28 千里眼禁止令
有給休暇、四日目。
同居生活が始まって、だいぶ慣れてきた。
朝起きたら事務的にキスして魔力を供給する(業務連絡)。一緒に食事を作る(家事分担)。極上の魔法風呂に浸かる(福利厚生)。天蓋付きベッドで爆睡する(役員室)。
人間はどんな異常事態にも慣れる生き物だと、どこかの偉い人が言っていた気がするが、まさか「異世界の大魔法使いとの同居」にまで適用されるとは思わなかった。
ただし、一つだけ。
どうしても慣れないことがある。
「ねえ、エリオット。一つ聞いていい?」
「なんなりと」
「私がお風呂に入ってる間、あんた何してるの」
沈黙。
最強の大魔法使いの蒼い瞳が、明らかに泳いだ。泳いだ瞬間を私は見逃さなかった。観察眼は伊達じゃない。
「……瞑想を」
「嘘」
「嘘ではない。瞑想の一環として、周囲の安全確認を――」
「千里眼で見てるでしょ」
核心を突いた。
エリオットの表情が、液体窒素を浴びたように凍りついた。
「見ていない」
「嘘つき。昨日私が湯船で足滑らせた時、浴室の外から『大丈夫か!?』って叫んだよね。この結界だらけの部屋で壁越しに音なんか聞こえるわけないでしょ。自分で防音最強って自慢してたくせに」
完璧な証拠を突きつけると、エリオットは一瞬だけ天を仰ぎ――それから、恐ろしく真面目な顔で反論を試みた。
「あれは護衛行為だ」
「……護衛」
「入浴中は身体が最も無防備になる。万が一、この世界の刺客や魔獣が侵入した場合――」
「……刺客」
「そう、刺客が来ないとも限らない!」
「刺客来ないし魔獣いないしっ!」
「しかし先日も、不審者がドアを叩いてきた。あの程度の結界では――」
「あれは訪問販売!! お前が殺気で追い返した外壁工事の人!!」
二十一世紀の東京のユニットバスに、刺客も魔獣もいない。いるのはカビくらいだ。
「つまり、壁の向こうの。お風呂の中の。裸の。私を見てるってこと?」
そこに至った瞬間、全身の血液が頭蓋骨の内側に集合した。
「あんたね……!!」
「いや、礼には及ばない。これは当然の――」
「お礼とかじゃないっ! 護衛とか関係ないの!! 裸を見るなって言ってるの!!」
手近にあったクッション(エリオット錬成の高級品。感触はマシュマロ。威力はゼロ)をぶん投げた。
彼は片手で難なく受け止めたが、その一瞬だけ、ほんのり赤くなった耳の先が見えた。
(え、今こいつ照れた?)
いや、違う。そういう問題じゃない。好意的に解釈するな、私の脳。
「とにかく! お風呂の時は千里眼禁止! 一切! 絶対! 見ない!」
「しかし安全の確保が――」
「約束しないなら今後のキスは全面禁止にする」
最終兵器を投下した。
エリオットの顔色が、目に見えて蒼白になった。さっきまで赤かった耳が一瞬で白くなった。
「……待ってくれ」
「待たない」
「約束する。するから。だから、その、キスは……」
最強の大魔法使い、完落ち。所要時間〇・三秒。
「キスなし」の四文字で全面降伏している。
「よろしい。じゃあルール制定するから」
§ § §
「ルールその一。入浴時間中は千里眼の使用を一切禁止」
「了承した」
「ルールその二。浴室のドアから半径三メートル以内に近づくことも禁止」
「三メートルは厳しい。せめて二メートル——」
「交渉の余地はありません。了承するか、キス全面停止か、二択です」
「了承した」
即落ち。交渉力ゼロ。前世で外交を司っていた魔術院のエースがこのザマである。弱点がキスの大魔法使い。
「ルールその三。入浴中に何か緊急事態が起きた場合は、声で確認すること。千里眼ではなく、ドア越しに声をかける。それも、私が『いいよ』と許可した場合のみ」
「ルールその四。万が一これらのルールに違反した場合——」
「守る。全て完璧に守る。違反はしない。だからキスは——」
「まだ何も言ってないんだけど」
「では」
エリオットが、唐突に切り出した。
「代替案を提案してもいいだろうか」
「……代替案」
「千里眼は使わない。それは絶対に守る。だが、浴室全体に防護結界を展開させてほしい。光の波長を完全に遮断した上で、『異常な魔力反応』と『物理的衝撃』だけを感知できるように設定する」
つまり、見えないけど、転んだり刺客が来たり(来ない)したらわかるようにしたい、と。
「それ、本当に覗けないの?」
「覗けない。仮に千里眼を使ったとしても、白い壁しか映らない。私自身が内部の映像を視ることは、結界の構造上、物理的に不可能だ」
「本当に?」
「私の命に誓って」
その一言は、この男が言うと冗談にならない。
「わかった。許可する。ただし、結界がちゃんと機能してるかどうかは、私が毎回テストするからね」
「無論だ」
そしてその夜。
ルール制定後、初めての入浴がはじまった。
はじまってしまった。




