30 イケメンアレルギーの正体
夕方、帰宅した。
遮光カーテンの隙間から、細い夕陽が伸びている。
エリオットが淹れたコーヒーの香りが漂う中、窓際のソファに深く腰掛けた彼の横顔を、私はふと足を止めて見てしまった。
朝陽……いや夕陽を透かして、白銀の糸のように輝くプラチナブロンドの髪。血管の青みすら透けない白磁のような肌に、色素の薄い、ひどく長い睫毛が淡い影を落としている。
ただ、そこにいるだけ。
たったそれだけなのに、圧倒的で暴力的なまでの「顔の良さ」がそこにあった。
――どくん、と。
肋骨の裏側で、心臓が不自然に大きく跳ねた。
(……っ、まただ)
最近、おかしいのだ。
彼に対する警戒心はとっくに消えて、いつしか背中を向けて熟睡できる「ちょっと顔が良すぎる、得体の知れない同居人」へと認識が変化していた。
だが、その「慣れ」が、逆に厄介な問題を引き起こしていた。
警戒の壁が取り払われたことで、彼が本来持っている「規格外の美貌」という特大のパラメータが、物理ダメージとしてダイレクトに私の網膜を焼いてくるようになったのだ。
(アレルギー反応厳しい!! イケメンアレルギーで死ぬかも!?)
(そう、これはアレルギー反応! 生命の危機を感じた細胞が起こす、トラウマからの自己防衛本能なんだから!)
あの無駄に整った顔は、前世で公爵令嬢だった私を見下ろし、容赦なく断罪の魔法を放った男のものだ。細胞の奥底に刻み込まれた「死の記憶」が、彼の顔を見るたびに「ボスモンスターの気配察知!」とアラートを鳴らしているだけ。
そう、これは強烈なイケメンアレルギーの重篤な症状なのだ。絶対に、そうだ。
「……おはよう、奈々」
目を開けたエリオットが、こちらを真っ直ぐに見つめていた。
夕陽の残光を反射して煌めく、氷のような、けれどひどく甘い温度を孕んだ青い瞳。長い脚で音もなくこちらへ近づいてくる。頭の中のアラートが鳴り止まない。
「よく……って、夕方だけどね」
「そうだな」
スッと、長い指が伸びてきて、私の頬にかかった髪をそっと耳に掛けた。
ただそれだけの仕草なのに、ボワッと発火したような熱が全身に広がる。
(アレルギーだ! これは間違いなく深刻なアレルギー反応だ!!)
そう、これは細胞レベルで拒絶を訴えるアレルギー反応以外の何物でもない。絶対に恋なんかじゃない。
そう自分に言い聞かせながら、私はキッチンへと逃げ込んだ。
§ § §
その夜。
バタン、と奈々が自分の部屋へ引っ込んだ後。
秒針の音だけが落ちる六畳一間で、エリオットは足の裏が床に縫い付けられたように、しばらくその場に立ち尽くしていた。
彼はそっと、自身の唇に長い指を這わせる。毎朝のキスで得た、なけなしの魔力。
目を閉じると、前世の忌まわしい記憶が網膜の裏に明滅した。
群衆の前に引きずり出された彼女。無実を叫ぶ声はとっくに枯れ、血と泥に塗れた指先が、それでもなお空を掻こうとしていた。その指が伸びた先に立っていたのは、他でもない彼自身だった。
あの時、自らの手で彼女を終わらせた。そうしなければ、彼女の魂は正真正銘、永遠に損なわれていた。その判断は正しかった。正しかったが、彼の中の何かが、あの日以来一度も元に戻っていない。
――「アレルギーだ」と、彼女は言った。
エリオットは喉の奥を微かに鳴らし、強く目を閉じた。
彼女は彼を拒絶しているのではない。自分の中にある感情から、必死で目を背けているのだ。それが何か、彼には痛いほどわかる。だからこそ、今は何も言わない。
「……大丈夫だ、るんすけ。私は大丈夫だ」
足元では、お掃除ロボットのるんすけが「わかってるよ」と慰めるように、ピコッと小さな電子音を鳴らして彼の周囲を健気に旋回し続けていた。
§ § §
有給休暇六日目の朝。
もうすぐこの休暇も終わる。
色々とドタバタして修羅場感もあったけど、うん、悪くなかったな。
ベッドから出て、リビングへ行く。
テーブルの上に、私のスマートフォンが置かれていた。画面には、通知バッジが三十七個も溜まっている。
「……なにこれ」
メール。大量のメール。しかも、送信元が。
社内メールだ。いくつかは総務部からの経過報告。いくつかは人事部。そして、一通だけ――見たことのない差出人名。
『内閣府 WAGEプロジェクト推進室』。
「……は?」




