“対立”の不成立 ——「燃料の欠如」
王子は、周囲の視線を痛いほど感じていた。
中庭の静寂は、彼にとっては拷問だった。
嵐を呼ぶ舞台のはずが、そこにあるのは乾いた昼下がりの空気だけ。
生徒たちは、ハンモックに揺られながらちらとこちらを見る。
視線は好奇ではない。放課後に新しいカフェができたらしいよと噂を聞いたときと同じ、軽い水面の揺れほどの興味。
教師はティーカップを置く。
皿の上で陶磁器が触れあう音が、王子の怒号よりもよく響いた。
誰も戦いを望んでいない。
正義の火種が存在しない。
悪役の予感も存在しない。
あるのは、ただの生活だ。
王子は吠えた。
声を震わせ、怒鳴り、詰った。
理想を並べるほど、自分自身の中にある空洞が拡がっていく。
「俺は勇者だ! 使命がある!
学園の秩序を守るために! 世界の未来のために!
魔王封印の継承者として――!」
言葉が空気に投げ出されるたび、誰かのノートパッドのスクロール音がそれを飲み込む。
英雄の雄叫びは、検索バーに吸われるノイズに変換されていく。
それでも王子は喚いた。
「俺は……怒っているはずだ……世界のために……!」
ユーフェミアは、パン屑を鳥へ投げ終えると、ようやく一度だけ大きな欠伸をした。
それは退屈の表現ではない。
気圧の急変で生じた身体反応くらいの自然さで。
「怒りは処理対象です。
無駄な熱量は、社会の障害になります。」
淡々。静謐。
“怒り”そのものに道徳は求めないという、医療手順のような語り口。
王子の心臓は掴まれたまま解放される。
締め付けられた恐怖も、噴き出すはずだった憎悪も、どこかの排水管に流されたかのように消えていった。
それは魔法だ。
感情を抑圧する暴力ではなく、過剰な感情を分解する最適化。
王子自身が毎朝浴びている、集中補助と同じ類のもの。
怒りを燃やそうとした瞬間に、燃料そのものが化学的に中和される。
王子は言葉を探す。
だが、胸の奥で燃料タンクは空、火口は湿っている。
息だけが虚しく漏れる。
周囲の空間は、彼と対立しなかった。
世界は、王子の敵意を受け取る資格を持っていなかった。
対立は成立しない。
戦いは発火しない。
英雄譚は、誰も炎を必要としない世界には存在できない。




