悪役の不在(対話)
王子の喉は乾いているのに、言葉は止まらなかった。
それは雄叫びではなく、悪役の存在を確定させるための呪文に近かった。
「お前は世界を危険に晒した!」
口火を切る声は震えていた。
叫びというより、自己確認のための反復。
「教育を歪めた!」
語気を強めるほど、その言葉は空間に吸い込まれて軽くなる。
芝生の上で跳ねた声は、音響効果のない屋外演奏のように拡散していった。
「痛みを奪うのは――堕落だ!」
最後の叫びは、英雄譚のクライマックスを期待した放火だった。
怒りという名の火種を手に、王子は燃え上がる劇を望んだ。
誰かが怒り、誰かが反論し、世界が割れるはずだった。
だがユーフェミアは振り向かない。
鳥が落としたパン屑を指先で払うように、淡々と応じた。
「痛みは非効率。」
声色は澄んでいた。責めではない。許しでもない。
物理法則を述べるのと同じ強度で。
「教育に必要なのは、能力の総量を最大化する仕組みよ。」
それは論理の刃ではなく、資料に紐づけられたスライドの箇条書きのような回答だった。
圧倒でも拒絶でもない。
ただ「世界の仕様」を淡々と提示する手つき。
王子の叫びは、炎を求める火打石だった。
ユーフェミアの返答は、その火打石を乾いた水面に落とす手だった。
火花は立たない。音すらない。
彼女は議論を回避したわけではない。
挑発から逃げたわけでもない。
むしろ正面から受け止め、要件に沿って回答した。
ただひとつだけ――
王子が必要とする“ドラマの燃料”だけは、どこにもなかった。
英雄が焚きつける怒りの火床が、そもそも存在していなかった。




