10話 あの背中を、ずっと近くで見ていた(護衛・談)
坊ちゃんが初めて倒れたのは、十一歳のときだった。
オーギュスト様の護衛として随行していたジルは、広場の人だかりが急に騒がしくなったのを覚えている。荷運びを手伝っていた最中だったが、振り返ると、オーギュスト様の腕の中で気を失ったアルノー様が見えた。
馬車に運ぶときに抱え上げた体の軽さを、今でも覚えている。
後日、フェリックス様がオーギュスト様に報告する場面に、護衛として居合わせた。
悪夢を見てうなされることがあるようだ、という話だった。
それからだ、特に気にかけるようになったのは。
無理もない、とジルは思う。
モレル領は、領主であるオーギュスト様の方針で、命を奪う処刑を行わない。正確には、重罪人がほとんど出ないような土地なのだが——それでも、もし、という場面でも、そうはしないと聞いていた。そういう土地で育ったのだ、坊ちゃんは。
そんな方が、王都の広場で、その現場に遭遇してまった。
おかわいそうに、とジルは思った。最初は、それだけだった。
それからのアルノーが変わっていったのを、ジルは近くで見ていた。
野菜の切れなさに本気で眉間に皺を寄せ、厨房に乗り込んでいったときも傍にいた。身分のある者が使用人の仕事に首を突っ込むことなど、普通はない。それをあの子は、当然のことのように板場に立って、ジャンの格闘を眺め、苦労に寄り添っていた。
仕上がった試作品の切れ味を確かめてから、あの子が小さく息をついてどこか安心したような顔をしたとき——ああ、そういうことか、とジルにはじめてわかったような気がした。
あの子は、罪人の最期のことまで心配していたのだ。
オーギュスト様へのご提案を終えて廊下に出たとき、あの子は「これで少し、安心して眠れます」と言った。ジルはあのとき、なんとかやり過ごしたが、内心は相当動揺していた。
……坊ちゃんの慈愛、痛み入ります、などと言ってしまったが、あれは本当にそう思ったのだ。
白い衣装を仕立て屋で迷いなく注文したときも、傍にいた。飾りひとつない、上質だが簡素なあの服。貴族の子弟がそんな格好をするのは珍しい。
本当に清廉なのだ、あの子は。
白い服は、天に恥じる隠し事は何一つない、という無言の告白に思えた。
ジルはそのとき、交代で店の外での警戒に当たっていたので直接見ていなかったのだが、フェリックス様まで同じ服を注文されたと聞いて、胸が熱くなった。ジルも別に詩人ではないが、モレル家の兄弟というのは、人をそういう気持ちにさせる何かがある。
忌み嫌われる執行人の家に踏み込んでいったあの背中も見た。
護衛の毒見を制してまでワインに口をつけて「おいしい」と声に出し、チーズをつまんで見せたことで、あの男が少しだけ肩の力を抜いた瞬間も見ていた。
差し入れのプリュノを、街の子供たちに配る場面も見た。
棒立ちになった男が実を渡し続けていたとき、ジルにはなんとなくわかった気がした。あの子が来るまで、あの人は誰かに何かを渡したことが、きっと長いことなかったのだろう、と。
* * *
帰り道に、広場の近くを通った。
アルノーの手が、ジルの外套の裾をわずかに掴んだ。ほんの一瞬だった。本人は、気づいていない。来るときも、同じ場所で、同じことが起きていた。
あの日のことを、まだ体が覚えているのだ。
それでもこうして、プリュノを抱えて貧民街に踏み込んでくる。
ジルは少しだけ、歩く位置をアルノーの隣に寄せた。




