第35話 託される想い
「あれが奴らの本隊、というわけか……」
ここにきてようやく真の敵と遭遇したのだと、ラーズは悟った。
メッサーは人間の死体を利用して作られたものだと、トーキルは言った。おそらくベスティアやフーガーも、この地にいた獣や鳥の死骸を使ったに違いない。
だが、今迫ってきている怪物は、それらと同種の存在とは到底思えなかった。
「ひょっとして、あのデカい木みたいなのが魔王なのかな……」
オッシが独り言のように呟く。
「さぁ、そこまではわかりませんが……あの巨大怪物が黒い霧を発生させる役割を担っているとみて間違いなさそうですね」
トーキルの言う通り、巨大怪物は枝のように伸びた触手の先端から凄まじい量の瘴気を吐き出し続けている。
「じゃあ、あいつを倒せば黒い霧の侵攻を止められるかもしれないってこと?」
「いえ、さすがにあの一体だけで大陸全土を瘴気で覆い尽くすのは不可能でしょう。おそらく奴らはあの巨大怪物を増やすことで領土を拡大しているんだと思います。なんにせよ、ああして新種の怪物まで出してきたということは、本格的に侵略を開始したか、もしくはなりふり構わず神託の子を始末しようとしているかのどちらかでしょう」
「悠長に言ってる場合か! どうすんだよ、あれ!」とウォーレンが怒鳴る。
「やるしかないだろう」
ラーズは決意を込めて言った。
「やるって……あんなバケモンどうやって倒すってんだ!?」
「俺たちがやるべきことは最初から変わっていない。奴らの注意を引きつけて、とにかく時間を稼ぐんだ」
「ああくそっ! 俺はお前のそういうところが嫌いだよ!」
ウォーレンはそう吐き捨てたが、すでに覚悟を決めているのか、それ以上は何も言わなかった。
「私が魔術でなんとかしてみましょう」
トーキルがなんの気負いも感じさせない口調で言った。
このときになって、ラーズはようやく彼の変化に気付いた。初めて会ったときは半分くらいだった顔の黒く爛れた部分が大きく広がっており、今では八割近くを占めるまでになっていたのだ。
ラーズの視線に気づいた魔術師が微笑んだ。
「どうかお気になさらず。それよりも私が詠唱をしているあいだ、できるだけ怪物どもを近づけないようにしていただけます?」
「それは構わないが……本当にやれるのか? 悪いがお前の魔術でどうにかできる相手とも思えんが……」
「普段ならばそうでしょう。ですが、今の私はかつてないほどに絶好調なのですよ。必ずや奴らを一網打尽にしてみせます」
トーキルは普段おちゃらけてはいるが、大言壮語を口にする男ではない。どのみち、蜘蛛型の怪物はともかく、巨大怪物はとても剣でどうにかできるような相手ではない。ならばここは彼の魔術に賭けるべきだ。そうラーズは判断した。
「……わかった。お前に任せる」
「任されました」
トーキルは優雅に一礼してみせたが、すぐになにかを思い出したのか「あっ」と声を発した。
「すみません、ひとつだけ補足というか、残念なお知らせがありました」
「なんだ?」
「あれだけの大物を滅する魔術となると、たぶん制御は無理です。おそらくあなたがたも一緒に巻き込んでしまうことになると思いますが、それでもいいですか?」
昼食の品目を一品減らしてもいいか、くらいに気安い口調である。
そういう大事なことは先に言ってくれ、とラーズは思ったが、聞いたところで決断は変わらなかった。
「俺たちを気にかける必要はない。全力でやってくれ」
「わかりました。一世一代の魔術をお見せしましょう」
トーキルはそう言うと、すぐさま詠唱に入った。
「よっしゃ! それじゃ最後にド派手に暴れるとしますか!」
オッシが徐々に近づいてくる敵を見据えながら勢いよく肩を回し始める。
その横顔に向かって、ラーズは告げた。
「オッシ、お前は離脱しろ」
「……は?」
目を丸くするオッシ。
ラーズはその目を見て、もう一度同じ言葉を繰り返した。
「お前は離脱しろ。戻ってこの状況を司令に報告するんだ」
「いやいやいや、ここまできてそれはないって」オッシが半笑いになる。「俺もみんなと一緒に最後まで戦うに決まってるだろ」
「ダメだ。お前は戻れ」
