生態系の均衡崩壊 ― “繁栄の倦怠”
蝶が降ってきた。
天から雪でも舞うかのように、青と黄の翅がふわりと落ちてくる。
校庭の噴水の縁に座った一年生たちは歓声を上げた。
「すごい!指に止まった!」
羽音は小さく、驚くほど軽い。
捕食者の影から逃げる気配がない。
恐れが剥ぎ取られた生物の動き――その純度。
樹木は新緑に包まれていた。
昨日、虫食いで黒ずんでいた葉は、朝露の膜を纏うガラスのような葉面へと変わっている。
枝先には二季先取りの蕾が膨らみ、花弁が偏執じみた規則性で開く。
自然が、繁栄に向けた均衡を取り始めている。
捕食も淘汰も朽敗も抑制され――
ただ、生きることだけが最適化される。
ある生物は過剰な光合成を選び、
ある生物は繁殖サイクルにアクセルを踏んだまま走り続ける。
そこにはブレーキがない。
健康と異常が、完全に一致してしまっている。
中庭を通りかかった教師は微笑んだ。
「今年、花が多すぎて中庭が綺麗だな」
生徒たちも頷いた。
鳥が肩に止まる。
嘴は柔らかく、警戒心はない。
声は小さく、人の喉を撫でるように鳴く。
「鳥が人懐っこくて癒されるー!」
観察者以外は祝福する。
異常が幸福の形を取ることで、誰もそれを「災害」と呼べなくなる。
告発可能な被害が存在しない。
“良いこと”ばかりが積み重なり、その底に沈む不気味な静寂だけが増幅していく。
夕暮れ。
校庭は色彩の密林となり、蝶も小鳥も止まらない。
どの枝にも新芽が吹き、どの花も蜜を溢れさせ、風は甘い香りを撫でる。
生け垣の向こうでは、地表を覆う菌糸が一日で三度目の拡張をしていた。
呼吸を止めて耳を澄ませば――
世界は、確かに幸福へ螺旋を描いて進んでいる。
その幸福が、じわりと人の思考を麻痺させていくことに、
誰もまだ気づいていなかった。




