教師会議 ― 「害はどこにある?」
会議室は、夕暮れの薄光に沈んでいた。
窓の外の桜は、まるで常春のように満開のまま色褪せない。
それが異常の象徴だと気付いているのは、たった一人。
資料を広げたハーミスの表情は硬い。
彼の声は、石を落としたように低く響いた。
「校庭の治癒地脈は拡張している。
菌類・昆虫・植物の細胞再生が継続状態だ。
負のプロセスが機能していない」
教頭が腕を組む。
議題の本質を掴めていない者特有の、安堵混じりの困惑。
「……だが、害はあるのか?
怪我人も病人も減っている。
生徒指導室の相談件数は三割減だ」
言葉は正論だった。
だからこそ、ハーミスは資料の表紙を強く叩いた。
「“害”の定義による」
会議室の空気が、わずかに揺らぐ。
彼は続けた。声に熱はなかった。冷たい事実だけがあった。
「幸福は集中を歪ませる。
競争心を死なせる。
教育制度は、摩耗と衝突を前提に設計されている。
前提が失われれば、成果の評価そのものが腐る」
教頭の眉間が深く寄る。
理屈では理解できる。だが実感できない。
なぜなら誰も泣いていない。誰も倒れていない。
ハーミスは指で資料のグラフをなぞった。
能力差の縮小。模試の偏差幅の圧縮。
努力のインセンティブが崩壊していることを示す曲線。
「負荷がない。
だから成長が止まる。
衝突がない。
だから突破も生まれない。
“改善”の刺激が消えた世界が完成しつつある」
沈黙。
白熱の議論ではなく、静穏に飲まれた沈黙。
誰かが喉を鳴らした。
だが反論は出ない。
健康な生徒。
穏やかな校内。
友好的な関係。
能力差の縮小。
結果だけを見れば、確かに“良い”。
だから校長は、椅子の背もたれに体を預けたまま言った。
「観測は継続して構わん。
ただし、緊急対応には該当しない」
ハーミスの指先が震えた。
それは怒りではなく、理解の瞬間だ。
魔力の暴走は痛みを伴わない。
ゆえに、制度の網では拾えない。
危険性だけが、制度に静かに受容された。
誰も傷つかないまま、破壊は進行する。
幸福という皮膚の下で。




