信じられない
アリソンと陛下が同時に振り向くと、ウルスラが真っ赤な唇に弧を描きながらたたずんでいた。
「あら、ごきげんよう。王妃様。陛下」
派手な扇を仰がせて、ウルスラは近付いてくる。
アリソンは昨夜の事を思いだし、無意識に身体を強張らせた。
「…何の用だ」
陛下の低い声が聞こえた。
「うふ。お父様から王宮で滞在できるよう、陛下が計らってくれたとの報告を受けました」
「許可していない」
「またまたぁ。冗談がお上手ね」
ウルスラは満面の笑みを浮かべ、陛下の腕に両手を絡ませる。
「離せ」
「いやですわ。先日の夜の事忘れたとは言わせませんわ。あの夜、陛下は私を…」
ウルスラはアリソンに流し目を使って、うふふと笑う。
アリソンはゾクッとする。悪寒のようなものが身体を包み、急に体温が下がったように感じる。
「離せ」
「あん」
強引にウルスラから腕を抜きさると、陛下はアリソンの手首を掴み歩く。
ウルスラを置いて、王宮内に入っていく陛下にアリソンは必死についていった。
つれてかれた場所は陛下の執務室だった。
室内に入ると、ニケが書類から顔を上げる。
「おや、王妃様もご一緒でしたか」
「ニケ、聞きたいことがある」
ニケの座っている机まで、陛下はアリソンの手首を握ったまま進んだ。
「大臣に娘を王宮に滞在しても良いと言ったか?」
「そのようなことは一切申し上げておりませんが」
「やはりな。あの女の下らない戯れ言だ」
ちっと小さく舌打ちをすると、繋がれたままのアリソンの顔を見下ろす。
「あ、すまない」
今気づいたとばかりに、陛下はアリソンを離した。
アリソンは「いいえ」と返事してから、さりげなく陛下から距離を置いた。
それを見て陛下は少しだけ目を開き、瞬きを数回繰り返して居心地悪そうにする。
そんな夫婦を見ていたニケは、ため息を吐きそうになるのを堪える。
(まだこの夫婦は仲違いをしているのか)
どうしたもんかとニケが静かに見守っていると、陛下が王妃様に向かった。
「先程はすまない。ウルスラはありもしないことを話す女で…」
「気にしていません」
王妃様の作り笑いが怖い……。
「それより、もう行っても宜しいですか?」
「あ、待ってくれ。その…」
陛下は王妃様を止めるも、何を言えばいいのか戸惑っている様子だ。
「その、怖がらせてすまない。君が何に悩ませているのか気になって…。強引にした」
「そのことについてはもういいですわ」
強引にしたって何?陛下、何したの―――。
「どうしても教えてくれないのか?」
「陛下には関係のないことですから。失礼致します」
王妃様は冷たく言い放つと、執務室を出ていった。
途端、陛下は屍のような表情になる。
「陛下…。王妃様怒っていらっしゃいましたよ。何したのですか」
「少し問い詰め方を間違えた…」
「は?」
「王妃の目を見つめると、自分が自分じゃなくなるんだ。また泣かせてしまった…」
「はあ…」
我が主ながら呆れる。
女性に対して執着はなさらない方なのに、王妃様に対して感情が分かりやすい。
だが、これはこれで良い方向なんじゃないのかとニケは思う。
陛下には言わないが、王妃様も明らかに陛下を意識しているように見える。
このままお二人が自分の気持ちを素直に言い合えたら……。
ニケは仕方なく気ままに待とうと決心した。
(陛下のばか…)
アリソンは一人、王宮の図書館にいた。
本を読む訳でもなく、ただ本に囲まれた静寂な空間が好きでアリソンにとって第二の部屋だった。
そこで今悶々(もんもん)としていた。
(ウルスラ様を囲いたいのならそうすればいいのに。わざわざ私に見せるようにニケに言ったりして。私には関係ないんだから!)
先程の出来事を思いだし、アリソンは怒る。
(そうよ、関係ない…のよ。なのに何でこんなにムカムカするの。どうして私はあの人が好きなの…?)
