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8話 執行人の家に、腕のいい人がいると聞いて

「紅茶のテイスティングを体験してきなさい」と夫人に言われて街へ出たのは、ただの使いのつもりだった。


 薬種問屋の隣に、エレーヌ夫人から教わった紅茶の店がある。


 正直まだ紅茶の何がどうすごいのかよくわかっていない。とんでもない高級品らしい、というのは知っている。


 店の前を通りかかったとき、問屋の通用口のそばで男が二人、立ち話をしていた。


 聞くつもりはなかった。ただ足が少し遅くなったのは、片方の男の声に聞き覚えのある単語が混じっていたからだ。


「……プリエールの赤いほうの葉か。荷馬車が追剥にやられてな、しばらくは入ってこない。そもそも木自体、あんまりないって話だ」


「あれを使った薬は怪我の痛みを和らげるものの中じゃ一番いいらしいんだが……。アンタも気をつけなよ、しばらくは怪我もできないぞ」


 思わずアルノーの動きは止まった。


 痛みを和らげるのにいい薬が、できない?


 使用人がかつて話していた、何の事前処置もなく歯を抜いたときの壮絶な話が、するすると脳裏に広がった。それに、痛みを麻痺させる薬が必要なのは抜歯だけではない。大きな傷ができたりしたら。


 想像しただけで背筋がざわっと粟立って、足の裏まで冷えた気がした。


 痛いのダメ、絶対。


 口が動いた。気づいたら動いていた。


「あの、すみません」


 振り向いた男と目が合う。落ち着いた目をした、三十前後くらいの男だ。


「プリエールの木があるところなら、知ってます」


 男はわずかに目を細めた。物腰で貴族だと察したのか、怪しい子供にも愛想よく丁寧な声が返ってきた。


「……それはまた」


 ヤンと名乗ったその男は、話してみると要領を得た人間で、後日、試しに葉を見せることになった。未加工のものと、あれば乾燥させたもの。こちらはあの葉っぱが商品になるということすら知らなかったので、乾燥させたものがあるかもわからないという旨も了承してもらい、すんなり話がまとまった。


「その薬を調合できるのは、一人しかいなくて」


 会話の流れで、ヤンがそう言う。


「腕がいいんですね。どこで開業されてる方なんですか」


 腕のいい医術者ならば、ぜひ知っておきたい。そう思ったアルノーが目を輝かせて前のめりに問うと、男はなぜか、返答に少し間を置いた。


 言いにくそうな、という感じではなく、どう言ったものか、という間だった。


「……坊ちゃんのようなお方に紹介できるようなところじゃ、ないんですよ」


 それでも、と顔に出ていたのかもしれない。ヤンは短く続けた。


「貧民街の、執行人頭の家なんです」


   * * *


 貧民街の喧噪が、執行人頭であるバルテルミの家に近づくにつれ、じわじわと静かになっていった。


 通りかかる人間が、ここだけ避けるように歩いている。声も、足音も、遠ざかっていく。


 家の前の赤い柱が、バルテルミの……というより執行人の家の目印だった。


 ヤンが扉を叩くと、出てきたのは大柄な男だった。


「なんの用だ」


「お前にお客人だ。仕事に興味がおありとのことだ」


 困ったように首筋を掻き、ヤンが体を半歩ずらしたことで、アルノーは初めてバルテルミという男と目が合ったのだった。


「はじめまして。入っても、構いませんか?」


 よりリアルなイメトレのために、この願ってもない機会を逃すまいと、アルノーはジルを連れて返事を待たずにバルテルミの家に入った。


 図々しいとは思うのだが、背に腹は代えられない。貴族のわがままと思って堪えてもらいたい。


 家の中は、外の鼻が曲がりそうなにおいに酢とハーブの香りが混ざり、何とも言えないにおいがした。


 壁には道具が並んでいる。斧。重い剣。太い麻縄。


 アルノーは斧を二度見した。


 刃が、水平だった。


 なんで水平なの。これじゃただの押し潰しだよ。


 斜めだよ、斜め。刃を斜めにして、滑らせるように落とす。そう45度、その角度なら俺の首も熟した果実みたいにストンといけるでしょ!?


「……どうぞ」


 内心でかなりの早口になっているアルノーに、バルテルミが少し戸惑った様子でワインとチーズを出し、椅子を勧めてきた。


 バルテルミが出してくれたワイングラスに、毒見のために手を伸ばしかけたジルを視線で制し、アルノーはためらいなく、そのワインを口に含む。


「おいしい!!」


 思ったより声に出た。バルテルミがわずかに目を丸くした。ジルとヤンはなぜか遠い目をしていた。


 アルノーの父、オーギュストが飲んでいるよりもおそらく高価なそれを飲んで一息つき、アルノーは切り出した。


「申し遅れましたが、私はアルノー・モレル。あなたの仕事の話をお伺いしたくて来たんです」


 そう言いながら、改めて部屋をかるく見まわす。斧や剣のあたりについては、微妙に視線が通り過ぎるのが早かったが、気が付いたのはジルだけだっただろう。


「いろんな道具が並んでいるんですね……。あちらは医術関係のものですか?」


 アルノーはそう言いながら、チーズを口に運び、これもおいしい、などとつぶやいてる。


 バルテルミは少しの間、アルノーが口をつけたワイングラスとチーズを眺めていたが、それからわずかに肩の力を抜いたようだった。


「……そうだ。副業でな」


「すごい、両方できるんですか」


「体の構造を知っていると、仕事の役に立つからな」


 なるほど、とアルノーは思った。それは理にかなっている。一撃必殺、大変に結構である。


「訓練は、どうやってやっているんですか」


「……子供に話す内容じゃないかもしれないが」


「大丈夫です」


 バルテルミが床の一点に一瞬視線をやり、話し始めた。


「地下室がある。そこで砂袋や動物……ああいや、藁人形なんかを相手にやる。あとはまあ、いろいろだ」


 いろいろ。


 地下室で一人で、いろいろ。


 アルノーもその床を見た。一見ただの絨毯が敷かれた板張りの床だが、扉でも隠されているのかもしれない。


 ……え。


 ちょっと待って。


 何それそんな地下室ホラーなんですけど!?あと今動物って言いかけた!?こわ!!え、こわ!!え、やだ、なんかもっとどうにかならないの!?


 アルノーの脳内には、湿った暗い地下室で、血まみれになっている男がなにかをしている姿が浮かんでいた。


 怖い。


「……大変な、お仕事ですね」


 アルノーの声は非常に重々しかった。


「仕事だからな、下手にやりそこねるよりはいい。その知識が医術にも使えてる。おかげで生活だけはそれなりのもんだ」


 バルテルミは投げやな口調で言った。


 話を聞いていたアルノーは、何かに納得したかのように一つ大きくうなずいた。


「参考になりました。また来ます」


 一方的にそう言って席を立つ。


「待て、結局何しに来た」


「下見です」


「何の」


「いろいろな」


 ジルが「お邪魔致しました」と頭を下げた。


 ヤンが何か言いかけてやめた。何をどう続けたらいいかわからなくなったのかもしれない。


 アルノーはバルテルミ宅をあとにした。


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