この苦しみから解放されたい
"あの女を殺してほしいの"
艶めいた色っぽい女性の声が、アリソンの頭の中に響く。
"あの女?"
"王妃よ"
男女のくすくす笑う声に、アリソンははっと起きる。
背中に冷や汗をかき、呼吸も少し乱れていた。
(夢―――…)
いいえ、現実だった。
昨夜、恋人のような距離感でゾッとするほどの言葉を並べる二人に、アリソンは頭を抱える。
(いや、怖い―――…)
ベッドの上で身体を震わせて縮こませていると、アリシアが入ってくる。
「あら。おはようございます、アリソン様。本日はお早いですね。…アリソン様?」
身体を震わせてうずくまっているアリソンに、アリシアは変に思い慌てて駆け寄る。
「あ、アリシア…。助けて。私、殺されるかも……」
「え!?どういうことですか?」
「昨夜、聞いたの。ウルスラ様が男性に王妃を殺してって…」
「ウルスラ様が…」
アリソンの涙に濡れている目を見て、アリシアは目を細める。
「それが確かならば、アリソン様の警備を強めなければなりません。陛下にも報告致します」
「だ、だめ!」
「え?」
「陛下には言わないで。お願い。私のことで煩わせたくないの」
「アリソン様…。しかし、あなたは王妃様ですよ?万が一のことがあったら…」
「分かっているわ」
アリソンはゆっくり目を閉じ、開いた。
「私が証拠を見つけて、男性の正体を暴きます」
「え!?」
「声は聞いたの。とても…その、色っぽくて…思わず鳥肌がたったくらい…」
「アリソン様!声に聞き惚れている場合じゃありません!」
「わ、分かっているわ。でも、声の特徴が印象に残っているから、すぐに分かると思う」
アリシアははあーっと長い息を吐いた。
「いいですか、アリソン様。男はウルスラ様と睦み合っていたのですよね?でしたら、普段の声とは違うと思います」
アリシアの言っていることが分からなかったが、徐々に理解し真っ赤になる。
「そ、そうよね。ごめんなさい、私…」
「いいえ、意味がお分かりになられたのなら、こちらも嬉しいですわ」
にこにこと満面の笑みのアリシアに、アリソンは居たたまれない。
「陛下にばれるのは時間の問題かと思われますが、今は報告致しません。しかし、警備は増やします」
「アリシア!ありがとう!」
「はい。全力であなた様をお守り致しますわ」
アリソンとアリシアはお互いに頷き合った。
それから身支度を済ませた後に、陛下がアリソンの部屋に訪れた。
「おはよう」
「おはようございます」
陛下は少し眉尻を下げ、心配しているかのように見つめてくる。
「昨夜は大丈夫だったか?」
ドクッと胸が高鳴る。
陛下は鋭い。
「はい」
「……俺に何か隠していないか?」
怪訝そうに言われ、アリソンは愛想笑いをする。
「いいえ、何も隠しておりません」
「……」
おそらく分かっているわ。
だって、陛下の力強い瞳がうそだっていっている。
陛下はアリシアをちらっと見るが、彼女は仕事はきっちりとこなす女性だ。
にっこりと微笑む笑顔は隙がない。
陛下は嘆息し、アリソンに視線を戻す。
「…今日は重臣たちが集まる会議があるが、君にも参加してもらう」
「承知致しました」
アリソンは微笑む。
「王妃」
陛下は堅い表情でアリソンを呼ぶ。
「……俺を嫌いでも、悩みがあるのなら相談してほしい。仮にも君の夫だ」
一切目をそらさずに力強く断言する陛下に、アリソンは一瞬目を合わすが、すぐにそらした。
「…なにも。悩みなどございません」
「それならば、俺の目を見て言え」
距離を詰めてくる陛下に、アリソンはじりじりと後ずさる。
「っ…、陛下には関係ないことです!」
途端、陛下の表情が固まる。
はっとした時にはもう遅く、陛下の悲しそうな顔があった。
「あ…」
「…分かった。もう何も言わない」
アリソンが吐息をこぼすと、もう陛下は背中を向けていた。
「先に行っている」
陛下は白い布を靡かせながら、部屋を出ていった。
「…アリソン様…―――」
アリシアが心配そうに見つめてくる。
「大丈夫よ」
陛下には迷惑を掛けたくない―――。
でも、悲しそうな顔をさせてしまった…。
重臣たちが中心の会議に赴くと、彼らはアリソンに対して頭を垂れた。
その中を歩いて陛下の横に座る。
「本日の会議は民の要望の件についてです。まずは…」
陛下の側近のニケが会議の目的を話し始めると、重臣たちも次々に声を上げていく。
陛下とアリソンはそれらを静かに見守るだけだ。
最後に陛下がまとめ会議は終了すると、それぞれ退出していく。
陛下とニケが何やら話していると、一人の男性が柔らかく微笑みながら近付いてくる。
