17話 覚悟を決めた主役の目だけが、完全に泳いでいた
いよいよ馬車が止まった。
扉の向こうから、人の声が聞こえる。賑やかな、浮き立つような声。
やはりこれは。公開処刑か……!
アルノーは確認のため、窓の外を覗きたいのを……ぐっと堪えた。
動揺する心を抑え、腹に力を込める。夫人に教わった通りに。
イメトレだって、積んできたんだ。
そのおかげで今、窓にガバっととびつき顔をべたりとガラスにくっつけて外を覗き込む……なんていう、残念なさまを晒さずに済んだのだ。
そう、これはすべて計算通りだ。
背筋を伸ばし、顎を引く。
ジルが先に降り、外の様子を確認して扉を押さえ、オーギュストとフェリックスが続けて降りる。
先に降りたフェリックスが振り返って、アルノーを見た。
アルノーは深く息を吸った。
やってやろうじゃないか。
この舞台の主役は、……そう、俺だ!!
足の震えをこらえて立ち上がり、胸を張って馬車を降りた。
光の中に、広場が広がっていた。
人垣の向こうに、見知った顔が見える。
ヤンだった。その隣には、エレーヌ夫人までいる。なぜか二人とも笑顔に見えた。
……なんで?!
まさに出鼻をくじかれた形だったが、アルノーにとっては幸運と言うべきか、動揺は顔に出ずに済んだ。
案内の人間が前に出てきたからだ。
「こちらへどうぞ」
危なかった。この場にいるのはともかく、まさか笑顔で……なんて、幾多のイメトレをこなしてきたアルノーでさえ、予想できないことだった。
ヤンが笑顔でここに来た理由はきっと、あの取引条件の書簡を渡したときから始まっていたのだろう。
「申し訳なくなるほどの好条件」なんて言っていたが、やはり貴族特有の傲慢さで無理難題を押し付けていたのかもしれない。申し訳ないことをした。
エレーヌ夫人に至っては、処刑見世物反対派の同志だと思っていたのに、完全に騙された気分だった……いや違う。アルノー自身が気が付かないうちに、深く傷つけるようなことを言ってしまったのかもしれない。
そう考えると、領地に帰されたのも納得がいくではないか。
忙しい、は方便だったのかもしれない。
イメトレで鍛えられたアルノーの脳をもってすれば、瞬時にここまで考えるのも容易いことだった。
数回の瞬きのあとに気を持ち直し、完璧な貴公子スマイルを貼り付ける。
アルノーが歩く後ろに、父とフェリックスが後ろからついてくる気配がする。
その後ろには、ジル達護衛が続くのだろう。
人垣が割れた先には、壇がしつらえられていた。
壇の下に花束を持った少女が端に立っているのが、アルノーの目に入った。
……手向けの花束かな?
冷や汗が、背中を伝う。
処刑へのモラルを書き換えるには、何もかもが足りなかったのだろう。
あきらめにも似た気持ちで、あらためて端正な微笑を保つことを強く意識した。
エレーヌ夫人にマナーや教養を教えてもらう日々は、このためにあったのだ。
皆見るがいい、俺の、内心を悟らせない完璧な貴公子スマイルを!
アルノーの姿勢は美しく、洗練を極め、誰もが目を離せない様子だった。
そう、計算通り。
イメトレしててよかった、これまでの自分には感謝しかない。
……願わくば、使われるのが新型スパっと君でありますように。
心の内で大騒ぎになっているアルノーの心のよりどころは、スパっと君の刃がガスパール謹製の新型である可能性が高いことだったが、そういえば壇上にそれらしきものは見当たらなかった。
そんな大きなものがあれば、すぐにわかりそうなものなのに、だ。
アルノーがそれに気が付いてしまったときの衝撃ときたら、鉄壁の貴公子スマイルが崩れるところだった。
様々な嫌な想像が、めまぐるしく頭の中を駆け巡る。
まさか、スパっと君ではない方法が採用されたのだろうか。
確定と思っていたものが先方の都合で変更されるとなると、別の心の準備が必要ではないか。話が違う、と抗議したい。
ここにきてこんな仕打ちはあんまりだ。
後続する足音が止まったことに気が付いたアルノーは、おそるおそる――傍から見たら自信満々に見える態度で振り返る。
壇に上がる手前で止まり、青い顔でこちらを心配そうに見ているオーギュストとフェリックスと目が合った。
大丈夫だよ、の気持ちを込めて、貴公子スマイルではない、いつもの笑みを一瞬浮かべて見せた。
アルノーとしても何一つ大丈夫ではないのだが、それくらいしかできなかった。
壇に視線を戻す際には、遠くにバルテルミらしき人影が見えた気がする。
バルテルミ、お前もか。
