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4話 切れる刃は、すべての問題を解決する

 イメトレに励む忙しい毎日を送っていたある日のこと。


 アルノーの耳に、包丁の音がやけに耳についた。


 規則正しいはずなのに、どこか鈍い。


「……切れてない?」


 思わず口に出してしまってから、はっとする。厨房の隅で、料理人のジャンがこちらをちらりと見た。


「坊ちゃん、危ないですよ。今は刃物を使ってるんです」


 食品の保存方法に口を出したり、謎の草を洗って持ち込んで料理に添えてみたり。ジャンから見ると、きっとアルノーは領主の息子という扱いにくい立場で口を出してくる、厄介ないたずらっ子なのだろう。


 実際、今日もさりげなく、先日見つけたべたべたする草の粘液を葉っぱに塗ったものを、厨房の隅に仕掛けに来ていたのだ。アルノーとしては、厨房に現れる虫や小動物をどうにかできないかという実験の一環であったが、いたずらに見えても仕方ないという自覚はあった。


 そっと設置に来たのに見つかっていたことが発覚した気まずさの中、さらにプロの仕事に口出しするのはアルノーとしても気が引けるのだが、でも、今回は引くわけにはいかなかった。


「それ、切りにくくないですか」


 遮るように言ってしまう。護衛のジルが様子を見守っているのがわかった。


 ジャン が一瞬きょとんとして、苦笑した。


「そういうものですからねえ」


 何だかめちゃくちゃ切りにくそうな形状の包丁だが、「そういうもの」らしい。


 刃は厚めだし、斧みたいな形だ。俺の知ってる——そう、夢の記憶で見たやつはもっと薄刃で、形が違った。


 さっきよりも音が重い。野菜が潰れている。刃が入っていない。そもそも形状が向いていない。


 だめだ。ぜんぜん切れてない。


「……もっと、こう」


 気づいたら手が動いていた。空中に線を描く。


「カーブはあってもいいけど、もっと刃をまっすぐにして、重さが上からちゃんと乗るように……あと刃も、こう、厚みを変えて」


 伝えようとしたが、説明が下手なのかどうにもうまく伝わらない。あきらめようと思った頃、説明を聞きながら考える様子を見せていたジルが口を開いた。


「鍛冶屋に行きましょう」


「え?」


「これはジャンにも私の手にも余ります。ちゃんとした職人に相談するべきです」


 鍛冶屋。刃を作る人間。


 ……あ。なるほど。


   * * *


 ガスパールは、最初あまりいい顔をしなかった。


「薄い刃?ガキの思いつきだろ」


 職人の目が、カウンター越しにアルノーを上から下まで見た。


「そんな形の刃、見たことがない。欠けやすくなるだけだ」


「欠けないようにすればいいじゃないですか。材質を変えるとか、温度を調整するとか」


 ガスパールの眉がぴくりと動いた。


「需要がなけりゃ意味がない。庶民がそんな道具を買うと思うか」


 あと一押しだ。アルノーがジャンに視線をやると、心得たようにジャンが前に出た。


「あの、うちの厨房で困ってることがあって——」


 説明しながら、持参した繊維の多い野菜を取り出して、実演を始めた。ガスパールが腕を組んで見ている。


 ドン、ドン、ドン。


 何度も鈍い音をさせて野菜を切ろうとするも。なかなか切れない。繊維が残るのだ。


 ……あ。


 これ、同じだ。


 重さで叩いてる。だから何度もかかる。アルノーは瞬きをした。


 ……刃物の問題だ。これ、同じ問題だ。重さで潰す方向の刃だから繊維の方向に逆らう切り方をしたり、固いものを切るのに何度もかかる。

 

 アルノーは気づいたら作業台に身を乗り出していた。


「すみません、紙をいただけますか。図を描いた方が早い」


 ガスパールが無言で出してくれた紙を引き寄せ、設計図を描いた。今の包丁の形。提案する形。角度の違い。力のかかり方の違い。


「……なるほど理屈はわかった」


 ガスパールが唸るように言った。


「だが作れるかどうかは別の話だ、失敗したら材料が無駄になる」


「費用は持ちます」


 ガスパールがまたアルノーを見た。子爵家の次男、11歳が身を乗り出している。


「……一回だけだ」


   * * *


 数週間後、試作品が届いたので、お試し会を開くことにした。

 

