11話 バルテルミさん、スパっと君という名前はいかがでしょう
最初だけバルテルミ視点、途中からアルノーに変わります。
(バルテルミ視点)
バルテルミの家では、残されたヤンとバルテルミが呆然としていた。
ヤンが自分の右手を見ていた。握手された手だ。
「……なんなんだ、あの坊ちゃん」
「さあな」
バルテルミが言い、部屋にはしばらく沈黙が落ちた。
「騙されてるんじゃないのか、俺たち」
「騙す気なら、もっとうまいやり方がありそうだがな」
ヤンが革袋を見た。
「……そうだな。乗れるうちに乗っておこう」
バルテルミは何も言わなかった。乗る、乗らないの話ではないと思ったが、ヤンにはヤンの事情があるのだろう。やりとりの途中で一瞬止まっていた瞬間を思い出したが、言葉にはしなかった。
数週間後、何でも屋は動き出した。
荷物運び。扉の修理。迷子の捜索。
少しずつ顔が知られ、何でも屋を通じて派遣された人間なら信用できる、という空気がじわじわと広がっている。
バルテルミは荷物を担ぎながら、ときどき考えた。
あの坊ちゃんは、何も変えようとしていない。余ったから持ってきた。腕がいいと聞いたから来た。必要だから店舗を作ってくれと言った。ただそれだけなのに、気がついたら何かが変わっている。
この家に生まれたときから、人はバルテルミを避けた。街で買い物をするにも物を受け取るときは布越しで、金は酢の染みた布の上に置いていく。通りを歩けば道が開く。それがこの家の、この名前の、生まれたときからの形だったから、不満とも思っていなかった。
今朝開けた窓を思い出す。中庭に面した窓は開けることがあっても、表の窓は開ける理由がなかった。今は朝になると手が動く。ただそれだけのことだが、部屋の空気が変わった。
それに子供たちが貧民街の他のところの掃除もするようになって、貧民街に漂う激臭が和らいできていると思う。
子どもたちと言えば、彼らがバルテルミの家の扉を叩くようになったのも、あの坊ちゃんが来てからだ。プリュノを渡して以来、腹が減ると来ることがあった。バルテルミが何かを配るようになるとは、自分でも思っていなかった。あの坊ちゃんが「近所に配ればいい」と言ったとき、できるわけがない、自分が何かを配ったところで受け取るわけがないと思ったが、できてしまった。
あの坊ちゃんは名前も顔も、ほとんど知られていない。
それでも彼が関わると何かが変わっていく。気づいたら、変わっている。
だいぶ変わってはいるが、すごい奴もいるもんだ。
バルテルミはそんなことを思いながら、荷物を肩に担ぎ直して歩き続けた。
* * *
(アルノー視点)
アルノーが王都一番の繁華街でその人の姿を見かけたのは、まったくの偶然だった。
「こちら、ガスパールさん。地元の知り合いです」
アルノーの紹介に、ヤンが愛想よく会釈し、バルテルミが無言で頷いた。
ガスパールは挨拶もそこそこに、壁に飾られた武器を手に取って刃を光にかざしはじめた。
「研ぎが甘いな」
人の店に入るなり何言ってるんだ、この人は。アルノーは焦って口を開く。
「職人さんはそういうところに目が行くんですね」
バルテルミとヤンに向き直って付け足す。
「この方、腕利きの鍛冶屋さんなんです」
バルテルミがガスパールを見た。
「ちょうどいい。悪いんだが、研ぎ方を教えてもらえないか」
こっちはこっちで唐突だったが、それで話が始まった。道具を並べて、実演しながら説明するガスパール。バルテルミの手つきが、少しずつ変わっていく。職人が職人に教えている空気だった。
ヤンは自分の領分ではないと判断したらしく、アルノーに渡す書類を手早く用意し始めた。
取引の話をしながら、アルノーはちらちらと二人の様子をうかがう。刃物談議がだんだん盛り上がっているのが、声のトーンでわかった。
しばらくして、バルテルミが言った。
「……処刑関係の道具も、ちゃんと手入れできればいいんだが」
アルノーの手が止まった。
ヤンが注意深くこちらを見ている気配がする。
ガスパールも手を止め、一呼吸おいてからバルテルミを見て、それから壁の道具をもう一度見た。何かが腑に落ちた顔だった。
「……そうか」
鞄を探って、布に包んだものを取り出す。ゆっくり布を外す。
斜めに角度のついた刃だった。
あ。
思考が一瞬、止まった。
なるほど、父上が動いてくれたのだろう、とそれを見て察する。
ジルが、さっきより近くに位置をとった気配がした。よく知る気配になんとなくほっとしながら、アルノーはガスパールの手元に意識を戻す。
これが、ギロチン(仮)の刃の実物だ。
思ってたより何千倍かこわいけど、ちゃんと見ておこう。イメトレの機会だ。
……こわいけど!
