第18話両手を呪い
前にこの酒場に来たときには見かけなかったが、彼女も姉妹の一人だったのか――。
これには素直に驚かされた。どこかの高貴な令嬢か何かだと思い込んでいた。まさか吹き溜まりのような酒場に身を置いているとは想像もしなかった。
「おーっほほほ! 皆様、今日もわたくしの類稀なる美貌に乾杯なさって? ……あら、そこにいる冴えない貴方。確かロットさんでしたかしら?」
……本性はこんな奴だったのか。演奏していた時との豹変ぶりに、俺は完全に鳩が豆鉄砲を食らったような顔で立ち尽くすしかなかった。
「ケイに用があるのでしょう?」と彼女は優雅にけれど、どこか寂しげな視線を奥へと向けた。
「アーサー様が亡くなってしまって、わたくし、本当に傷心なんですの! だからこうして、狂おしい悲しみを紛らわせるためにせっせと泥のように働くのですわ。おーっほほほ!」
まるで舞台の役者が定められた台詞をなぞるように、それだけを一気に捲し立てると、彼女はひらりとスカートを翻して他の客のテーブルへと去っていった。
「おーい、ケイ。生きてるか」
声をかけてから、我ながらあまりに不謹慎な呼びかけだったと小さく後悔する。
「……ん。ロット、うるさい。……まぶしい……」
いつも隣で口喧嘩をしていたスタンがいないせいだろうか、心なしかいつもよりひどく眠たげに身を縮めている。
「あんな事があったからな。心配になって顔を見に来たんだぞ」
「……へーき。ケイはいつも通りだから……」
この極限状態にあってもマイペースを崩さない。
その意外な図太さに触れて少しだけ救われたような気がした。あいつを励ますつもりでここへ来たというのに、皮肉にも俺の方が出口のない暗闇からほんの少しだけ引き上げられたような温もりを感じていた。
「……それにケイはいつも人一倍働いてるし……」
「嘘つけっ!!」
いつも通りにツッコミを入れ、やれやれと頭を振りながらカウンターの席へと腰を落ち着ける。
さて、この後の行動を整理しよう。アーサーの家は現在、警察の手で厳重な家宅捜索が行われている。被害者であるアーサーの家にだ。
幸い俺の荷物は置いてないし余計な嫌疑を掛けられるのは面倒だ。
もう一か所はここヴァロン酒場だ。ヴィアとディヴィが働いてたんだ。ここに警察が来るのも時間の問題だ。
「どうぞ……」
先ほどの銀髪の物静かな店員が硝子のコップに入ったお冷をそっと差し出してくれた。
「今日は店をオープンしたんだな。学院は休校だっていうのに」
「昨日……ディヴィのお見舞いに行こうとしました。でもあの子なら、きっと……何があってもお店を続けて欲しいって、そう言うだろうなと思ったから……」
静かなけれど確かな意志を含んだ声。確かにあいつなら、自分のせいで店に迷惑をかけるくらいなら、血を吐いてでも店を回せと言い放ちそうだ。あいつの強固なプライドが容易に想像できて胸が痛む。
「俺はロットだ。あんたの名前は?」
「フルールです……」
「ヴィアとも交流があったのか?」
「ええ……」
やはり警察の影がちらついているせいかひどく警戒されているような奥手な印象を受ける。
そういえば、昨夜からまともな食事をとっていないことに気づいた。ここは昼から厨房を開けているらしい。その事実が今の俺にはありがたかった。
「何か、おすすめのメニューをくれ」
「それなら……アリビオ湖で捕れた海鮮ピラフと、エスペヒスモ熊肉の山菜和え。それから、じゃがいものシチューが、冷えた身体を温めてくれるわ。……今は、アイスゲーム直前だから、一律10%引きになっているけれど……」
急に饒舌になるフルールに驚いた。料理が好きなんだろう。
手渡されたメニューに並ぶ、聞いたこともない異国情緒に満ちたカタカナの羅列。
俺が元いた寂れた村に比べればこのブランカという土地は、食物も文化も遥かに豊かな場所のようだった。
「――アイスは、どうされますか……?」
それは、俺やこの村の連中がいつも煽るように飲んでいる、酒に酷似した奇妙な水のことだった。アーサーが生前、頑なに拒み続けていたあの透明な液体。
これからどんな追手が迫るかも分からない極限状態だ。身体の自由を奪われるわけにはいかない。今回は明確に遠慮しておこう。
「……では、ごゆっくり休んでいってくださいね」
◇隠し部屋
酒場『ヴァロン』の賑わう喧騒から切り離された、光の届かぬ秘密の部屋。
そこには、ロットが店に到着するよりも少し早く、密かに気配を潜めている不穏な影があった。
一人は、深いフードを被り顔を覆った謎めいた男。そしてもう一人は――ウサ。
御年90歳を迎える、肉の塊のような太った老齢の怪物。
その肉体は老いさらばえていようとも、胸の内に燻る昏い野心は未だ衰えてはいない。
表社会では、さも『アイス家』と激しく対立しているかのように演じているが、それはすべて欺瞞に過ぎなかった。
その実、彼は裏でアイス家と手を結び好機を狙って、巨大な利権ごと全てを乗っ取ろうと画策していたのだ。
怪物は目の前でもたらされた新たな取引の内容に、興奮を隠しきれない様子で身を震わせている。
「カハハハハ……! アイスゲームで我が陣営が優勝した暁には、不老薬の代わりに貴様の長年の悲願を叶えてやろう。さすればワシの宿願もまた成し遂げられるというものじゃ」
「退屈極まる学園に潜り込んだ甲斐があった。俺はその為だけに泥をすすり今日まで生きてきた。イルテの為確実にアイスゲームで勝利する。」
フードの男は、低く冷徹な声を響かせる。
ウサはその肥満した顔に醜い歪みを生じさせ、当然の疑問を投げかけた。
「しかし、小耳に挟んだところによると貴様は校内戦でトップ10にすら入れず、代表の座からも滑り落ちたそうではないか?」
「フン……。本番はあの温い校内戦じゃない」
フードの男は暗がりの中で冷酷な嘲笑を漏らした。
「案の定、奴らは『不戦の誓い』を破り結果としてヴィアとアーサーは消し去られた。残された優勝候補はオレだけだ」
「カハハハ……!! 全てが首尾よく済んだ後には、貴様の美しい妹をワシの愛妾として迎え入れてやってもよいぞ? ワシは昔から美しい品定めが得意でな!」
怪物の下卑た笑い声が、冷たい石壁に反響する。
(……豚が、のぼせ上がるのも大概にしろ)
男はフードの奥で、激しい嫌悪とともに内心で吐き捨てた。俺の真の願いさえ叶うのであれば、用済みとなったこんなゴミ屑いつでも首を刎ねて殺してやる。
「これにて取引成立じゃな。……我が忠実なる5女――いや」
ウサが歪な笑みを浮かべてその名を呼んだ。男はゆっくりと頭を覆っていたフードを取り払った。
「――5男スタン」
露わになったその相貌。
それは紛れもなく、昨日までアストレイア女学院の絢爛たる校舎でロットと激しい火花を散らしていた黄色い髪の男、スタンその人であった。




