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12話 今日の護衛は、執行人頭にお願いしました

 領地に帰る日は、たいてい時間がある。


 父が出仕している間、エレーヌ夫人の教育の時間でもなければ、午後はまるごと自由だ。馬車の手配が済んでいれば、あとは時間までに乗り場に行けばいい。



 アルノーはジルを連れて、いつもより少し早く何でも屋に向かった。


「領地に戻る前に寄っていこうと思って。兄上から頼まれものもあるしね」


「花の件ですね」


「そう。あと挨拶。いろいろお世話になってるからね」


 使いを出すなりすればいいものを、当たり前のように貧民街に足を向けるアルノーに、ジルが何も言わなかったのは、今更突っ込んでも仕方ないと悟っているからだろう。この護衛は賢いのだ。


   * * *


 何でも屋に到着したとき、アルノーは思わず足を止めた。


 隣に建っていたはずのおんぼろ家屋が解体され、そこに開けたスペースができており、男たちが巻き藁を相手に汗を流していのだ。


 武器がぶつかる音。唸る気合い。誰かが笑い声を上げる。


 ……ほう。


 アルノーは少し離れたところからそれを眺め、一人頷いた。


 腕が、ぶれていない。体幹がしっかりしている。


 いい筋肉だ。ああいう筋肉がついていれば、手元が狂わない。


 いい筋肉は人を救う。


「坊ちゃん、何を考えてますか」


 ジルが横から言った。


「感動してる」


「……何にですか」


「筋肉に」


 ジルが少し間を置いた。


「……そうですか」


 なんともいえない表情だったが、無理やり納得してくれたようだ。賢い護衛だ。


 アルノーはもう次のことを考えていた。こういう訓練は、方向性が定まっていないと怪我をする。誰かちゃんとした人間が見ていた方がいい。


 アルノーはジルを見た。


 ジルが一歩引いた。


「……坊ちゃん」


「ジル、少し手伝ってくれる?」


「手伝う、というのは」


「訓練の指導。本職がいてくれると上達が早いんじゃないかと思ってさ」


「私が抜けたら護衛が」


「バルテルミさんに頼んでみるよ」


 ジルが止まった。


「……彼に」


「今日は訓練に参加しないって言ってたから、ちょうどいいかと」


 ジルは何かを言おうとして口を開きかけ、ややあって短く息を吐いた。


「……わかりました」

 

   * * *


 バルテルミは店の中にいた。


「今日は訓練に参加しないんでしたよね」


「ああ」


「なら、依頼したいことがあるんです。ジルに訓練の指導を頼んだので、街を少し歩く間、護衛をお願いできますか」


 少し間があった。


「……俺が」


「はい」


「お前の護衛を」


「はい」


 バルテルミが何とも言えない顔をした。


 ヤンは帳簿から目を上げて、また下げた。関わらない判断をしたらしい。賢い。


「……依頼というなら、断る理由はないが」


「ありがとうございます。ではお願いしますね。あ、その前に、兄からの頼まれものがあって」


 アルノーは懐から小さなメモを出して、ヤンに渡した。フェリックスの字で、花の名前がいくつか書いてある。


「領地に植えてみたいって言ってて。合いそうな花を見繕ってもらえませんか?ここで手配をお願いできたらいいなと思ったんですが」


 受け取ったメモに、ヤンが目を走らせる。


「……花、ですか」


「伝手があれば。なければ他を当たります」


「できますとも」


 任された、という顔だった。


 その間、視界の隅でジルがバルテルミに小声で何か言っているのが見えた。バルテルミが、ちらりとアルノーを見た。


 縮み上がって動けなくなることがあっても、突然走りだしたりしないのに、とアルノーは思った。


   * * *


「暇つぶしに付き合ってもらえますか。領地へのお土産でも探します」


 馬車の時間まで暇が出来たアルノーが言うと、一緒に何でも屋を出てきたバルテルミがため息交じりに言った。


「……お気に召すままに。今の俺はお前の護衛だからな」


 貧民街から少し離れると、街の色が変わる。露店の布が明るくなって、道幅が広くなって、すれ違う人間の服の質が上がる。


 アルノーは歩きながら、あちこちに目をやった。見慣れない食材、見慣れない道具、見慣れない花。気になるものを見つけるたびに足を止めて、あれこれ聞いた。バルテルミは根気よく付き合ってくれた。


「……しかしまあ、よく歩くな」


 しばらくしてから、バルテルミが言った。


「貴族の子弟は、もっと早々に音を上げると思っていた」


「鍛えてますからね」


「何のために」


「健康のために」


 バルテルミがちらりとこちらを見た。嘘はついていない。健康のためというのは本当だ。ただ健康の維持が何のためかについては、聞かれていないので答えないだけで。


「……まあ、あんたならなにをやってもおかしくはないな」


 鷹揚に納得してくれた。この人は賢い。


 角を曲がったとき、小さな店が目に入った。


 看板には花とティーカップの絵があり、店頭に小瓶と茶葉の缶が飾られている。


 ここは先日、お茶の教えを受けてから勉強のために送り出された店。ヤンとの出会いのきっかけになった店だ。


 そういえば、あの日は紅茶についていろいろ教えてもらって送り出されたが、それについて夫人にお礼も言わぬまま、感想も伝えないままに今日まで来てしまった。


 正直なところ、紅茶の知識は高度すぎてアルノーには難しかったし、味の差もよくわからなかったが、紅茶は超が付くほどの高級品だ。高位貴族でもないと触れる機会すらない知識を、夫人は惜しみなく与えてくれたのだ。