「今使ってるのは半円月形だが……これは」
「斜めにした。それに切っ先もだいぶ薄い」
ガスパールがちらりとアルノーを見た。
「包丁のときの応用だ」
うんうん。作ったものはアレなんだけど、あの断末魔よりはマシなはず。
心がきゅっとしたが、そんなことにはかまっていられなかった。
バルテルミが刃を傾けて角度を確かめている。重量の話になり、高さの話になり、どんどん専門的になっていったが、アルノーも興味深く聞いた。
怖かったけど。
* * *
「……綺麗に終わらせられるときは、まだいい」
一段落ついたころ、バルテルミが刃を見たまま言った。
「そうじゃない夜は、気分が良くない。苦痛の声を何度も聞いて、いい気はしない」
そこにいた全員が動きを止め、耳を澄ませたのがわかった。
「……楽しくてやってるわけじゃないんですね」
「当たり前だ」
「ですよね」
重々しく頷きながら、アルノーの頭の中では全然別のことが回っていた。
笑顔だ。
いざそのときが来たとして。泣きついたり恨み言を言ったりするのは論外だ。硬直して無言になるのも、大変に失礼だろう。せめて穏やかに、感謝の意を示せるくらいの余裕は持っていたい。担当者が気持ちを引きずらなくて済むよう、かける言葉を今から吟味しておく必要がある。
笑顔の練習も足りていない。鏡の前でやろう。今夜にでも。
こういうのは、積み重ねが肝心なのだ。
思ってもみなかった角度だった。やはり正確なイメトレには生きた現場の声ほど大切なものはない、とアルノーは実感して、一人深く頷いた。
「……お前、今すごい顔してたぞ」
「してました?」
「してた」
咳払いした。
「失礼しました。考え事を」
「それは見ればわかるが」
バルテルミが刃を置いた。
「……そういう風に受け止めてもらったのは、初めてだ」
感謝された感じになってるけど、どのあたりが該当するのかわからない。でも野暮なことを聞いて話をぶった切るほどアルノーは無粋ではなかったので、控えめな笑みを浮かべるだけにした。
* * *
「新型スパっと君、完成したら教えてくださいね」
帰り際に声をかけると、三人が同時にアルノーを見た。
「……なんて呼んだ?」
「スパっと君です。わかりやすいかと思って」
ガスパールが何やらメモをとりながら、何とも言えない顔をした。
「……お前な」
「正式名称は頸部苦痛最小化機構でしたっけ。長くて言いにくいんですよね。この国の貴族の間で使う皮肉っぽい言い方もあんまり好きじゃないし」
「ラ・ミゼリコルドか。慈悲、とはまた皮肉な名前で呼ぶものだと思ったが」
さすが本職である。顔を顰めながらすぐに名前を出せるバルテルミに、アルノーはへらりと笑った。
「そう、それです。スパっと君のほうがわかりやすいし言いやすいですよ」
ヤンが帳簿から目を上げないまま、小さく吹き出した。
* * *
数日後、バルテルミは執行人仲間に何でも屋の話をした。何となく、そういう気分になったのだ。
執行人仲間たちは怪訝そうな顔をして言った。
「……本当に存在するのか、そんな奴。とうとうおかしくなったんじゃないのか」
「わかるよ、俺もお前がそう言ったら、同じことを思うだろう」
こんな仕事だから、同じ立場の人間とも深く関わらないようにしてきた。それが当たり前だと思っていた。
でも、何でも屋に集まってたまに顔を合わせる。飯を食う。たまに話す。
気がついたら、そういう場所になっていた。




