初めて名を呼ばれる
自分の気持ちが分かった途端、もうごまかせなくなっていた。
昨日、夫から口づけをされて好きだという自覚が芽生えたのに、これから顔を会わせなければならないなんて嫌だな…。
恥ずかしい…。
アリソンは今、自室で気持ちを落ち着かせるために、自分で入れた温かいミルクを飲んでいた。
ほんのり甘い香りが漂い、ほっと息をつく。
すると、朝の静かな時間に扉を叩く音が聞こえる。
「はい」
「……入るぞ」
一瞬の間があってから、長衣の布を着た夫が入ってくる。
アリソンはどきんと胸が高鳴り、手が震えるのを感じた。
「へ、陛下…。どうされましたか?まだ朝の公務にはお早いですが…」
「…昨夜訪れなかったからな。公務の前に訪ねようと。…ダメだったか?」
「い、いえ!あ、ミルクをお入れします。どうぞ、座っていてください」
「ああ」
アリソンは慌てて、お気に入りのイスから立ち上がり、台所へと向かう。
その一連の動作に、夫の瞳が追っていたことにアリソンは気づかなかった。
「お待たせいたしました」
ミルクを入れて、夫に手渡しすると夫の指先が当たった。
条件反射でびくっと肩を上がらせると、夫が不思議そうに見上げてくる。
「どうかしたか?」
「いいえ、何でもございません」
冷静に…冷静に。
アリソンは顔には出さなかったが、心臓は狂ったように暴れている。
とりあえず離れなければ…。
アリソンは静かに窓際にあるお気に入りのイスに戻ろうとしたが、夫が呼び止めた。
「行くな。ここにいろ」
夫の漆黒の瞳が、真っ直ぐに見上げてきてアリソンはかああっと頭に熱が上がるのを感じる。
今まで、そんな目で見たことないのに。
アリソンは動揺を圧し殺しながら、夫の隣に座る。一人分空けて。
気まずい思いから、顔を俯けていると頬を撫でられた。
いつの間にか距離は近い。
「目元が赤い。昨夜、泣いたのか?」
「え?あ…こ、これは」
「良い。何も言うな。俺が泣かせたようなものだしな」
夫の骨ばった指先が、アリソンの目元を優しく撫で、目尻を擦る。
「な、泣いてなんか…。っ…。よ、夜更かししたためです」
夫の優しい仕草にアリソンは込み上げてくるものを感じ、夫の手からふいと逃れる。
けれど、アリソンが強がっているのを察したのか、夫はいきなりアリソンを抱き締める。
「!」
「すまない。無理強いをさせてしまった。もう…君の嫌がることはしない。許してくれ」
いつもの厳しい口調ではなく、優しくけれど、どこか焦っているような声で夫は話す。
心臓は痛いほど暴れているのに、夫の腕の中は安心して…。
夫の胸元に顔を埋め、アリソンはそうっと夫の服を握る。
すると、夫の身体がピクッと動き腕に力を込められ、ぎゅうっと抱き締められる。
どれほどそうしていたのだろうか。
夫の心地よい腕の中で身体を預けていた、その時――――
「アリソン様。失礼致します」
アリシアが入室して、あらと声を発した時にアリソンは我に返る。
慌てて夫の腕から離れると、むっとした夫が見下ろしてくる。
しかし、アリソンにとっては人に抱き合っているところを見られたので頭がいっぱいだった。
「あ、アリシア」
「うふふ。ごゆっくり」
アリシアは不適に笑い、音もたてずに扉を閉める。
アリソンは別の意味で赤面し、すくっと立ち上がる。
「…王妃?」
「へ、陛下。も、もう公務の時間です。支度をしなければいけませんので、ご退出願えますか」
「…まだ大丈夫だろう」
「ひゃ」
夫はアリソンの腕を引き寄せ、反動で膝に乗せられた。
「! お、お離しください!」
「却下」
夫の腕が腰に回り、顔をアリソンの胸元に埋める。
「~っへ、陛下」
「……少しこのまま」
くぐもった男性の声がアリソンの胸に響き、アリソンはびくっとしてしまう。
そんなアリソンを押さえつけるために、夫の両腕がアリソンの腰を囲む。
今までのない密着に、アリソンの心臓は破裂寸前だった。
(今日の陛下は変。変!)
アリソンは涙目になりながらも、陛下が密着してくることに気が狂いそうだった。
宙に浮かぶ両手をどうしようかとさ迷わせていると、夫の頭が動く。
しかし、アリソンの胸に顔を埋めたままだ。
仕方なく、夫の両肩に手を添えた。
「…陛下。本当に公務に参りませんと…。間に合わなくなります」
夫の耳元で囁くと、ようやく顔を上げてくれた。
しかし、その漆黒の瞳の奥は潤み、アリソンの心臓が一際跳ねる。
「アリソン」
え―――。
夫の唇から発せられた自分の名前に、アリソンは一瞬頭が真っ白になる。
その間にも、夫の瞳が迫ってきて動けなかった。
一瞬だけ触れた唇の感触に、アリソンは固まる。
「…行こうか」
夫がアリソンを優しく膝の上から降ろし、扉までへと誘導する。
アリソンは何がなんだか理解するのに数秒かかったが、夫の真っ赤に染まった耳にかあっと顔を赤く染めたのだった。
少し性急すぎました。
これからは、甘い展開が続く予定です。