21 添い寝の魔力補給
ちゅう。
した。
やってしまった。
唇が、触れた。
エリオットの唇が、思ったより柔らかかった。それだけ認識した瞬間、二十八年間の処女の理性が一瞬で蒸発した。
深く、した。
頭が真っ白だった。呼吸の仕方を忘れた。鼻の奥がツンとして、目の裏が熱い。こんなに顔が赤くなったことは生まれてこのかた一度もない。体中の血液が全部顔に集まっている。でも手はエリオットの胸元を掴んだまま離さなかった。
逃げるな如月奈々。これは治療だ。医療行為だ。
舌が、触れた。
(うわあああああああ)
脳内で絶叫した。
でも、エリオットが――応えた。
最初は一瞬だけ、びくっとした。気配でわかった。この鉄の男が、驚いた。何百年も生きてきた大魔法使いが、たぶん初めてで、戸惑った。でもそれだけで、次の瞬間には静かに、深く、応えてきた。
そこで頭の中の絶叫が完全に止まった。
光だ、と思った。
エリオットの身体の中に、何かが流れ込んでいく。見えているわけじゃない。でも感じた。川が干上がった川床に水が満ちていくみたいに、失われていたものが戻っていく。
羽みたいに軽かった腕が、重さを取り戻す。体温が戻ってくる。ぼやけていた輪郭が、くっきりと、確かにここにある。そして背中に回った腕が、しっかりと私を抱き返してきた。
生きてる。
消えてない。
唇を、離した。
§ § §
世界が、静止したみたいだった。
床に膝をついたまま、二人とも、動かなかった。
自分の顔が今どうなっているか、わかり切っている。火がついたみたいに熱い。耳まで赤い。たぶん首まで赤い。視界がぼやけているのは涙のせいか熱のせいかも判断がつかない。
沈黙が、三秒続いた。
五秒。
七秒。
「……あの」
先に口を開いたのは、私だった。声が掠れていた。
「魔力、補給、できましたか?」
なんでこんな業務連絡みたいな聞き方をしてしまったんだろう。自分で自分が嫌になる。そして私の言葉遣いが変だった。
「……できましたと、おもいます」
エリオットの声も、掠れていた。そしてエリオットの言葉遣いも変だった。
恐る恐る、顔を上げた。
エリオットの顔が、真っ赤だった。
耳どころか頬どころか首筋まで。漆黒のスーツの衿元から覗く肌まで赤くなっている。何百年も生きてきたはずの大魔法使いが、まるで初めて人に触れた少年みたいに顔を背けていた。視線が床の一点に釘付けで、唇をきつく引き結んでいる。その横顔の耳が、見る間にさらに赤くなっていく。
――この人、今すごく動揺してる。
その事実が、なぜかおかしくて。おかしいのに、泣きそうになった。
「……るんすけのせいだからね」
私は床に座ったまま、ぽつりと言った。
「るんすけが鳴いたから。あれがなかったら、たぶん、できなかった」
エリオットが、黙ったまま、るんすけを見た。
るんすけが、ピロッと一声鳴いた。
「……そうか」
その声が、微かに震えていた。得意の無表情は完全に崩壊している。
私たちは、しばらく、その場に座ったまま動かなかった。
§ § §
問題が、発生した。
「魔力が」
「うん」
「まだ、完全ではない」
エリオットが床に座ったまま、いつもより幾分しょんぼりした様子で言った。しょんぼりという概念と生涯無縁そうな男なのに、今夜だけは確かにそう見えた。
「追加補給が、必要だ」
「……ど、どのくらい」
「今夜一晩。接触を保ちながら、緩やかに補給する方法がある」
「接触って」
「就寝中の、体温共有だ。つまり」
エリオットが、珍しく言葉を濁らせた。
「添い寝をすれば、朝までには全快する」
沈黙が落ちた。
添い寝。
添い寝ってあの、同じ布団で、隣で、一緒に、眠る、やつ。
(それって完全に言い訳として成立するの!?)
「なるべく薄着が望ましい……皮膚接触が多いほうが魔力の供給が捗る」
「う、薄着……ですか」
「理論的にはお互い全裸が最適なのだが……」
「そ、それは無理!!!」
でも今夜この男に消滅されたら困る。現実問題として、添い寝で魔力補給できるならそれが最善策だ。これは緊急処置だ。医療行為と同じだ。そう、これは治療。うん。
「そ、それじゃとりあえずお風呂してくるね!!」
「あ……ああ」
と、とりあえずシャワーだ。シャワーを浴びれば、この思考グルグルも少しはマシになるかもしれないし。
ああ、どうしてこんなことに!?
§ § §
「はぁ、さっぱりした」
さて、着替えなくては。
いつも着ているパジャマは、上下スウェット。でも流石にスウェットで添い寝はマズイだろう。かなり生地が分厚いし。
ノンキホーテで買った安物だけど、着心地はいいから気に入ってるんだけど。
うーん。薄着。薄着。
くっ!
上はタンクトップ。下はパンツ一丁……こ、これが限界ギリギリのラインです、許してください。
「お風呂あがったよー」
言ってから、自分の声が上ずっているのに気づいた。気づいたが、もう遅い。
「わかった」
エリオットが、ゆっくりと立ち上がった。その動作がいつもより少しだけゆっくりで、まだ完全に力が戻っていないのだとわかった。
「先に寝ていてくれ。私もすぐ行く」
その台詞が何気なく放たれた瞬間、脳みそがショートした。すぐ行くって何。何がすぐ行くって何。何の話。
私は逃げるようにベッドルームに入り、布団に滑り込んで、壁の方を向いた。
眠れるわけがないよね!?
目をつぶっていると、気配が入ってくる。
布団がめくりあげられて――。




