第33話 誇り
イームクレンは大陸南部の、とある小国に生まれた。
生後間もなく戦に巻き込まれて両親を失うと、傭兵団の団長に拾われ、育てられた。ゆえに物心ついたときには剣を手に戦場に立っていた。
十歳のとき、養父の傭兵団も戦に敗れ、壊滅した。
敵に捕らえられ、奴隷として連行される直前、彼の前に現れたのが、敵方に雇われていたエルフ族の女傭兵ナイアリーだった。
彼女はイームクレンの顔を一目見るなり、
「いい面構えだ。お前は私がもらい受けよう」
と奴隷ひとりには見合わない大金を支払い、半ば強引に引き取ったのである。
ナイアリーは傭兵たちの間では半ば伝説的な存在として知られる存在だった。
それは希少なエルフ族だからでも、絶世の美貌を誇っていたからでもない。
あまりにも強すぎたのだ。
人間は限られた時間の中に生きているからこそ、命を削り、情熱を注いで様々な物や技術を生み出し、技を極めようとする。
一方で、永劫の時を生きるエルフ族は、長寿ゆえに変化を嫌い、時の流れに身を任せて生きる。種として緩慢な滅びの道を歩んでいることから、人間のような強い情熱や執着を持つ者はまずいない。ましてや己を鍛え、武芸を極めようするほどの向上心を持つ者など皆無であった。
だが、ナイアリーは違った。
彼女には強くなることへの異常なまでの情熱と執着があった。
究極の武を求め、気の遠くなるような時間を鍛錬に費やし、稀に戦場に現れては、時代を代表する強者に戦いを挑む。そして、ひとたび強者と剣を交えると、その者の剣技を完璧にモノにするまで山にこもって修行に励む。
彼女はそうやって何百年という時を使い、人知を超えた強さを身につけた。
老衰という、人が決して逃れられぬ呪縛から解き放たれた武人……。
それがナイアリーだった。
そんな生ける伝説に引き取られたイームクレンは、わけもわからぬまま、ただひたすら彼女の修行に付き合わされる日々を送る羽目になった。
そして気が付けば、その強さに魅了され、夢中で背を追っていた。
もともと才能にも恵まれていたのだろう。イームクレンは乾いた綿のようにナイアリーの技を吸収し、数年後には彼女の修行相手が務まるほどの戦士に成長を遂げた。
ただ、時が経つにつれ、イームクレンは師との間にある隔絶した技量の差に思い悩むようになった。
ナイアリーの強さは永遠の命を持つエルフ族だからこそ身につけられるものだった。数百年という途方もない経験を持つ戦士に、たかだか数十年しか生きられない人間が追い付くことなどできるはずがない。
このまま一生、彼女を超えれないまま短い生涯を終えるのか。
そんな焦燥感がイームクレンの心の中で少しずつ大きくなっていった。
その頃、大陸ではエレニール帝国の大陸統一に向けての侵攻が本格化しており、その毒牙は大陸南部にあるイームクレンの祖国にまで及んでいた。
エルフ族であるナイアリーは、俗世の動向に興味がない。だから、当初は帝国の侵攻にもさしたる関心を示さなかった。
それがある日突然、戦に参加すると言い出した。
ナイアリーは傭兵でありながら金では決して動かない。彼女が動くのは、己の糧となるであろう強者が戦場にいるときのみ……つまりはそういうことだった。
イームクレンはいつも通り、師に付き従って戦に参加した。
そして、その戦場で生涯忘れられない戦いを目にすることになる。
戦闘が始まって三日目のことだった。膠着した戦況を動かすべく、帝国軍は切り札である戦奴兵部隊を戦場に投入した。そのなかに、とてつもない実力を持った戦士がいたのである。
ナイアリーとその戦士との戦いは苛烈を極めた。百十余合に及んでなお決着がつかないほどに実力は伯仲し、周囲の者はその戦いに見惚れて自らの戦いを忘れるほどであった。
件の戦士がハルディという東方の国から連れて来られた者だとイームクレンが知ったのは、戦が終わり、祖国が滅びた後である。
はるか東の地に、ナイアリーと互角に渡り合える戦士を生み出した国がある。
そこに行けばさらなる高みへと至り、師を超えられるかもしれない……。そう考えたイームクレンは、ナイアリーのもとを去り、自らの武の道を歩むことを決意した。
人の身でありながら、本気で永遠の命を持つ戦士を超えようとしたのだ。
「十年経ってお前が一端の戦士になっていたら、そのときは相手をしてやる」
別れ際、ナイアリーは旅立つ弟子に向かって、嬉しそうに言った。
その言葉を信じ、イームクレンはずっと己を鍛え続けてきた。
それから十余年……。今、彼の目の前に、心から憧れ、ずっと背中を追い続けてきた師が、変わり果てた姿で立っていた。
オッシにとってのラーズがそうであるように、イームクレンにとってナイアリーは命の恩人であり、師であり、家族であった。
その家族の姿をした怪物が、まるで一騎打ちを申し込むかのように、無言のまま剣を構えている。
このような形での再会を誰が予期したであろう。
脳が理解することを拒否していた。
それでも、戦士としての本能が戦うことを望んでいた。
形はどうあれ、ずっと待ち続けていた瞬間が訪れたのだ。
イームクレンは一気に間合を詰め、かつての師に向けて斬撃を放った。
怪物はその一撃をあっさりと防ぐと、華奢なエルフ、それも女とは思えぬ膂力で押し返してきた。
イームクレンはたたらを踏むも、すぐさま体勢を立て直し、再び斬りかかる。
互いの剣が何度もぶつかりあい、雷鳴のような衝撃音と閃光をまき散らす。
剣を交えながら、己の内に怒りが湧いてくるのをイームクレンは自覚した。
目の前の怪物はたしかに強い。
だが、決してナイアリーではなかった。
イームクレンが知る彼女は、想像を絶するような剣士だったのだ。長い時間をかけて研ぎ澄まされた彼女の剣技は、優雅で洗練され、雷光のごとく鋭く速い。
それに比べ、目の前の怪物の剣は技や動きを模倣しただけの紛い物だった。
だから穢されたと思ったのだ。
彼女の剣技を。
存在を。
この戦いを!
