幸福の麻痺”
昼休みの鐘が鳴る。
校庭へ出た生徒たちは、迷いなく芝生へ腰を下ろした。
ベンチは空席のまま、誰もそこに座ろうとしない。
草の上は柔らかい。地面は拒まない。
魔術科の少年が寝転がり、教本を胸に乗せたまま瞼を閉じる。
隣で弓術部の少女が弁当を広げる。箸先が落ちても、芝が傷付くことはない。
肉眼では確認できない再生の瞬間が、呼吸のような自然として背景に紛れ込んでいた。
風は穏やかで、陽光は優しい。
午後の講義前だというのに、誰も焦燥を抱いていない。
語られるのは他愛ない攻略失敗談や、昨夜の読書の感想。
冷笑も、嫉妬も、愚痴も、どこかへ蒸発してしまったかのようだ。
教師たちも、それを止めない。
窓から見える芝生の光景は、模範的な学園広告の一枚絵そのものだった。
誰も怒鳴らない。諭さない。罰しない。
なぜなら――不都合が存在しないからだ。
事件が起きたとき、人は原因を探す。
だが、事件が起きないとき――人は探さない。
校庭に沈むのは、奇跡ではなく怠惰な安寧。
世界が勝手に整うなら、誰も声を上げない。
不自然に健康な身体も、不自然に豊かな自然も、
**「良いこと」**というラベルが貼られた瞬間、検証の対象から外れる。
芝生は揺らぎ、蕾は開く。
そのどれもが、優しさの形をしていた。
だからこそ最も危険だった。
幸福の形をした異常は、破局の前触れですらない。
――それは破局を必要としない麻痺そのものなのだ。




