33 現場の実務、炸裂
ひと目見てわかる、エリートだらけの部屋だった。
財務省、経済産業省、外務省、国土交通省。民間からは大手商社やコンサル、シンクタンク。名刺に書いてある肩書きが、どれもこれも見たことのないレベルで長い。
一言で言えば、エリートの見本市。
二言で言えば、なんでここに限界OLがいるんだろう。
ドアを閉めた瞬間、何人かの視線がこちらに向いた。
品定め、というやつだ。どこの省庁でもなく、大手でもない。聞いたこともない中小企業から来た、名もない女。
誰も露骨なことは言わない。でも、空気が語っている。
――お前、誰? なんでここにいるの?
座長の朝倉氏が立ち上がり、会議室を見渡した。
「本日から新たにチームに加わる方をご紹介します。如月奈々さん。民間選抜枠での参画です」
朝倉氏が私の方に手を向けた。立ち上がって一礼する。心臓がうるさい。
「如月さんは国際貿易関連の現場実務を六年間担当され、先般ご作成された百ページの分析提案書は、当推進室の分析チームからも高い評価を受けています。なお、前職での人事上の事情がございまして、肩書きは一般職となっておりますが、実務能力については私が直接確認しております」
朝倉氏は丁寧に言ってくれた。精一杯のフォローだと思う。
でも、会議室の空気は変わらなかった。
何人かがパラパラと拍手をした。義務的な、温度のない拍手。
目の前の財務省のエリートは、私の名刺を一瞥して、資料の下に滑り込ませた。隣の経産省の男性は視線すら合わせてこない。わかりやすい。
一般職。管理職ですらないOL。六年間の実務? それって要するに雑用でしょう?
――そういう空気だった。
(……前世の宮廷を思い出すなあ)
初めて社交界に出た十五歳の夜も、こんな空気だった。成り上がりの商人上がりと陰口を叩かれた公爵家の娘。誰も味方がいない広間。あの時は父が横にいたけど、今回は本当に一人だ。
でも、あの時の私はここから這い上がったんだ。処刑されたけど。
まずは、集まった人たちと名刺交換。
そして当たり障りのない会話。この辺りは前の会社でのミーティングと同じだ。
だが、会議が始まると――私の中の何かが、静かに目を覚ました。
「本プロジェクトにおける各地域の経済効果試算ですが、現行のモデルでは変数が不足しています。特に、環太平洋地域との関税連動シミュレーションが――」
経産省のエリートが流暢に説明する。資料は分厚く、データは精緻で、論理は隙がない。
隣の男は得意げに頷いている。さっき名刺交換もしてくれなかった人だ。
だが、私の頭の中では、前世の記憶が勝手に動き始めていた。
(……この資料、構造が甘い)
三カ国間の貿易均衡を管理していた前世の私が、無意識にそう判断していた。変数の選定が偏っている。リスクヘッジのシナリオが楽観的すぎる。何より、現場の物流コストを完全に無視している。
机の上にあるだけのデータだ。現場を知らない。
あの六年間、終電まで現場の数字と格闘し続けた私には、その空白が手に取るようにわかる。
「あの、一つよろしいですか」
手を挙げた。
十数人の視線が一斉に向いた。名もなき中小企業出身の、無名の女に。
(心臓が爆発しそう。でも、逃げない。もう逃げないって決めたんだ)
「この試算モデルですが、国際物流の末端コスト――具体的には、通関後のラストワンマイルの保管・配送コストが計上されていません。ここを補正すると、第三四半期の収支予測が約十二パーセント下振れする可能性があります」
会議室が、静まった。
経産省のエリートが目を見開いた。隣のコンサルが資料をめくり直した。座長の朝倉氏が、興味深そうに眼鏡の奥から私を見ている。
「……如月さん、でしたか。その補正値の根拠を、もう少し詳しく」
「はい。前職で六年間、国際貿易関連の現場実務を担当しておりました。末端物流のコスト構造については、実測データに基づく知見がございます」
六年間の地獄が、初めて武器になった瞬間だった。
§ § §
建物を出て、春の風を吸い込んだ。霞が関の空は、意外と広かった。
スマホを取り出す。エリオットへのメッセージを打とうとして、やめた。
どうせ千里眼で見ているだろう。あの男のことだ、会議室の隅っこから一部始終を覗いていたに違いない。
代わりに、一言だけ打った。
『お弁当、おいしかった。だし巻き最高』
三秒後に返信が来た。
『承知した。明日は二個入れる』
……そういうとこだぞ、あんた。
§ § §
そして数日が何ごともなく過ぎてゆく。
WAGEプロジェクトの日常にも、少しずつ慣れ始めていた。
物流セクションの主担当を任されてからというもの、朝は六時起き、七時に弁当を受け取り(作ってる人:大魔法使い)、八時に出勤、九時から会議。以前のブラック企業と違うのは、ここには理不尽がないことだった。データを出せば正当に評価される。意見を言っても怒鳴られない。パワハラ上司の代わりに、温厚な座長がいる。
こんなの、天国じゃない?
いや、天国は言いすぎだ。霞が関のビルは天国というよりは、精密機械の内部に近い。歯車一つひとつが高速で回転していて、噛み合わせを間違えればすぐに弾き出される。でも少なくとも、歯車でいられる限りは居場所がある。
前の会社では歯車ですらなかった。黒田の靴底にこびりついたガムくらいの扱いだった。
でも今は違う。そして――少し、慣れすぎていたかもしれない。




