第10話死を見ていない
「ここは……」
石と鉄の厳めしい留置場から抜け出した先で俺たちを待っていたのは、静まり返った無機質な住宅地だった。
「この辺りは仕事で来た事がある。後ろは川だ、気を付けろよ」
「ひえっ……」
「時間がない、今後の方針をまとめるぞ」
ドイルの肩をぐっと掴み、闇の奥へと押し込む。
「次に消されるのは俺とお前だ。奴らは俺たちが行動を共にしていることを知っている……」
「夜間は奴らのフィールドだ。夜明けまで、ここで身を潜めて待て」
「ま、待ってください! 昼に乗ってきた僕の車がありますよっ!!」
ドイルが縋るような声を上げる。しかし、脱出の途中に遠目で確認したナタール警察署の駐車場に、肝心の愛車の姿はなかった。
「一夜にして平気で二人を屠るような連中だ。車に発信機か爆弾が仕掛けられている」
「そんな、じゃあ僕たちの家の周辺も……」
「ああ、もうダメだろうな」
「そんな……っ」
絶望に打ちひしがれるドイルを見つめながら、俺は歯噛みする。圧倒的に情報が足りない。
「アーサーの家に向かえ、そこで情報を集めてくれ。」
警察署から回収した荷物の中から一枚のメモ用紙を握らせる。電子機器は一切使えない。GPSで一瞬にして位置を割り出されるからだ。
「手書きだが……よし、これなら分かるだろ」
「アイスゲーム会場の東ですか」
「会場を横切れば速い。幸いゲームの準備で大型の資材やオブジェが散乱している。追手の目を欺くには絶好の隠れ蓑だ」
「会場はブランカ村の中心ですしね……!」
脳裏に時計台を中心に禍々しく組み立てられていたステージの残像が過る。
「昼に連絡をくれ。そして、会場で落ち合おう」
「わかりました。……ロットさんはどうするんですか?」
「アーサーとヴィアの遺体を探す」
「えっ!? だ、だけど、確かもう鑑識に回されたんじゃ……」
「ああ。だが考えてみろ。このブランカは四方を険しい山と深い谷に囲まれた陸の孤島のような小さな村だ。鑑識を行える施設はもっと大きな街にしかない。まだこの村のどこかに置かれているはずだ」
――そもそも、俺はヴィアたちの死体をこの目で直接見たわけじゃない。
一体どこに行ったのか。何が本当で何が嘘なのか。
この目で真実を確かめるまでは、あの2人の死を決して信じるわけにはいかない……!!
「じゃあな、また会おう」
「ロットさん、どうか気を付けてください!!」
「お互いにな」
ドイルに背を向け、チラリと川面を流れる鈍色の流氷を静かに眺めた後、俺は再び、底知れない暗夜へと歩き出した。
◇
「怪しいのはここか。にしても不気味な家だ……」
骨にまで刺さるような寒さと濃密な闇が空間を完全に支配している。
どうしたことか、普段の俺にしてはこの場の空気に気圧されている気がしてならない。
今後起こりうるであろう、さらなる悲劇の予感に、魂が沈んでいた。
当たり前だ。仲間が2人も無惨な姿で死んだと聞かされた。
(ヴィアの手がかりがあるとすれば、働いていた酒場……)
ドイルの用意した太陽光充電式の腕時計で時刻を確認する。現在は深夜2時46分を回っていた。
見上げた先にあるのは普段、嫌というほど通い慣れたはずの酒場『ヴァロン』。
(ヴィア……)
「…………」
(酒場の連中は2階で寝静まっているはずだ。せめて1階だけでも、足跡を追っておきたい……)
ビクッ、と全身の毛が逆立った。
「……何かいる」
建物の脇、不自然に揺れた茂みの影。身構え、ナイフの柄に手をかけた、その時。
「にゃあ」
「……チッ、シロかよ」
張り詰めた緊張が抜け、深い溜息が出る。
「家で待ってろって言っただろ」
だが、冷え切った暗闇の中でその小さな体温が妙に愛おしかった。おかげで凍りつきそうだった胸の奥に、微かな勇気が湧いてきた。
「まずは裏口からだ」
そっと足をかけるが古びた木の床板が深夜の静寂の中で恐ろしいほど甲高い悲鳴を上げる。夜の音は、なぜこれほど神経を逆撫でするのか。
(何か手掛かりはないか……)
カウンターの裏を手探りで棚を漁る。ガサゴソという衣擦れの音すら恐ろしい。指先に触れた紙の束を引き抜いた。
(でかしたっ、従業員のリストだ……!)
薄闇の中、目を凝らしてページをめくる。
――シフト表:10月25日(金)
0:ルガン
2:フルール
4:ディヴィア
6:ケイ
(4:ディヴィア……? いや、あいつの名前はヴィアだ。別人か? それとも——)
カサッ、と微かな音を立ててリストを元の場所へ丁寧に戻す。
何はともあれ、これで明日の昼に出勤してくる奴らの顔ぶれは確認できる。
(もう限界だな……出よう)
ギィ……と、裏口の扉を押し開ける。
(おかしい。1階は、ボロボロなどこにでもある酒場のはずなのに……なんだ、この肌に粘りつくような違和感は)
(直感が告げている。今はまだ2階へ行ってはいけない……)
これはもう疑いようのない確信だ。殺人犯が真上で息を潜めて眠っている。
ザッザッと雪を蹴立てて走り、息を切らせながら影に身を潜めた。
「はぁっ……はぁっ……」
「ここまで来れば……」
恐怖に支配されそうになる身体を抱きしめ、来た道を振り返る。あそこはまるで世界の理から切り離された別空間だった。
もうあそこには——。
「「いきたくない」」




