第20話王宮への三叉路
酒場で深夜1時30分まで過ごした。危険を承知の上で自宅に帰り、警戒していたが泥のように眠った。目を覚ました時には、すでに太陽が頂へと昇りお昼を過ぎていた。
家の中は特に変わった様子もなく、ただただ貪るように爆睡してしまった。それだけ、初日の酒場アルバイトで心身ともにクタクタに擦り切れていたのだろう。……イルテたちの騒がしい洗礼のおかげで、退屈だけはしなかったがな。
「――面会謝絶……?」
「ええ。昨日の夜、病院に電話したら……そう言われて、断られてしまったの……」
昨日、酒場でフルールが寂しげに溢していた言葉が脳裏をよぎる。ディヴィの容態が急変したわけではないと思いたいが、面会すらできないとは。
そういえば、ヴィアは酒場に住んでいるのだろうか。直接行って、そのあたりを確かめてみるか。
俺は冷蔵庫の残り物で軽く食事を済ませると、再び重い足取りで酒場へと向かった。
「こんにちはー」
「あ……開店前ですよ……。あら、ロットさん……」
厨房の奥から、エプロン姿のフルールがひょっこりと顔を出して出迎えてくれた。
「昨日は色々と世話になったな!」
今日の目的は、酒場での情報収集だ。昨日、泥酔した客たちの会話から拾い集めた噂によれば、明日――10月31日には、予定通り『アイスゲーム』が開催されるという。
あんな凄惨な事件が起きた直後だというのに、狂気の祭典は止まらない。そもそも、俺は舞台に上がるべきなのだろうか。……いや、考えるまでもない。
アーサーとヴィアが消され、ディヴィが倒れた今、俺にはもう、あの戦いに身を投じる以外の選択肢など残されていないのだ。
「フルール。俺はヴィアとディヴィの手がかりを探してる。警察がここに嗅ぎ回りに来る前に、少し協力してほしい」
俺は真っ直ぐに彼女の目を見据え、単刀直入に切り出した。
「ヴィアはここに住んでいたのか?」
「そうですね……。ヴィア姉様は……私の義父であるルガンが、どこからか連れてきた女性です……」
「なに……?」
思わぬ名、そして義父という複雑な繋がりに俺が言葉を失っていると、フルールは困ったように視線を落とした。
「夕方になれば、少しだけ休憩が取れます……。それまで2階の客間で待っていてください……」
ここは大人しく彼女の言葉に従っておくべきだろう。フルールには悪いが、ただ待っているつもりはない。彼女が仕事に追われている隙に、勝手に手がかりを探させてもらうとしよう。
「……これは信じられないな」
階段を上がり、2階に足を踏み入れた瞬間に息を呑んだ。
1階の簡素で薄暗い酒場の喧騒が嘘のように、2階の廊下はまるでどこかの王宮かと思わせるほど豪華絢爛な造りになっていた。
この店のマスターは王族の血筋か何かなのだろうか。謎は深まるばかりだ。
フルールは確か客間は突き当たりの奥の部屋だと言っていた。
廊下は三叉路に分かれており、並ぶ扉には従業員室を示す『0』から『6』までの番号が刻まれている。その他にシャワールーム、トイレ。そして一番奥に位置する扉――ここが客間のようだ。
「ここか……」
シャワールームの真隣に位置する客間の扉を静かに押し開ける。
室内はまるで、ホテルを思わせるクラシカルな談話室のようになっていた。
「プライベートを覗き見る趣味はないが……背に腹は変えられない。調べさせてもらうぜ」
俺は即座に部屋の四隅を検分し、隠しカメラや盗聴器の類が設置されていないかを確認する。……それにしても、なぜこの部屋はわざわざシャワールームの隣に配置されているのだろうか。
「よし、安全は確保した。ん……?」
部屋が静まり返った瞬間、薄い壁を隔てた隣の部屋から、微かに水音と賑やかな声が漏れ聞こえてきた。
「おーっほほほ! 見なさいケイ、このキメの細かい至高の肌を! 令嬢たるもの、髪の一本にまで慈しみと気品を持って洗わなければなりませんわ。さあ、大人しくこの私に頭を預けなさいな!」
「……。……ふあ。……イルテ、声、響く。……お風呂、眠い……。……適当で、いい……」
ケイは湯船の縁に腰掛け、今にも眠りに落ちそうな様子でこっくりこっくりと首を折っている。
「ちょっと、寝るんじゃありませんわよ! 石鹸が目に入ったらどうするんですの! ほら、ちゃんと俯いて! まったく、13歳にもなって自分の髪も満足に洗えないなんて、本当に手のかかるガキんちょですわね」
口から飛び出すのは辛辣な文句ばかりだが、隔壁越しに伝わってくるイルテの手つきは驚くほど優しげだった。細い指先で、ケイの頭皮を丁寧にマッサージするように洗っていくその動きはまるで弟妹を育て上げたかのように手慣れている。
「……。……イルテ、指、気持ちいい。……そこ。……ずっと、やって……」
「調子のいいことを言わないの! 私はあなたの専属メイドではありませんのよ? でも、まあ、あなたの髪は細くてとても柔らかいですから……こうして洗ってあげていると、なんだか……小動物のお世話をしている気分になりますわね。おーっほほほ!」
「……。……イルテ、おっぱい、当たってる。……邪魔。……顔、ぶつかる……」
「なっ……!? な、何を言っていますの、この不届き者は! 私のこの完璧な発育は、もうすでに完成の域に……ああっ、ちょっと動かないでくださいまし! 泡が四方に飛び散って!」
「……。……。……(無言で胸を揉んでいる)」
「……もう、本当にわがままな子ですわね。……でも、まぁ。騒がれるよりは、少しだけ……可愛げがありますわね(小さく微笑みながら、お湯でそっと泡を流してあげる)」
「さあ、ケイ! 綺麗に流し終わりましたわよ、シャキッとなさいな!」
後ろから抱きかき起こすようにケイの身体を支えるが、ケイはその小柄な体躯をイルテの豊かな弾力へと完全に預けきってしまっている。
「……ん。……。……イルテ、次、体。……洗って……」
「おーっほほほ! 図に乗るのも大概になさーーーいっ!」
ドタバタ、バシャバシャ。
シャワールームから響いてくる、騒がしくも平和な音を意識の外へとシャットアウトし、俺は本格的な捜索を開始した。
棚の引き出し、調度品の隙間。隈なく目を走らせていく中で、本棚に並ぶ一冊の古い書籍に目が留まった。その表紙のデザインに、かすかな既視感を覚えたのだ。
指先で引き抜き、ペラペラとページを捲る。
「……『アーサー王伝説』か」
高潔なる王が、信頼していた最愛の騎士に裏切られる悲劇の物語。ページをめくる指に伝わる感触は酷く脆く、随分と昔に読み込まれたボロボロの絵本のようだった。
既に中身読めない。これ以上の収穫はないと判断し、さっさと本棚の元の位置へ戻そうとしたその時。
カサリと微かな摩擦音がした。
本棚の奥、木材の狭い隙間に一辺の古びた紙切れが不自然に挟まっているのが見えた。
「これは……」
俺は息を潜め、人差し指でその紙片を慎重につまみ出した。




