27 手洗い同盟
三十分かけて泡をおおむね片付けた後、問題は洗濯物に戻った。
泡まみれのまま洗濯機の中に放置された衣類たち。すすぎが一切終わっていない。衣類のくせに泡パックされている。
「もう一回洗い直さないと。でも洗濯機、さっき変な音してたし……」
恐る恐る電源ボタンを押してみる。
ガガガガガ、と断末魔の異音が鳴り、二秒で沈黙した。
「……壊れてる」
「すまない」
エリオットが、心底申し訳なさそうな顔をしていた。
前世で国家を揺るがす大魔法を行使した男が、日本製ドラム式洗濯機を壊したことに全力で落ち込んでいる。落ち込むスケール感がおかしい。
「まあ……修理か買い替えかは後で考えるとして。今日は手洗いするしかないね」
「手洗い?」
「手で。洗うの。お湯と石鹸で。人類が数千年やってきたやつ」
「……原始的だが、理に叶っているな」
原始的って言った。洗濯機を壊した男が言うセリフではないよね?
§ § §
浴室の床にたらいを二つ設置した。
一つにぬるま湯を張り、もう一つはすすぎ用。泡まみれの洗濯物を一枚ずつ取り出して、手洗いしていく。
「やり方わかる?」
「……見せてくれ」
私がワイシャツを取り、お湯に浸して、軽く揉むように汚れを落として見せた。
「こうやって優しく揉んで、汚れが落ちたらこっちですすいで、絞る。これだけ」
エリオットはじっと観察した後、恐る恐るタオルを一枚手に取った。
たらいのお湯に浸して、私の見よう見まねで揉み始める。
手つきが壊滅的にぎこちない。
前世では宮廷の図書塔に篭って魔法の研究ばかりしていた男だ。洗濯なんてしたことがあるわけがない。
「力、入れすぎ。優しくね。引っ張ると伸びるから」
「こうか」
「もうちょっと優しく。赤ん坊を洗うみたいにって言えばわかる?」
「赤ん坊を洗ったことがない」
「……そりゃそうだ」
独身の男に赤ん坊の比喩は無理だった。反省。
「じゃあ、るんすけを拭く時みたいに」
「なるほど」
るんすけ比喩は一発で通った。この男のリファレンスがルンバしかない問題。
数回のトライアル・アンド・エラーの後、エリオットの手洗いは徐々にそれらしくなってきた。学習能力だけは異常に高い。さすが魔術院のトップ。応用先が洗濯だが。
「うん、上手いじゃん。その調子」
何気なく褒めた瞬間、エリオットの手が止まった。
〇・五秒後に何事もなかったかのように再開したが、耳の先がほんのり赤い。
(……また)
この男、魔法以外のことでは褒められ慣れていないのかもしれない。
前世の宮廷では「絶対零度」とか「氷の魔法使い」とか呼ばれて恐れられていたから、面と向かって「上手いね」と言ってもらう機会がなかったのだろう。
悠久の孤独の後、初めて褒めてくれた相手が限界OL。しかも褒めた内容が「洗濯が上手い」だ。世界最強の魔法使いの承認欲求の満たされ方としては、あまりにも地味すぎるよね。
§ § §
二人で黙々と手洗いを続けた。
たらいの中で手がぶつかるたびに「すまない」「こっち寄って」と言い合う。浴室の床に並んで座り、お湯に手を入れ、揉んでは絞る。
地味で。退屈で。体力を使う。背中が痛い。膝もだるい。
でも、不思議と嫌じゃなかった。
多分、一人じゃないからだ。
二時間かけて、全ての洗濯物を洗い終えた。
物干し竿に衣類を並べて干す。浴室いっぱいに広がった洗濯物。達成感だけは六畳一間のスケールを超えていた。
「……疲れた」
「ああ」
エリオットの声にもいつもの余裕がない。
顔を見ると、髪がぺたんと額に張りついている。泡の残骸がまだ頬についている。スーツの袖は肘まで捲り上げられていて、細いがしっかりとした前腕が露わになっている。
手首から肘にかけて、うっすらと古い傷痕が見えた。
……いや待て。なぜ私はこの男の腕をそんなに見つめているのだ。
「どうした」
視線に気づかれた。エリオットが小首を傾げている。
小首を傾げるな。その仕草にイケメン補正がかかるからやめろ。
「なんでもないっ!!」
声が裏返った。最悪だ。
§ § §
手洗い大作戦の後、キッチンに戻った。
これも約束だから、と言って、エリオットが料理を始めた。
ほどほどに時間をかけてキッチンから戻ってきた彼が持ってきたのは、シンプルな卵雑炊だった。もちろん魔法は使っていない。彼の手料理だ。
味付けは塩と、冷蔵庫の奥から発掘された鰹だしパック。おかゆに近い柔らかさ。
「米を柔らかく煮た料理は、あちらの世界にもあった。卵は君が冷蔵庫に備蓄していたものだ。鰹の出汁は、るんすけが戸棚の奥を掃除している時に発見した」
「るんすけが発見した」
「るんすけが棚の下に突入した際、鰹だしパックが落ちてきたのだ」
「……るんすけ有能すぎない?」
もはやるんすけの方がチームの頭脳なのではないか。
「これ、ちゃんと作れるじゃん。魔法なしでも」
「……簡素なものしかできないが」
「充分だよ。普通においしい」
エリオットが、不器用に笑った。
……おっと。
それは宮廷の完璧な微笑みとは全然違う、ぎこちなくて、下手くそで、どうしていいかわからないような笑い方だった。
何百年も一人でいた男が、誰かに「おいしい」と言われて、どういう顔をすればいいかわからなくて、とりあえず口角を上げてみた、みたいな。
(かわいい)
思ってしまった。
脳内緊急警報が発令された。赤色灯が回転し、サイレンが鳴り響いている。
(違う違う違う違う。これはイケメンアレルギーの新型変異種だ。かわいいとか思ってない。断じて思ってない。二十八歳の限界OLが異世界の大魔法使いに「かわいい」はない。ない。絶対にない)
泡まみれで洗濯と格闘する姿が、目の裏に焼きついて消えない。
るんすけ比喩で一発理解する真剣な横顔が、消えない。
褒められて耳を赤くする、あの反応が、消えない。
そして今の、あの不器用な笑顔が。
なかなか、消えてくれなかった。
そして翌日、私はとんでもない事実に遭遇するのだった。




