エリー:最初の拒絶反応
昼下がりの廊下は、試験前とは思えないほど柔らかかった。
笑い声、安堵、疲労のない空気。
その中心に名前だけが浮遊している。
ユーフェミア。
エリーは偶然耳にした会話に立ち止まった。
脚が床に貼り付いたように動かない。
「悪役令嬢、マジ最高。俺、肩凝り治ったわ」
「実家に一人欲しい」
それは悪意の言葉ではなかった。
むしろ愛着。羨望。
ただし——人へのものではない。
エリーの胃袋がきゅっと縮む。
締め付ける鉄輪が内側に押し込まれていくような感覚。
前へ踏み出した一歩は震え、その先に吐き気だけが待っていた。
「みんな……彼女を“回復機”として扱ってる」
声は掠れて、誰にも届かなかった。
廊下の喧騒に溶け、音として存在した証拠すら残らない。
周囲の生徒はノートを抱え、談笑しながら通り過ぎる。
誰も間違いなど感じていない。
ユーフェミアの部屋に行けば整う。
眠れば回復する。
その機能性が、学園の空調や電灯と同列の常識として受容されていた。
——彼女の嫌悪だけが、世界と逆方向に向いていた。
ユーフェミアの善性は、全体最適の形で拡散している。
誰かを助けるためではなく、誰も困らないように。
その結果、「人」を媒介としていたはずの癒しは、
人格という容器を不要にしてしまった。
笑う生徒たちは幸福で、感謝すら口にする。
だからエリーは理解した。
——これは誰も悪くない。
——だからこそ逃げ場がない。
ユーフェミアの魔法は刃を振るわない。
物理的にも精神的にも傷を与えない。
それでも、人格を溶かすという形で暴力たり得るのだ。
エリーは壁に背を預けた。
心臓が速い。呼吸が浅い。
世界がミルクに浸されたように優しく、
その優しさが、吐き気よりも重たかった。




