ユーフェミアの回答 ——「価値観の断絶」
ユーフェミアは、視線を鳥から外さなかった。
王子の到着など、予期していなかったかのように――いや、興味の範囲外であるかのように、パンを指で割り、小さく千切れた欠片を芝へ落とす。小鳥が軽やかに跳ね、くちばしでそれを啄む。
「あなたが望む場所に、私がいなければならない理由がないもの。」
声音には拒絶の影がない。怒気も、弁明も、嘲りも存在しない。
それは“お天気の報告”と同じ重さで放たれた言葉だった。
王子の耳は、一瞬その意味を誤読した。挑発だと思いたかった。断罪から逃げる姑息な言い訳だと決めつけたかった。
だが、彼女の表情にはそうした炎の種が一欠片もなかった。
王子は理解するのが遅れた。
遅れたからこそ、理解した瞬間は致命傷の衝撃だった。
——彼女にとって、自分の演説会場は“価値のある場所”ではなかった。
——彼女にとって、抗弁も決闘も“必要な手順”ではなかった。
——彼女にとって、自分は“対峙すべき敵”ですらなかった。
王子の肺に入った息が、音を立てずにこぼれ落ちる。
胸の奥で燃え続けていたはずの英雄譚が、灰になって舞い散る。
それは爆散ではなく、静かな崩壊だった。形のわからない砂粒になって指の隙間から流れ落ちるような――手応えのない敗北。
視界の端で、芝の上の鳥が跳ねる。
餌を取り尽くして飛び立ち、ユーフェミアはその行方をひと呼吸分だけ追う。
その仕草は、王子を視界に捉える時より、よほど丁寧で思慮深かった。
「悪役は宣言の場に現れ、対峙し、屈服する。」
王子の中の声が呟く。
幼い頃から読み聞かされた物語の条理。英雄になる者が信じるべき筋書き。
世界が――人々が――必ずそう動くという、子どもの頃からの無言の約束。
それが、ユーフェミアの一言で崩れ落ちた。
神話は砕け散るとき、爆発では終わらない。
ただ、存在しなかったものとして消える。
彼女の言葉は、雷ではなく氷水だった。
怒りを止めるのではなく、燃料そのものを溶かして流し去る。
その冷たさには敵意がなく、だからこそ容赦がなかった。
ユーフェミアはようやく王子を見た。
淡い眼差し。驚きも面白みも宿さない、静かな観察者の瞳。
「あなたの“物語”には、私を登場させないでください。
私は、私の仕事の続きをします。」
それは拒絶ではなかった。
それは否定ですらなかった。
価値観の断絶。
ただ、それだけが紛れもなく真実だった。