「本日の会議、お疲れ様でございます。王妃様」
ええと、この方は確か…――――
「ハーベス様。あなたもご苦労様です」
「王妃様にそのようなお言葉を頂けるとは、光栄です」
まだ20代半ばぐらいだろうか。たれ目がちな目元と柔らかな笑みに、男性なのに癒し系だ。
その柔らかな雰囲気に、ついアリソンも自然な笑みを浮かべる。
「王妃様は…」
「ハーベス。いつまでいるつもりだ」
ハーベスの言葉を低い声が遮る。
アリソンが振り向くと、陛下がハーベスを睨んでいた。
「申し訳ございません。では、私も引き下がらせて頂きます」
ハーベスは残念そうに一礼をして、退出していく。
アリソンもぺこっと頭を下げて、陛下に向き直る。
「では、私もこれで失礼致します」
椅子を引くと、陛下も同時に動く。
「俺も行く。ニケ、残りは机の上に置いといてくれ」
「承知致しました」
アリソンは驚く。
「あの…、良いのですか?残りの仕事は…」
「構わない。それより、話がある」
陛下に連れられた場所は、王宮の庭園だった。
狭い小道を歩いている最中、アリソンは陛下の三歩後ろを歩いていた。
目の前の大きな背中を見上げていると、ふいに陛下が振り向く。
漆黒の瞳と目が合い、慌てて視線を下にやる。
「君を連れ出したのは昨夜の事を聞くためだ」
陛下の低い声がいつもより柔らかい。
アリソンはその優しげな声に、誘われるように上を向く。
陛下はじっとアリソンを見下ろし、一歩近付いてきた。
少し近付いた距離に、アリソンは戸惑いつつも陛下を見つめた。
「何故なにも言わない?
俺が気付いていないとでも思っているのか?」
「え?」
「今朝、急に警護の数が増えているのを感じた。ここのところ物騒な事は起きていないし、やはり、昨夜誰かに襲われたんじゃないのか?」
怒っている…――――
口調は穏やかだが、漆黒の瞳は鋭くアリソンを見つめてくる。
「そういうわけでは…。ただ、警護の数は多い方が何かと安心でしょう?」
「アリソン」
小さな子を嗜めるように陛下がアリソンを呼び、びくっと肩を震わせてしまった。
「俺が言っているのはそういうことではない。昨夜、何があったんだ。何故君は泣いていた?」
「なにも…。陛下には関係ないことですわ」
アリソンが顔をそらして言えば、じゃりっと砂を蹴る音が聞こえたかと思うと、陛下の指がアリソンの顎にかかり上向かせる。
強引に目を合わせられると、冷たく見下ろす陛下の顔が間近にあった。
「俺には言えないことか」
囁く程の小さな声に、アリソンは目をそらせなかった。
思わず昨夜の出来事を言いそうになり口を少し開けるが、自分の言ったことを思い返し口を閉じる。
その動作を陛下の目が追っていた…――――。
「気にくわんな」
「…!」
陛下の親指がアリソンの下唇に触れ、なぞる。
ゾクッと身体を震わせ、アリソンは顎にかかっている陛下の手に両手を沿える。
「はな…」
「昨夜は泣いてすがり付いてきたのに、今度は拒絶か。お前は俺を試しているのか?」
試す…―――?
陛下の言っていることが理解できず、怒気を含んだ口調にアリソンは怖くなった。
両手で陛下の手を押し返そうとするも、びくともしない。
その間も指はアリソンの下唇だけではなく、顎、上唇と移動していく。
「っ…」
「目を閉じるな。俺の目を見ろ」
近すぎる距離感に胸が苦しくなって目を閉じるが、陛下は許さない。
唇に暖かい感触を感じながら、少しだけ瞼を開けると、まっすぐで、揺れている漆黒の瞳がアリソンを見つめている。
(何故…、そんな目で見るの…―――――)
アリソンが陛下の目を見つめていると、もう片手が伸びてきてアリソンの頬に手の甲が触れる。
反射的にびくっとするが、陛下の大きな両手が両頬を包む。
漆黒の瞳は逃がさないとでも言うようにまっすぐで、アリソンを離さない。
その間にも大きな手が、指が、アリソンの顔中に触れる。
アリソンの顔の至るとこに陛下の指が触れ、それは何かを確かめるかのような優しい触れ方だ。
「……」
胸が苦しくて、苦しくて、呼吸が早くなる。
鼻がツンとなり、瞼が熱くなる。
じわっと目に涙が溜まると、漆黒の瞳が大きく揺れた。
「………すまない」
顔に優しく触れていた大きな手は離れ、漆黒の瞳からも解放された。
しかし、胸を締め付ける苦しさからは、まだ解放されない。
完全にアリソンを視界から外し、陛下は顔を背けている。
見つめられると苦しいのに、背けられると悲しい――――。
矛盾した想いがアリソンを苦しめていると、砂利を踏む音が聞こえた。