「何もわからなかった、というわけにもいかないしな……」


 せめて「勉強してきました」という形だけでも見せないと、夫人の厚意を無下にするようで寝覚めが悪い。それに、いつもパンシオンで世話になっているお礼もしたい。


 アルノーは、ちらりとバルテルミを見た。上から下まで、さっと視線を投げた。


 丈夫な革のコート、磨かれた靴、整えられた髪。どう見ても立派な護衛だ。


 一人うなずいて店に進むと、心得たようにバルテルミが先にドアを開けた。


 店主がバルテルミを見た瞬間、ビクッと体を揺らし、以前訪れたときより前のめりに接客してきた気がしたが、アルノーはそれを「今日は特に、接客に気合が入っているんだな」と好意的に受け止めた。


「そこにある、帝国からきた新品種のヴェルメイユを使ったお茶と、花弁のジャムをいただけますか。贈り物にしたくて」


 そうして、店主が何故か少し震える手で差し出してきた上品な小箱を受け取った。王都でも発売されたばかりの商品だと言っていた。


 ヴェルメイユは、このところ高貴なご婦人方に人気だという、気品を感じさせる華麗な花だ。


 その新商品ということであれば、夫人の口に合わなかったとしてもお試しという付加価値で誤魔化せるはず。アルノーは「これなら合格点がもらえるだろう」と確信し、ほくほくしながら外に出たのだった。


   * * *


 パンシオンの玄関扉を叩くと、小間使いが出てきた。


「あら、アルノー様。お帰りになったのでは?お忘れ物ですか?」


「出かけた先で、夫人が喜ばれそうなものを見つけて。いつもお世話になっているお礼も兼ねて、帰る前にお渡し出来たらとお持ちしました」


「きっと奥様も喜ばれます」


 小間使いがバルテルミに一瞬視線を走らせたあと、小箱を受け取っていると、夫人が現れた。


「あらあら、賑やかね」


 小間使いが小箱を差し出した。


「アルノー様がお持ちくださいました」


「まあ、うれしいわ」


「エレーヌ夫人、先日はお茶のご教授ありがとうございました。お茶の勉強はなかなか難しかったですが、良い経験になりました。……今の僕がその答えとして持ち寄れるのは、これくらいなのですが。お口に合えば嬉しいです」


 お茶のことはよくわからなかったけど、流行になるだろう最新のお茶ということで誤魔化されてくれませんか……。そんな情けない祈りを込めたセリフも、夫人仕込みの所作をもって伝えればそれっぽくなった、はずだ。


 これも日々のイメトレで培った度胸と夫人の指導のおかげだ、とアルノーは自らが誇らしかった。


 夫人は小箱を受け取って、中に入っていたカードにも目を落とすと、文字をとっくりと眺め、それからふと視線を上げた。


「今日は見たことのない護衛を連れているのね」


「ええ。少しの間、ジルに別の用を頼んでいて。こちら、生活改善請負所のバルテルミさんです。設立に関わった縁もありますし、腕も人柄も信頼しているんです。なので、今日は臨時の護衛をやってもらっています」


 小間使いの表情が、かすかに動いた。


 夫人は、静かにバルテルミを見た。


「……バルテルミさん、とおっしゃるのね。素敵な、そして『重み』のあるお名前だわ」


 バルテルミが、わずかに固まった。


 アルノーは夫人を見た。それからバルテルミを見た。


 バルテルミは深く一礼しし、そのまま音もなくアルノーの斜め後ろに下がる 。


「ありがとう。大切にいただくわ」


「気に入っていただけるといいんですが」


「きっとそうなるわよ」


 夫人はきれいな微笑みを浮かべた。


   * * *


 待ち合わせる約束をしていた馬車の乗り場は、パンシオンから近い位置にあるので、余裕をもって着いたつもりだったのだが、ジルは既にアルノーを待っていた。


 少し汗をかいているので、急いだのかもしれない。


「お待たせ。お疲れ様、ジル」


「……思ったより本気の鍛錬になりました」


「それはよかった」


 バルテルミとジルが目礼した。護衛交代の確認だろう。仲良しだな、とアルノーは微笑ましい気持ちになって、声をかけた。


「今日はありがとうございました」


「……ああ」


 バルテルミの返答には少し間があった。


「次も何かに巻き込まれる気がするが」


「そんなことは」


「ある」


 アルノーは少し考えた。


「……善処します」


 バルテルミが呆れているのか笑っているのかよくわからない顔で小さく息を吐いた。


 時間になってやってきた乗合馬車に乗り込み、アルノーは今日を振り返る。花の手配、ジルによる指導、バルテルミの護衛、夫人へのプレゼント。


 プレゼントを渡したときに漂った不思議な空気はなんだったのか、アルノーにはわからなかったけれど。


 今日もいい感じだったんじゃないだろうか。


 窓の外に石畳が流れていく。


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