彼が壇の近くにいないなら、バルテルミが今回の執行の担当でもないようだ、と察したアルノーは叫び出したくなったが、笑みを深くすることで動揺を表に出すのを回避した。
大丈夫、他の執行人の方々にもきっと一子相伝の技とかがあるはず。それで綺麗にまとめてくれるはずだ。俺はあの日見た筋肉を信じよう。
内心の嵐を抱え、アルノーの足は進み、いよいよ壇上へとたどり着いた。
たどり着いて、しまった。
* * *
正面にいるのが、シャンブル候その人だろう。
初めて近くで見る顔だった。
思ったより、普通の顔だな。そんなことを考えながら、アルノーは胸に手を当て、深く跪礼を捧げた。
「――面を上げよ」
声がかけられた。
ここで問答無用で引っ立てられたら、さすがのイメトレの匠であるアルノーも取り乱したかもしれない。助かった、とアルノーはほっとした。最高の幕を下ろすためには、どんな些細なミスも許されない。
緊張の連続だが、だからこそ、最終局面にふさわしいというものだった。
「お呼び立てにあずかり、恐悦至極に存じます」
これには返答をせず、侯爵は群衆に向かい、一歩前に出た。
「本日ここに集いし市民よ、聞け——」
アルノーは正面を向いたまま、静かに覚悟を決めた。
侯爵が一拍置いた。広場が静まり返る。
「この国に、裁かれるべき者がいる」
アルノーの背筋が、さあっと冷えた。
「その者は、この国の法と秩序が、いかに機能していないかを——身をもって、証明してしまった」
ここで侯爵は広場をゆっくりと見回す。
「一人の若者がいた。身分を笠に着ることなく、貧しき者の暮らしに目を向け、病を遠ざける知恵を惜しみなく分かち与えた。食を守り、薬を届け、苦しみを減らすことを、生涯の問いとした」
……?
あれ、なんかいい話?
「その手が届いた場所で、死にゆく者は穏やかになり、残される者は飢えなくなった。名もなく報われることも求めず、ただ必要だからと動き続けた」
……??
アルノーはそっと顔を伏せ、油断することなく左右に目を走らせた。
この壇上にいるのは間違いなく、シャンブル候とアルノー、あとは警備兵しかいない。
「その慈悲は貴賎を問わず、処刑台の上にすら及んだ。どんな罪人も、苦しみを長引かせるべきではないと、彼は言った」
……???
顔を伏せたまま、軽く目を閉じる。これはアルノーがイメトレで編み出した技のひとつで、余裕をもって話を聞いているように見えるので、頭を整理するときに有効な思わせぶり仕草である。
「その功績は聖人と呼ぶにふさわしく——」
……????
主賓が来てないのに催行されちゃった感じ?
「この功績は貴族のみならず、全国民が恩恵を預かるものである。ゆえに、王の代理としてヴィクトール・ド・シャンブルが、広く市民の前でこれを宣言する!」
広場が、沸いた。
この空気のあと、どういう流れで処されることになるのか。
アルノーの心臓が早鐘を打つ。
ここまで来たら逃げられない。さあ、どんな形で俺の人生の幕を引こうというのか、聞いてやろうじゃないか。
アルノーは腹に力を籠め、顔を上げた。
「アルノー・モレルに、一代限りの男爵位を授ける。あわせて王国安寧調査官に任ずる。これよりアルノー・ド・クレマンと名乗るように」
歓声が上がった。
自分の名前が出た。
脳内は飽和したまま、夫人に叩き込まれた作法で、深く、厳かなレヴェランスを披露したアルノーの顔から、少しずつ血の気が引いていった。別の意味で。
花束を持った少女が、駆け寄ってくる。
半ば反射的にアルノーはそれを受け取って、完璧な笑顔を作った。
どうすんのこれ。人違いじゃないですか、なんて言える空気じゃない。
動揺するアルノーをよそに、近づいてきたシャンブル侯がアルノーの肩を親し気に叩いきながら耳元で言った。
「せいぜい役に立ってもらおう」
アルノーは、笑顔のまま、全身の毛が逆立つのを感じた。
とても腹黒そうな人に恩を売られた。
こわい。
助けを求めて振り返った先では、父とフェリックスが呆然としていた。
「お前はなにをしたんだ」
と、アルノーと目が合うなり口をパクパクさせて訴えてきたが、アルノーの方が聞きたかった。
そもそもその聖人、本当に誰のことですか。
ジルたち護衛はなぜか、乙女のように胸の前で手を組み、目を潤ませていた。
……頼りになる人がいなかった。
不自然に見えないよう、完璧な所作で花束を抱えて動揺を隠したアルノーが、満面の笑顔で市民に手を振る。
その目だけが、完全に泳いでいた。




