形で出てるのかも?