 ジャンが、いつも通りの動作で野菜に刃を入れる。


 ——すっ


 音が、消えた。


「……え?」


 料理人が固まる。切れた、というより。通った。抵抗が、ない。


 もう一度。今度は肉。


 ——す、と。


 繊維が引きちぎられることもなく、最初から分かれていたみたいに離れる。


「……坊ちゃん、この切れ味、やばいです」


 ジャンの声が、少し震えていた。目は潤み、恋する乙女みたいになっていた。


 アルノーはその様子を見て、それからもう一度、刃が通った断面を見た。


 きれいだ、と思った。


 怖いとか、嫌だとか、そういう感情より先に、そう思った。ちゃんと形になった。考えたことが、現実になった。


 ……これはいける。


 何がいけるのかは、アルノーの胸の中だけにあった。



 一ヶ月後、ガスパールから手紙が来た。なんだか噂になったらしくて、問い合わせがいっぱい来ているそうだ。発案者の俺に意匠の利用料を払うことで、量産化させてほしいという内容だった。


 あの切れ味を知ったら戻れないよね。いっぱい稼ぐといいよ。


 アルノーは返事を書きながら、別のことを考えていた。


 切れる刃。一撃で終わる仕事。それを一番よく知っているのは、鍛冶屋じゃない。


 ……使う側、だ。


 痛いのだめ、絶対。となれば、話を聞きに行くべき相手は決まっている。


   * * *


 父であるオーギュストがお茶を飲んでいる時間帯を、アルノーはだいたい把握していた。


「父上、少しよろしいですか。」


「どうぞ」


 扉を開けると、父が湯気の立つカップを手に持ったまま息子を見た。


 後ろにはジルが、何やら神妙な面持ちで野菜と包丁を載せた木の板を抱えて控えている。父の視線がジルに移った際、ちょっと二度見していたが、何も言わなかった。


「今日は、ちょっと提案したいことがあるんです。資料棚、少し拝借しますね」


「どうぞ」


 資料棚から以前読んだ司法関連の資料を引っ張り出す。あの最終兵器の絵との再会である。大変に緊張していた。


「ええと、刃物の、効率の話なんです」


 そう言いながら、テーブルの端を借りて資料を広げる。大丈夫、あの挿絵と向き合うイメトレは、しっかりとしてきた。準備は万端である。


 父がカップを置いた。その沈黙が「重い」のではない、「聞く耳を持っている」のだとポジティブに解釈し、アルノーは一気に畳みかけることにした。


「今採用されているこれらの道具は、厚くて、重さで断つ方向の設計です。硬いものに当たると何度もやり直しが必要になります。錆びていればなおさら……ジル、実演を」


 ジルの手によって、まな板の上の野菜が「ストン」と真っ二つになった。 鍛冶屋のガスパールに、アルノーのなけなしのお小遣いで作らせた特注品だ。


「せめて一回で、終わってほしいんです。無駄な労力も、時間も、……叫び声も。ないほうがいいと思いました」


 アルノーの頭の中にあるのは、未来の自分が手際よく仕上げてもらえなかった場合、という 最悪の事態だ。考えただけで涙がにじんだ。


「詳しくは存じませんが、父上は司法関係の職務についていると伺いました。こういった改善案を上奏する方法をご存知なのではないかと思って」

 

 少し間があって、父が口を開いた。


「わかった。善処しよう」


「ありがとうございます」


 直接言うのがためらわれて、迂遠な言い回しをしてしまったが、伝わったようだ。さすが父上。


 またお茶に手を伸ばす父を背に、ほっとしながら部屋を退出した。アルノーは父の職分を詳しく知るわけではないが、大変に満足だった。何もしないより、したという実感が大切である。


 廊下に出てから、ジルが小声で言った。


「……坊ちゃん、今日のはなんだったんですか」


「救われる人が増えてほしいだけだよ 」


「……はあ」


 いざ戦いに挑むことになったとき、完璧に処してもらわなければならないのだ。


「……これで少し、安心して眠れます」


 できれば早めに採用されてほしいものだが、これ以上アルノーにできることは何もない。それに、可能性が生まれたというだけで助かる命が、ここにあった。


 ほっとした気持ちで小さくつぶやくと、ジルがはっとしたように アルノーの横顔を見た。


「……坊ちゃんの 慈愛、痛み入ります」


 ……慈愛要素、あったかな?


 まあ、いいか。


 そのまま廊下を歩きながら、アルノーはふと気がついた。


 怖い、という気持ちが、さっきまで頭になかった。


 やることを考えていたら、いつの間にかそうなっていた。


 ……なるほど、これがイメトレの効果か。いい感じだ。


 深く納得して、アルノーは次のイメトレに思いを馳せた。


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