優しく触れたり、熱のこもった眼差しで見つめてきたり、もう陛下が何を考えているのか分からない。
じわっと目に涙が溜まると、ぎいっと扉の開く音がした。
アリソンは慌てて目を擦る。
「…おや?王妃様ですか?」
「あなたは…」
たれ目がちな目元、癒される笑顔、柔らかい雰囲気の男性…――――。
「ハーベス様」
「はい。どうされたのですか?王妃様が図書館にいらっしゃるなんて」
「あ、少し気分転換に」
「そうなんですね。私は本を返しに来ただけですが、王妃様がお見えになったのは嬉しいですね」
ハーベスはふわっと笑う。
「どうしてですか?」
「だって、王妃様ともっとお話をしてみたいと思っていましたから。よければ、これからも二人でこうして図書館でお話をしませんか」
会議中にハーベスから話し掛けてきてくれたが、陛下に阻まれたんだった。
なるべく一人になるなとの警告をアリシアから言われているのを忘れ、アリソンは同意した。
「私もお話ししてみたいです」
思ったよりハーベスとのお話が弾み、終わった頃には夕食の時刻だった。
また明日お待ちしていますと柔らかい笑みを浮かべたハーベスに言われ、アリソンはつい頷いてしまった。
少し気持ちが軽くなったアリソンは、機嫌良く廊下を歩いていると陛下とばったり会う。
アリソンは立ち止まるが、陛下は真っ直ぐにこちらへ向かってきた。
「王妃。その、先程はすまなかった」
申し訳なさそうに眉を下げる陛下に、アリソンは驚く。
漆黒の瞳がアリソンを見つめ、その眼差しは真摯だ。
アリソンは戸惑いながらも見つめ返す。
「あ…、もう気にしていません」
「…王妃」
陛下はまだ疑わしげだったが、アリソンの言葉を受け止めているようだった。
「夕食にしよう」と言われ、並んで廊下を歩く。
「ところで今までどこにいたんだ?部屋にはいなかったようだが」
「あ…、図書館です」
ふいに陛下が思い出したように言う。
「そうか。何の本を読んでいたんだ?」
「本は―――…」
「読んでいない」と言おうとしたが、男性と二人で図書館にいたと言えば、陛下は怒るかもしれない。
アリソンは開いたままの口を閉じ、言い直す。
「読んでいません。寝ていました」
嘘つくのが心苦しく、陛下の顔を見れなかった。
「ふ。そうか」
頭上から軽く笑う声が聞こえ、アリソンが見上げると陛下が微笑んでいた。
ドキンと胸が高鳴り、久しぶりに見る陛下の笑顔にアリソンは目が離せなかった。
(――――…陛下)
溢れだす感情を必死に抑え、アリソンは泣きそうになる。
(だめ。言ってはだめ)
アリソンは下唇を噛み、両手を前で交差させて強く握る。
この感情は抑えなければいけない。
俯くアリソンに陛下は屈みこむ。
「どうした?具合が悪いのか?」
王妃――…と呼ぼうとしたら、アリソンは顔を上げ泣きそうな顔で見上げてきた。
潤んだ目にラビは固まり、目を見開く。
アリソンは揺れる視界で陛下を見上げ、「っ…、すみません」と言い陛下から離れようとするが、アリソンの肘を陛下がぐっと掴む。
「待て、何故泣く?俺が泣かせることを言ったか…?」
「ちがっ…、これは…」
肘から伝わる温もりと力強さに胸が苦しくなり、アリソンは首を横に振る。
「なんでも、ないです。離して…」
「離すわけがないだろう。何故泣いているのか言うんだ」
アリソンは離れるために抵抗するが、大人の男性の力には勝てない。
陛下はアリソンを柱に押し付け、両肩を掴む。
「言うんだ。何故泣く?」
「っ…、ぁ―――…」
陛下は逃がしてはくれない。
漆黒の瞳が強く見つめてくる。
まるで獲物を追い詰め、吐くまで問いつめるかのようだ。
アリソンは怖さと同時に震えが止まらなかった。
そんな目で見ないで。勘違いしてしまう。
アリソンは高鳴る胸を抑え、泣いた理由は絶対に言わなかった。
陛下は頑なに口を開かないアリソンを怖いぐらい見つめ、唸るように低く言った。
「そんなに俺は信じられないか」
陛下の圧し殺した低い声にアリソンはビクッとする。
怖くて陛下の顔を見れずに震えていると、陛下の両手が肩から離れる。
アリソンはおそるおそる見上げると、冷たく見下ろす陛下と目が合う。
「……今日の夕食はいらん」
そう一言だけ言うと、大股で去っていった。
怒っていた―――…。当然だわ。こんな妻、見放されてもおかしくない。
きっと陛下はウルスラ様のところに…。
また涙が込み上げてきて、アリソンは目を擦りながらなんとか部屋に向かった。




