発動 ― 魔力回路の同期
深夜三時。
夜更かし組の喧噪すら尽き、
学園はようやく倒れ込んだ戦場のように静まり始めていた。
その沈黙の下で――異変は起きた。
校舎の魔力回路。
魔導照明、寮の安全装置、図書館の防犯結界、中庭の循環魔術。
それらバラバラの機能を担うはずの網の目が、
ひとつの呼吸器官のように微光を帯び始める。
最初はかすかな脈動で、
まるで遠雷が雲の奥で眠たげに鳴っただけのようだった。
しかし次の瞬間、魔力は校舎の壁を伝い、柱を登り、
世界の骨に血液が流れ込むように全域へと広がった。
庭園の中央。
ユーフェミアはそこで一人、月光に染まった白い制服を纏い、
静かに両手を合わせた。
詠唱は低く、無色透明で、
風にすら察知されないほどの小ささ。
《再生の安息(Restoration of Serenity)》
その名は、慈悲の呪文ではない。
矯正を宣言するコードだった。
魔力はユーフェミアの体表から滲み出て、
寮の魔導ネットワークへ繋がり、
そこから校舎の回路すべてへ等速伝播する。
治癒魔法の常識――対象の肉体を癒すという枠組みは一切ない。
彼女が修復するのは人ではなく、環境。
疲労を抱えた学生の胸に眠気を押し込むのではなく、
**“学園そのものに眠気を付与する”**という倒錯。
呼吸の回数、心拍の振幅、筋肉の緊張値。
それらをまとめて許容範囲へ押し戻す。
抵抗や不満、意思は統計上のノイズ。
ユーフェミアは瞼を落とし、
自分で自分を抱くような形で腕を組む。
「睡眠不足は“不自然”。
私が“自然”へ戻す。」
それは独白というより宣告だった。
彼女は誰にも届かない声で言う。
癒しの定義に「本人の苦痛」が必要だという発想を、
そもそも持ち合わせていない。
魔力回路の光はさらに濃く、柔らかく膨らんだ。
寮の壁面は淡い乳白色を帯び、
空気そのものがまどろみの粘度を得ていく。
照明が落ちるのではない。
照明の概念が眠るのだ。
瞬間、学園全体の意識は同時に弛緩した。
抵抗の余地はなく、
それは痛みを伴わない崩落だった。
眠りに落ちたのは生徒でも教師でもなく――
世界の側だった。