「――心の揺らぎは剣筋に出る。怒りは視界を曇らせ、恐怖は判断力を鈍らせる。感情を切り離せ。常に冷静であり続けろ。それができない奴はすぐに死ぬ」
それは初めてナイアリーから剣術を教わったときに言われた言葉だった。
イームクレンは感情を思考から切り離し、敵の挙動に意識のすべてを集中した。
怪物が振るう剣は一撃一撃に必殺の威力が宿っていた。攻撃を受ける都度、腕の骨が砕けてしまうのではと思うほどの衝撃を味わう。
だが、イームクレンは冷静だった。極限状態で最適な解を選び続ける集中力と判断力……それを身につけたからこそ、これまで勝者であり続けることができたのだ。
防御に徹し、機を待つ。
さらに二十合ほど撃ちあったところで、ついにその瞬間が訪れた。
怪物が地面に転がっていたメッサーの死体に足をとられ、わずかにバランスを崩したのだ。
次の瞬間には、イームクレンは全霊を懸けた一撃を繰り出していた。
白刃が怪物の頸筋を捉えようとした、そのとき――
怪物の全身から瘴気が吹き出した。
不意を突かれたイームクレンは、瘴気をまともに浴びて、もんどりうって地面を転がった。
痛恨のミスだった。相手が怪物だと理解していてなお、ナイアリーの姿に惑わされ、剣での決着に拘ってしまったのだ。
それでもイームクレンはすぐさま立ち上がる。すでに死に体の肉体を支えていたのは、怒りではなく使命感だった。
ハルディの戦士……。
生まれた国は違えど、その呼称はイームクレンにとって誇りだった。
ここで無駄死にすれば、その名を穢すことになる。
それだけは我慢ならなかった。
後の憂いとなるであろうこの怪物だけは、ここで絶対に倒す――それまで冷静であり続けた戦士は、最後の最後で激情に身を任せた。
残った生命力の全てをつぎ込み、渾身の一撃を放つ。
互いの剣が閃光を発して、激しくぶつかりあった。
この瞬間、イームクレンの剣の威力は、わずかにだが怪物のそれを上回った。
だが、これまでの激戦が、彼の剣に限界をもたらしていた。
酷使に耐えかねた刃が甲高い音を立てて半ばから折れ、鋭く回転しながら地面に突き刺さる。
直後に、怪物の剣がイームクレンの胸当てを砕き、そのまま心臓を斬り裂いた。
自分が斬られたのだと、イームクレンが理解したのは、地面に打ち倒されたときだった。
不思議と痛みはなかった。
ただ、起き上がろうにも、もう身体はぴくりとも動いてくれなかった。
(……俺は……負けたのか……)
ナイアリーの姿をした怪物が視界に入ってくる。
その手に握られた剣を見て、イームクレンはかすかに笑った。
この戦いは無駄ではなかった――そう確信できたからだった。
怪物が止めを刺そうと剣を振り上げる。
イームクレンは全身の力を抜き、己の運命をごく自然に受け入れた。
長い長い戦いの日々が、ようやく終わるのだ。
決して届くことのない背中を追い続ける日々は無意味だったのだろうか。
そうは思わなかった。
本気で強くなろうとしたからこそ、ラーズたちと出会い、認められ、共に戦うことができたのだ。
今にして思えば、本当にナイアリーとの戦いを望んでいたのかさえも怪しかった。もしそうだったとしたら、自ら探しに赴き、勝負を挑んでいたはずだ。
だが、イームクレンはそうせず、ハルディの地に留まり続けた。
霞む視界に、戦友の顔が浮かんでくる。
ラーズ、ウォーレン、オッシ……彼らと共に戦場を駆け抜けた日々は、ことのほか楽しかった。
彼らは特別だった。
だから悔いはなかった。
「俺は負けたが……勝つのは……俺たちだ……」
そして剣が振り下ろされ、騎士イームクレンの時間は永遠に停止した。




