人格の消失:ユーフェミア=施設
人は便利なものに対して、祈りではなく利用を覚える。
ユーフェミアに対する認識は、静かに、しかし確実にその段階へ踏み込んだ。
彼女の名は、もはや個人を指していない。
寮の一室でもなかった。
**「癒しが得られるインフラ」**の略称として使われる記号に変わった。
水道。
図書館。
保健室。
そして——ユーフェミア。
昼の廊下、掲示板の陰。
男子二人が鞄を足元に置き、練習帰りの肩を揉みながら笑っている。
「悪役令嬢、マジ最高。俺、肩凝り治ったわ」
語尾の軽さは、信仰ではなく信頼の質だ。
思い込みではなく、実績。
寝れば治る。行けば回復する。
それだけの単純で強固な真理に、人格は必要なかった。
「実家に一人欲しい」
もう片方が冗談半分に応じる。
架空のペットか、家電か——
その程度の想像力で語られるユーフェミア。
笑い声が弾む。
毒も敵意もどこにもない。
そこにあるのは、心からの好意と利便性だ。
だからこそ、最も残酷だった。
ユーフェミア本人の姿は、彼らの視界に存在しない。
階段の陰、彼らのすぐそばを通り過ぎる少女を誰も注視しない。
淡い金の髪も、冷たい瞳も、歩く速度さえ背景として処理される。
ただの“治癒機能”。
感謝の対象ではなく、存在して当然の環境。
その日、初めて保健委員のエリーは吐き気を覚えた。
侮辱ではない。悪意でもない。
——善意しかない状態で、人はここまで誰かを物にできるのか。
その答えは、既に校内全体で証明されつつあった。




