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ユーフェミアは今日も眠い。  作者: 南蛇井


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エリーの内破 ― 感情の不可逆領域

返す言葉が、喉の奥で石になった。

 ユーフェミアは数本目の根を落とし、白い指先を水で濯ぐ。

 その一連の動作は、礼儀というより機能の連続だった。

 悪意の欠片もない。致命的なのはそこだった。


 この人は――“慰めてくれる悪役”じゃない。

 胸の内で呟いた言葉は、まるで自分に向けた毒のように焼けた。


 エリーの脳内で、三つの崩壊が同時に始まる。


●1. 被害者ロールの崩壊


 「私は傷つき → 誰かに救われる」

 その線形の物語が、最初から存在しなかったかのように瓦解する。


 ユーフェミアの前では、“傷つくこと”が未処理の不具合に等しい。

 彼女に差し出した痛みは、物語の導火線ではなく作業依頼になる。


 ――スタート地点が消えた物語は歩けない。

 舞台袖に立った役者は、何の cue も得られず、ただ沈黙に取り残される。


 胃の奥が反転する。吐き気すら物語の演出にならない。

 ただの症状だ。


●2. 安全な悲劇の喪失


 エリーは理解する。

 自分の悲しみは、抱きしめられて慰められるための布だった。

 痛んでいる私は、世界に対する安全な提出物だった。


 しかしユーフェミアは悲劇の幕を引き裂き、舞台に直接救済を投下する。

 悲劇を経由しない救いは、一種のショートカットだ。

 観客は涙を流す暇もなく、拍手の機会すら奪われる。


 その結果、役者は宙づりになる。

 悲劇すら演じられないなら、私は何を演じるの?


 熱が肺を圧迫する。

 呼吸を整えるふりで、心臓の暴走を誤魔化す。


●3. 感情の孤立


 誰にも殴られない世界ほど、孤独な舞台はない。

 痛みを共有できれば友を得られる。

 傷は鏡になる。相手の傷と照らし合わせて、やっと対話が成立する。


 だが幸福は共有対象にならない。

 サービスとして個人適用される。

 ユーフェミアが齎す回復は、一人ずつ完結する取引に近い。


 ――だから、誰かと同じ幸福を語り合う瞬間は存在しない。

 全員が「自分は回復された」と言うだけで、それは互いに届かない。

 そこには共感も、関係性もない。


 温室の奥で、ユーフェミアがまた一枚の葉を切断する。

 鋏の音が透明に響いた瞬間、エリーの感情は不可逆領域へ滑り落ちた。


 彼女の苦しみは、誰にも手触りを与えない。

 ユーフェミアに削除され、他者に共有できず、どこへも逃げられない。

 ただひとりで増殖する。


 エリーは気づく。

 ――これは暴力だ。

 誰も殴っていないだけで、完全な暴力だ。

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