エリーの異常な静穏
昼休みの終わり。
石造りの本館、東翼廊下は不自然なほど静まり返っていた。
窓から差し込む光は淡い琥珀色で、磨かれた大理石を柔らかく舐める。
その上で、細かな埃だけが緩慢に漂っている。
まるで空気そのものが息を潜め、次の瞬間に訪れるはずの事件を待っているかのように。
――エリーだけが、何かを待っていた。
壁際に寄りかかり、姿勢を保つだけで肺が軋む。
息は浅く、指先は冷え、それでも瞳は廊下の遠くへ釘付けになったままだ。
視線の先に現れるのは、決められた未来。
彼女はそれを疑っていない。
ここで本来なら、一団の貴族娘が現れる。
取り巻きの笑い声。わざとらしい足音。
そして胸元の飾りへ伸びる、細く冷たい指先。
アクセサリーを壊される痛み、辱め、恐怖――そのすべてを経て、
ユーフェミアの登場と、王子の庇護へ繋がるはずだった。
しかし。
誰も来ない。
通り過ぎた生徒は、ちらりとエリーに視線を向け、すぐに逸らした。
足取りは急ぎ、囁き声は後ろへ逃げていく。
近づくどころか、彼女の存在を避ける動きが目に見えるほど露骨だった。
胸の奥がざらつく。
耳鳴りがする。
吐く息に、自分の体温だけが虚しく残る。
(どうして……?)
喉の底から湧いた疑問は声にならず、ただ頭蓋を巡り続けた。
(私は“いじめられる役”……。
悪役に追い詰められ、王子さまに救われるための……
そういう順番で、ここにいるのに……)
足元がふらつく。
未来の痛みに期待していた自分を、自覚する。
事件が起きなければ、彼女はただの一介の生徒に過ぎない。
この世界で意味を持つのは、「傷ついたヒロイン」としての自分――その役割だけだ。
しかし世界は沈黙したままだった。
廊下の時計は針を進める。
陽光は淡く角度を変える。
埃の粒子だけが浮遊し続ける。
負のイベントは訪れない。
そのことが、誰かに罵倒されるより何倍も恐ろしかった。