「ふざけんなッ! そんな命令聞けるかよ! 俺らは一蓮托生で運命共同体なんだろ!? ずっと一緒に戦ってきたじゃないか! なんで今さらそんなこと言うんだよ!」
ラーズは憤慨するオッシの両肩を掴んだ。
「聞け、オッシ。状況が変わった。あの新種の情報は絶対に持ち帰る必要がある。それに奴らの狙いが神託の子だけとは限らん。もしトーキルの魔術で仕留められず、奴らがそのまま砦に攻め込んだらどうなる? ハルディ砦の兵力では、あの大型怪物の侵攻は止められない。間違いなく全滅する。周囲の村もだ。だからすぐに撤退するようお前がハイマン司令に伝えるんだ」
「だったら俺じゃなくて隊長かウォーレンが行けばいいじゃないか!」
「お前が適任なんだよ」
ウォーレンが割って入った。
「この中じゃお前が一番軽傷だ。それにお前はすばしっこくて体力もある。なにより馬鹿みたいにタフだからな。俺はどのみちこの足じゃまともに走れそうにない」
そう言ってウォーレンは怪我している足を軽く叩いてみせた。
「けど、ウォーレンには家族が――」
「ばかやろう!」
尚も食い下がろうとするオッシをウォーレンは一喝した。
「その家族を守るためにお前に走れって言ってんだよ! つべこべ言わずにさっさと行け!」
その言葉に、オッシは苦しそうに唇を噛む。
そんな年少の騎士に向かって、ラーズは諭すように言った。
「オッシ、これは命令じゃない。俺の頼みだ」
「……」
「俺たちの戦いが帝国騎士としてではなく、誇り高きハルディの戦士としての戦いであったことを、お前の口から皆に伝えてほしいんだ。そうすれば、たとえ住む土地を失ったとしても、彼らの中に俺たちの意志が残る。それがいつかきっとこの大地を取り戻すための力になるはずだ……少なくとも俺はそう信じている」
「隊長……」
「この役目はお前じゃなきゃ果たせない。だから頼む、オッシ」
ラーズは頭を下げた。
「……ずりーよ……そんなふうに言われたら俺、何も言えないじゃん……」
オッシは顔を隠すように深く項垂れ、肩を震わせた。
その肩を、ラーズは励ますように二度叩いた。
「頼んだぞ、オッシ」
そして役目を果たしたらお前は自由に生きろ――ラーズは心の中でそう付け加えた。
言葉にはしない。したら命令になってしまうからだ。これからは誰かの命令ではなく、彼自身が自らの意思で進むべき道を選び取ってほしかった。
……オッシが西に走り去ったのを見届けると、ラーズは振り返って、残ったもうひとりの騎士に笑いかけた。
「最後まで面倒をかけるな、ウォーレン」
「まったくだ。とんだ貧乏くじを引いたもんだぜ」
「お前には感謝しているよ」
ラーズの言葉を受け、ウォーレンは破願した。
「良かったな。口にしたのが謝罪の言葉だったら、ぶん殴ってたところだ」
「そうか」
それからふたりは顔を見合わせ、ふっと笑みを漏らした。
騎士団で同じ隊に配属されてから、ふたりはずっと一緒だった。
戦場では常に肩を並べて戦い、勝利の栄光も、敗北の屈辱も、酒や女といった人生のあらゆる歓楽も、すべて共に分かち合ってきた。
ラーズにとってウォーレンは間違いなく親友だった。
彼だけはラーズを元王族や裏切り者してではなく、ずっと仲間として扱ってくれた。自棄になっていた時期も、いつだって何食わぬ顔で、当たり前のように隣にいてくれた。
そして今も、最後まで共に戦おうとしてくれている……。
ウォーレンの手が、おもむろに肩に置かれた。
「それと、俺もお前には感謝してる。なにせお前がいなきゃアニーネに出会えなかったからな。あれは最高の女だ」
ラーズは苦笑しつつ「それはなによりだ」と返した。
そしてふたりは頷き合い、表情を引き締めた。
怪物どもはすぐそこまで迫っていた。
ラーズの手が無意識に剣の柄頭をまさぐる。
剣を抜くのは、これが最後になるだろう。
だが、恐怖は微塵もなかった。
想いはオッシに、未来はフィリスとコルウィンに託した。
ハルディの誇りは民の心の中に残り、いつか必ず意志を継いで立ち上がってくれる者が現れる。たとえ肉体が滅んでも、魂は彼らと共に在り続ける。人の想いや願いとは、そうやって無限の時のなかで紡がれていくものなのだ。
ならば、この命など惜しくはなかった。
「うおおおおぉぉッ!」
ラーズは雄叫びを上げ、勢いよく剣を引き抜いた。




