第23話近づく記憶
「どうぞ、こちらへ……」
フルールは作業机兼化粧台の前に置いてある丸椅子を勧め、自身はベッドの上に乗って小さく膝を抱えた。
遠い記憶の糸をそっと手繰り寄せるように、彼女はぽつり、ぽつりと呟く。
「七歳の頃だったと思います……。ラグネル姉様とヴィア姉様と私で、よくこの村を走り回って遊んでいたんですよ……」
ラグネル。また新しい名前が出てきたな。
「ヴィア姉様の出自は分かりません。ただ、学院には行っていなかったと思います。校内で姿を見たことがなかったので……」
「一緒の屋敷に住んでるんじゃないのか?」
「たまに部屋に泊まったり、ふらっと居なくなったり。いつも猫のように自由にしていました……」
小さい頃からそんな風来坊じゃ、わがままな性格に育つわけだ。少しだけ納得がいく。
「父も、姉様のことを咎めることはありませんでした……」
「そういえば、ルガンはどうしたんだ?」
少しの間を置いてから、俺は核心へ話を戻した。ここしばらく、酒場でマスターの姿を見ていない。
「他の姉妹が心配するから、みんなには言っていませんが……行方不明なんです」
「警察には言ったのか」
「……言えません」
フルールは痛ましそうに首を振った。
「どうして」
「この村の警察は――アイス家と繋がっています。父もそれを分かっていて、自ら姿を消したんだと思います」
「つまり、自分の意志で……」
「小さい時から、父様の考えていることはなんとなく分かるんです。誰かに連れ去られたんじゃない。自分から居なくなったんだと」
そう答えるフルールの瞳には、確信めいた光が宿っていた。彼女は静かに言葉を重ねる。
「父は昔から、何かを知っていた。でも、私たちにはずっと何も言わなかった。それが――娘たちのためだと思っていたんでしょうね……」
「……俺から見ると、逆に見えるけどな」
「え?」
「何も知らない方が、危ない場合もある」
脳裏に、俺の中の『母の記憶』がかすめて消えた。何も知らされず、ある日突然引き裂かれたあの日の光景が。
フルールはしばらく黙っていた。それから、俺の言葉を噛みしめるようにゆっくりと頷いた。
「……そう、かもしれませんね……」
「一人で抱えて辛かったろうが、よく耐えたな」
「……っ」
フルールの肩が、小さく震えた。
俯いたまま、白く細い指先がスカートの生地をぎゅっと握りしめる。
「……そんなこと、言われたの……初めてです……」
今にも消え入りそうな声だった。
部屋には、古い柱時計が刻む規則正しい針の音だけが響いている。
「別に格好つけてるわけじゃない。本心だ」
「ふふ……はい……」
フルールが、ほんの少しだけ口元を緩めた。だが、その薄氷のような笑顔はすぐに陰ってしまう。
「きっと……ヴィア姉様も、自分が死ぬことを分かっていたんだと思います」
「どういう意味だ?」
「校内戦の日……酒場に寄った姉様、どこか変だったんです」
「変?」
「ずっと、窓から学院の方を気にしていて……まるで、誰かを待っているみたいでした」
ピリッ、と室内の空気が張り詰めた気がした。
ヴィアはあの日、俺より早くアーサーの家を出たはずだ。
学院とは方向が違うヴァロン酒場で、そいつと会う約束でもしていたのか?
「それで、会えたのか?」
「……そこまでは分かりません。でも、たぶん――男の人です」
フルールが嘘を言っているようには見えなかった。姉妹だからこそ気づく直感というやつだろう。
「話してくれてありがとう。ディヴィも、他の姉妹も、あんたも――全員、俺が守る」
口にしてから、急に恥ずかしさが込み上げてきた。ガラじゃない。
フルールは目を丸くして俺を見つめていたが、やがてそっと長い睫毛を伏せた。
「……ロットさんは……」
「なんだよ」
「変な人ですね」
「悪かったな」
「ええ……」
フルールは照れ隠しのように、毛布をそっと顔の半分まで引き上げた。
「ディヴィも、そう言っていましたよ。あなたのこと……」
「ディヴィが?」
「『好きな男が出来た』って」
「……っ」
喉の奥が、カッと熱くなった。視界が急に歪みそうになるのを、奥歯を噛み締めて必死にこらえる。
「……そうか」
絞り出せたのは、それだけだった。それ以上は何も言えなかった。
もしあの時、俺がもっと傍についていれば――。胸の奥で、黒い後悔がじわりと滲んでいく。
「最後に、一つだけ聞かせてくれ」
「はい」
「ラグネルって姉は、今も生きてるのか?」
フルールの動きが、ピタリと止まった。
一秒。
二秒。
「……生きています。」
フルールは悲痛な面持ちで、俺を真っ直ぐに見つめ返した。その瞳に、曇りはない。
「ただ――」
「ただ?」
「ラグネル姉様は……ヴィア姉様より、もっと深い所に居ると思います」
「深い所?」
「アイス家の――核心に、一番近い場所」
俺は深く息を吐き出し、黙って立ち上がった。
「ロットさん……」
「なんだ?」
フルールは膝の上で細い手を組み、すがるような、けれど真剣な目で俺を見上げた。
「本当に――私たちを守れますか?」
俺は少し考えた。嘘の気休めは言いたくない。
「確約はできない。……でも、死んでも守ってみせる。それだけは言える」
フルールは、今度こそ心からの小さな笑顔を見せた。
「……信じます」
(母さん、ヴィア、アーサー、そしてディヴィ――俺は、もう二度と誰も殺させはしない。)
その瞬間。
――コンコン。
静寂を破り、部屋のドアが硬い音を立てて叩かれた。
フルールがびくりと肩を震わせ、顔から血の気が引いていく。
「……誰……?」




